日ソ海空戦秘録 菊池金雄 6
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日ソ海空戦秘録 菊池金雄 (編集者, 2013/1/24 8:54)
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編集者
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両艦船幹部で事後のことを協議
私は向日丸船長に「多数の負傷者を一刻も早く最寄りの港で手当てを受けさせたい」と述べたら、船長は「本船は船速も遅いし、明日になれば又もや敵機に襲われるだろう。昼間の航海はとても無理だから、一応城津に寄港して貴艦生存者を揚陸させ、夜間航海で元山に行きたい」と、意見が一致した。
また、臨席した向日丸側士官の証言によれば、森艦長から「何か要望でもあれば申し出てほしい」と提案があったので「本船は敵機三機撃墜したので証明を求めた」ら、すぐ応諾したとのことである。(向日丸はソ連雷撃機の追撃時には機銃の残弾を撃ち尽くして、二機を撃墜したので合計三機撃墜の戦果を挙げ、船橋前に撃墜マークを掲げたが、終戦となり何らの恩賞も無かったのは無念であった)
(サロンでの両艦船幹部会合には小職菊池も参加している)
船団で元山から舞鶴へ
かくして向日丸は十一日未明城津に寄港し、海防艦の生存者を下船させ、直ちに元山まで南下。ここから残存船団で舞鶴に帰還したのは終戦二日後の八月十七日であった。
須永機関員証言 元山出港の際機関が故障したため漂流・・・岩盤にプロペラが接触・・・幸い満潮で離礁し、間もなく機関が復旧したので船団に追いつき、舞鶴向け航海中の八月十五日正午、戦争終結の放送を聞く。八月十六日舞鶴港外の伊根沖で仮泊。翌十七日の正午頃?舞鶴港に向かう。後方から辰馬汽船の辰春丸が本船を追い越して先に入港するので、本船はその後につく。ところが港の入り口付近でドーンと辰春丸が触雷、停止して蒸気を噴出・・・本船はその横をスローにて通過し、無事舞鶴に入港した。
なお、港口より少し入った左側に偽装の軍艦(事後、新造軽巡「酒匂[さかわ]」と判明)が隠れているのを目撃した。