画像サイズ: 640×332 (89kB) | 旅の終わりは「坊っちゃん列車で」
松山の駅で「坊っちゃん列車切符売り場」の看板を見ました。 えっ。こんなのがあるんだ。これは何としても乗らなきゃ。そうだ、翌日、JR松山駅に行くときにこれに乗ろう、と決めました。 ところが、お立ち会い、そんな簡単なものではなかったのでした。 なにしろ、30人も乗ればいっぱいになる「マッチ箱」のような列車でしょ。これが一日6本。 ですから、予約制となっているのです。でも、その時点で一応予約がとれました。28番です。 「すみませんが、番号順に乗っていただきますので、28番ですと立ち席になります」と言われましたが、せいぜい、5分の旅です。それは我慢できます。 創業、明治18年。夏目漱石さんのころから走っていたのですね。ただし1962年ごろSLは時代の波に押されて一度、引退しました。 復活したのは、15年前だそうです。ただし、まさか街の中心地に「シュッシュッポッポッ」を走らせる訳にはいかないので、いまはジーゼル車です。そして、煙を出す代わりに人畜無害な『水蒸気』を出して『プォーッ』といっているのです。 でも当時、これがあったからこそ、街の中心から少し外れた道後温泉へ、大勢のお客さんが来られたのかもしれません。しかし、街のメインストリートをもくもくと煙を吐きながらSLが走る姿を想像すると、おかしいですね。 「坊っちゃん列車」と名乗っていますが、漱石さんは、やれ「マッチ箱のような汽車だ」とか、ケチばかりつけていたのです。松山のことをバカにしていたのです。ケシカラン! (でも私、漱石さん、本当は松山が好きだったのではないかと思います。でも「屈折した江戸っ子」らしく、一ひねりした表現にしたのかもしれませんね) 小説には「ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である」とありますが、私の乗った日は、切符は500円でした。これまた面白いのですが、この運賃、翌日の10月1日から、大幅値上げで、800円となったのです。値上げ前料金最後の日だったのですね。 「はーい、28番さん、どうぞ」と言われて乗ったとき、座席は、愛媛県のどこかの老人会の団体さんで塞がっていました。しかし、リーダーの方が「せっかく遠いところからお見えじゃけ、座ってもらい」とおっしゃって席を譲ってくださいました。 僅か、5分ですが、車掌さんは、名調子でガイドをしてくれました。また、JR松山駅へ行きたい私を乗り換え駅で、普通の電車へ案内してくださり、荷物も運んでくださいました。伊予の旅・最後の「おもてなし」でした。 たった2日でしたが、とにかく、楽しい忘れられない旅でした。お読み頂きありがとうございました。 追記・たしかに駅の売店で「お遍路さんの白衣など」を売っていました。 |