画像サイズ: 570×640 (94kB) | 内子町並み保存地区 その1
さて、橋邸の少し先の「町並み保存地区」へいきましょう。 内子というところは、江戸時代から木蠟、和紙の製造で栄えた町だったのですね。 しかも、松山などから少し離れた場所にあり、戦災にも遭わなかったので、江戸時代から、明治・大正のまちなみがよく残されていたのでしょう。 でも、それだけでは「古い町並み」を保存することはできません。こういうことは、急に「はい、地域創生・町おこしです」と役所が呼びかけたって出来るものではないと思います。
やはり、明治からこの方、歴代の住民の方の「地元を愛する気持ち」と「何とかして、町並みを守っていこうという情熱」があってはじめてやれることだと思います。私も経験がありますけれど、古い家屋の保守って、物凄く大変なのです。 「八日市護国町並みセンター」には大工道具なども保管されているようですが、カンナなどを使いこなせる人材の育成も大変だと思うのです。 家の外壁も美しいです。そして「格子」、「瓦屋根」も。 さすが、お医者さんは奥の方の近代的な建物でやっておられるようですが、門の看板は「院醫川小」となっています。これじゃ、「今どきの患者さんには、わからんかもしれん」と脇に「小川医院」という看板をとり付けられたのでしょう。ご苦心の程が察せられます。 ちなみに「内子町」は、ミシュランガイド日本版で1つ星を獲得しています |