日ソ海空戦秘録 菊池金雄 2
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2A型戦標船 向日丸(むかひまる・6800トン)戦記要約
西豊船長以下七十名 警戒隊○海軍少尉以下二十名 海軍機関科下士官兵三名 陸軍通信連絡将校那和少尉 計九十四名乗組
当時、羅津港には十七隻の大型船が荷役中で、辛うじて脱出したのは三隻(向日丸、さまらん丸、辰春丸)だけである。向日丸は南鮮へ必死に避航中、清津沖付近で羅津脱出船救援に駆けつけた第八十二号海防艦と合流。追撃してきたソ連雷撃機編隊と両艦船で対海空戦闘中、該海防艦が不運にも被雷~轟沈。本船が同艦の生存者を懸命に救出するなど薄氷の海を突破して無事舞鶴に帰還した知られざる秘話を公開するものである。
本船は五月下旬岡山県玉野ドックから処女航海の途につき、バンカー(燃料石炭)積み込みのため福岡県若松に向かったが、当時瀬戸内海は米軍投下機雷のため、航路の掃海作業の指示待ちを繰り返し、先航船の触雷現場を再々目撃しながら無事若松に入港。バンカー搭載後の翌朝、離岸直前に時限機雷が爆発。危機一髪で本船は難をのがれる幸運にめぐまれ、幸先よく釜山に向かったのであるが、六連島沖を通過中、先航船数隻の触雷を目撃した。(親友長嶋保令氏が乗り組んだ僚船「白日丸」が同年六月十九日この海域で触雷沈没している)
「羅津港」ソ連軍爆撃機・雷撃機編隊の奇襲に曝される
釜山で高粱と大豆を搭載し、門司に帰港。門司から羅津に回航し、八月六日羅津に入港して大豆、高粱等の積み込み荷役を行っていた。夜間にはB29が港外に機雷投下作戦を行ったが、陸上は爆撃しなかった。ところが、八月八日午後十一時五十五分(この時刻は富士書苑「秘録・大東亜戦史 朝鮮編」12頁参照)突如ソ連爆撃機編隊の奇襲で在港船団が空爆の標的となり、最悪の戦禍に巻き込まれ、翌九日にかけ終日波状爆撃が続行されたが、所在味方部隊からの反撃や、港外への避難指令も無く、まさか軍に無断で脱出することもできず、警乗の警戒隊員・船砲隊員が必死に応戦するのが精一杯で、在港船隊が次々と被弾~炎上~沈没等悲惨な修羅場となり、警乗隊員や船員の負傷者が続出しため近傍の病院に次々と搬送された。
小野三席通信士証言 欠員となった隊員支援のため若手船員が機銃弾運びをしたが、当時船員には防弾ヘルメットの配分も無く、船員達は素手で弾雨下を挺身していた。
野口甲板員(当時15歳)の証言 敵は雷撃機も混じり、その一発は向日丸の船尾側に接岸中の船に命中して浸水~沈没(着底)。次の魚雷は向日丸と、この船の間の岸壁に当たり爆発。岸壁部材が向日丸船尾の十五センチ短砲に落下、同砲が使用不能となった