画像サイズ: 608×640 (96kB) | 内子町を歩く
内子駅前広場に鎮座ましましております、この機関車は「シーコロ」いう愛称で、昭和14年から昭和45年まで働いたSLです。生まれも育ちも仙台なのですが最後の一年間、宇和島機関区所属となり、内子近辺で働きました。いまは、ここに展示されて、内子町で余生を送っています。 いつも思うのですが、機関車は人間っぽい存在です。見ると声をかけたくなります。 この辺のJRの駅は、内子といい、松山といい、後から行く「伊予大洲」といい、ダウンタウンは駅から少し離れています。早く言えば、駅前にはあまり見るべきものがないのです。ヨーロッパの駅も同様ですが。 ですから駅を出て、ひたすら歩きました。あるきに歩いて、56号線沿いまで来てしまいました。
「雨上がりの稲田」「川べりの風景」「教会風のコーヒーショップ」など、なんでもない風景が、優しく出迎えてくれまた。 お天気は、よくなったのですが、だいぶ蒸し暑くなってきたのでした。 ちょっと、56線から離れて町の中に入りますと、橋邸の案内版がありました。このお屋敷は、高橋吉隆氏(元アサヒビール株式会社会長)が、郷土、内子町への思いを寄せられていたことから、ご遺族によって寄贈されたものです。 かって、このお屋敷では普通のお屋敷だったら「無用の者、立ち入るべからず」とするところを「止談風月無用者可入」(ただ風月を談じるのであれば、用事がなくても屋敷に入ってもいいよ)という墨書の看板が掲げて、来られる方々を歓迎なさったのでした。その遺志に沿って、現在も、遠来の客を迎えるゲストハウス、宿泊施設として、あるいは研修会や小会議、お茶、お華などの文化活動施設として活用されています。 (ここにも、やっぱり「お接待」の心が。ああ、ますます伊予が好きになっちゃいました) |