画像サイズ: 640×359 (96kB) | 道後温泉へ
「伊予の旅」、締めは「道後温泉」です。 大洲から「アンパンマン特急」で松山駅へ。伊予鉄(路面電車)で道後温泉駅へ行きました。 この街の市内交通は、網の目のように張り巡らされた「伊予鉄」にまかせてあるようです。 路面電車のゆっくりとしたテンポは伊予の人たちの「生活のテンポ」とあっているように感じました。まさに「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」の気分です。 この路線は、お堀端、坂の上の雲ミュージアム、道後公園などの脇を通ってくれますので、車窓から市内を見物させていただくことができました。
さて、ホテルに荷物を置くと、「松山市立子規記念博物館」へ急ぎました。ウェブに「受付は16時30分まで」とあったように記憶していたからです。 正岡子規、1867年、松山市の生まれです。 俳人であり、歌人であった、のぼさん(本名は昇)。35歳で脊椎カリエスのため逝去。 10年間、辛い病床にありながら、母上と妹さんの、温かい家庭介護のもと、常に多くの友達が病床を取り囲んでくれていた、のぼさん。 苦しい病に耐えているという悲壮感は感じられず、むしろ淡々と「見たものを見たように」詠んでおられたように感じられます。そして、そこには暖かさとユーモアが漂っている。このあたりは、やはり「伊予のお方ぞなもし」。 恥ずかしながら、ワタクシメも、メロウ倶楽部の俳壇の隅で駄句を作っております「俳号・宇宙人」ということもあり、子規記念博物館にはなんとしても来たかったのです。 そして、もう一つ。愛媛県出身の俳人は、実に多いのです。内藤鳴雪、高浜虚子、河東碧梧桐、松根東洋城、中村草田男、石田波郷、きっと、もっとおられることと思います。 (序でながら「漫画家」には四国の方が多いのですが、特に愛媛県出身の方が多いみたいです) ここでも、受付の方が親切でした。その上、入場券のシニア割引があり、500円の半額の250円にして頂けました。何か申し訳ないみたいです。 展示を見ての感想ですが、あの子規の背景として「明治という時代」と「伊予松山の風土」があったのですね。多くの仲間、サポーターがいてくれたこと。これも「幸い、周囲に仲間がいた」のではなく、子規の側に、多くの仲間を集める「何か」があったのだと思いました。 子規大好き人間のわたしとしては、そういう子規への思いが、今度の旅と、この博物館の見学によって一層確かなものになったような気がしました。 |