@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

日ソ海空戦秘録 菊池金雄 7

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 日ソ海空戦秘録 菊池金雄 7

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/1/31 8:03
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 向日丸船長・警戒隊の功績

 この、奇跡的向日丸の生還劇は、自身の戦傷にもひるまず、敢然と敵と対戦し、自船を守り通した西豊船長の闘魂を讃えたい。(船長が負傷したとき、私も船長の左隣にいて“駄目だ 駄目だ”を耳にしたが、その真意を考察すると、「船が接岸のままでは被弾必死なので離岸しないと駄目だ」、と解すべきで、その背景は、「船長が事前に軍の事務所に離岸許可方の伝令を出したが事務所が空っぽで」、止むを得ず着岸を余儀なくしていたからである。

 また、警戒隊員の犠牲者数は不詳であるが、十名ちかい戦傷者があったと思う。向日丸防護に勇戦した隊員各位に深謝の念大であった。

 向日丸戦死傷者

 向日丸乗組員には船長以外に戦傷者が無かったものの、羅津で入院させた小川肇次席通信士は、事後の調査によると八月十日羅津で戦没していたことが確認され、誠に慙愧にたえないものがある。それは、あの苛烈な空爆下での最善の選択が、結果的に仇になったことについて自責の念に堪えないものがあったが、かねてインターネットで、当時羅津の中学生であったF氏から、羅津埠頭近傍の病院は羅津満鉄病院であることと、同病院の元看護師Kさんが仙台近郊に住まいしているとの情報を得ていたので、平成十八年九月せんだいメディアテーク(仙台市)で開催された「戦時徴用船遭難の記録画展」会場でKさんと初対面して、往時の同病院入院患者の動向などを聴取した要点は以下のとおりであった。

 「八月十日の状況は、ソ連機が埠頭に接岸中の商船隊を集中爆撃していて、病院には来襲がないので戦死するような場面はなかった。当時、負傷した兵士・船員が相次いで病院に搬入され、これが対応に忙殺のため地元入院患者を退院させ、残留一般患者の診察までは手がまわらなかった。小川さんは一度船内で喀血した患者のようであるが、症状から推察すると再喀血などで亡くなられたのではないでしょうか。十一日には暁部隊から看護師にも避難勧告があったが、患者を介護するのが職務であるからと拒否したが、軍命をたてに、追い立てられるように最小限の見回り品とおにぎり二個だけ携行して、夕刻病院を出発。徒歩で満州方向に、筆舌に尽くしがたい逃避行を余儀なくした。」

 以上の聞き取りから、当時の空爆下での緊急避難入院先病院内の様子を確認。彼は戦死ではなく戦病死と推定され、若し船に連れ戻しても同様の事態に至ったかとも思量されるところでもある。

 他面、彼の乗船経緯については、つまびらかでないが、何故このような羅病者を乗船させたのか、往時の通信科責任者として、配乗部門への疑念を払拭できないものがある。

  条件検索へ