画像サイズ: 638×640 (97kB) | 内子町並み保存地区 その2
「旧街道おへんろみちこんぴら街」という道標がありました。金毘羅さんは神社なのに、ついでに回ってもいいのかしら、と思ってしまいますが、昔から四国八十八ヶ所をお参りしたついでに金毘羅宮にもお参りしていたのですね。もともと廃仏毀釈で神社になったお寺もあり、そのへんの区分はあまり厳格ではないようです。 石の部分が水準器ということですが、こういうものが明治初期に置かれていたというのもオドロキですね。(ここ標高71.23メートルなのですね。) 中学校前の「上芳我家」(国内最大規模の製蝋業者だった本芳我家の筆頭分家)と思います。
この裏が資料館になっているようです。 なぜ、ここで「ドイツ・フェスタ」か、ですって。 内子町は、ドイツのローテンブルグ市と姉妹都市なのです。「古い町並みの保存」という共通のテーマで結ばれているのですね。
公衆電話が、本格的に稼働し始めたのは昭和28年ですが、これは当時の電話ボックスではないと思います。でも、いいですね。瓦屋根のボックスなんて。(そもそも、大きな駅のコンコースからも姿を消した電話ボックスが、ここに存在すること自体、すごいことです。ただ、なぜか10円玉を入れたら、戻ってきてしまいました。) こうして歩いているときりがありません。そのうえ暑くなってきました。この日は、このあと、伊予大洲にも行き、更に道後温泉にも行く予定です。これ以上のんびりしてはいられない。しかし、お目当ての芝居小屋「内子座」へは、どうしても行きたいーーーというわけで、タクシーを呼ぶことにしました。ボックスの中にタクシー会社の広告が出ていたのでそこへ電話しました。本当は、昔なつかしい公衆電話から呼びたかったのですが、そんなわけで残念ながらスマホから電話をかけました。ものの10分もしないうちに、タクシーは来ました。 |