平成も四半世紀を過ごしました、懐かしきは昭和の時代です
輝かしい青春時代 バリバリの仕事人間だった時。
国の内外を問わず企業出向の経験もおありですか?
お話し下さい・・・貴方の昭和
※ ご投稿は「メロウ伝承館」へ転載させていただくことがあります
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[No.2865]
Re: バナナ
投稿者:夏子
投稿日:2016/03/13(Sun) 11:05
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まやさん、こんにちは。
> > 下宿屋さんというのは、賄い付きの値段でしょうか?それとも部屋代のみ?
>
> 部屋代のみです。食糧難の時代ですから、賄い付きで下宿人を置くのは金持ち
> が出来の悪い息子の家庭教師をつけるときくらいだったように思います。
アハハ、なるほど・・・今も昔も都会の家賃は高そう。
まやさんより少し年下の夫は、下宿の経験がありますが、その頃は食糧事情も
少しよくなっていたのか、みな賄い付きだったみたいです。
でも、アルバイト先で食事が出るのは楽しみだった、と言っていましたね。
下宿の食事とは、ちょっと目先の違うものが出たのでしょう。それに、当時、
学生アルバイトとは言え、家庭教師を付ける家は、金銭的には裕福な家庭
だったでしょうから、美味しいものが食べられたのかも。
> 女性で親元を離れて進学するには例外を除いて女子大のような寄宿舎がある
> ところに限定されていたようです。
今でも、親は、女子大の寄宿舎というと、何となく安心しそうですね。
夏子
[No.2864]
アルミ食器
投稿者:夏子
投稿日:2016/03/13(Sun) 10:50
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ザックスさん、こんにちは。
> > 下宿屋さんというのは、賄い付きの値段でしょうか?それとも部屋代のみ?
>
> これを読んで昔を思い出しました。私は
>
> ・寮
> ・下宿<食事つき
> <食事なし
> を経験しています。
>
> 寮のはアルミの入れものの ご飯、汁、おかず の3つでした。戦後で物のない時代。
>
> 食事はついても貧しいものでした。
私は下宿の経験はありませんが、アルミの入れ物、と言うと、小学校の給食を
思い出します。給食とは言っても、脱脂粉乳を沸かして、アルミのちっちゃな
ボールに入ったものだけでした。
それでも、戦後の児童の栄養補給には役に立ったような気がします。嫌って
飲まない子もいましたが、私は結構好きで、お替りまでしたっけ。
ザックスさんの下宿のアルミ食器に入った貧しい食事も、たぶん体調管理には
役だったことでしょうね。
学生さんが食材探しと食事作りに掛ける時間も減ったでしょうしね(^o^)/
アルミの食器と言えば、昔の軍隊なんか、そんなイメージがありますが、映画か
何かで見たのかしら?
> たまに恩師の家ですき焼きなどをご馳走になり、感激したものでした。
わぁ、それはごちそうでしたね。もっとも、私が肉嫌いになったのは、すき焼きの
中の脂身の塊を食べてからでした(^^ゞ 夫は、あれが大好きだったのですから、
好みはほんと人さまざま。
> また、親から送ってくる小包は嬉しいものでした。
親御さんの心づくし、懐かしい思い出でしょう(^o^)/
夏子
[No.2863]
Re: バナナ
投稿者:まや
投稿日:2016/03/12(Sat) 22:05
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夏子さん、こんばんは!
> > 田舎暮らしは私もご同様、なにしろ九州の片田舎で育ったのですから。
> > ただ、戦後10年の凄まじいばかりの変化は、この時代を「生活者」と
> > して生きていた者でないと判らないかもしれませんね。特に経済が大きく
> > 変化する都会と言われる環境から少しでも遠いところでは、ほとんど変化
> > は感じられなかったことと思います。
>
> 変化を感じられなかったのは、私が幼かったからばかりではないかもしれませんね。
>
> > さて、バナナ一房で15,6本はついているでしょうか、それが500円
> > だったのを記憶しています。下宿屋が畳一枚で千円見当で値段が決ると言われ
> > た時代です。つまり3畳なら3千円、6畳間なら6千円といわれていたころで
> > す。想像できます?
>
> 下宿屋さんというのは、賄い付きの値段でしょうか?それとも部屋代のみ?
部屋代のみです。食糧難の時代ですから、賄い付きで下宿人を置くのは金持ち
が出来の悪い息子の家庭教師をつけるときくらいだったように思います。
女性で親元を離れて進学するには例外を除いて女子大のような寄宿舎がある
ところに限定されていたようです。
まや
[No.2862]
Re: バナナ
投稿者:ザックス
投稿日:2016/03/12(Sat) 16:31
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夏子さん、こんにちは。
> 下宿屋さんというのは、賄い付きの値段でしょうか?それとも部屋代のみ?
これを読んで昔を思い出しました。私は
・寮
・下宿<食事つき
<食事なし
を経験しています。
寮のはアルミの入れものの ご飯、汁、おかず の3つでした。戦後で物のない時代。
食事はついても貧しいものでした。
たまに恩師の家ですき焼きなどをご馳走になり、感激したものでした。
また、親から送ってくる小包は嬉しいものでした。
[No.2861]
Re: バナナ
投稿者:夏子
投稿日:2016/03/12(Sat) 14:55
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まやさん、こんにちは。
> 昭和20年代は終戦から大変なインフレの時代でした。
> 新円切り替えがあったことは言葉だけでもご存じでしょう。
そうなんでしょうね。新円切り替えも、言葉としては聞いたことがありますが、
実態については知らず・・・です(^^ゞ
まやさんを煩わせては申し訳ないので、ここで、検索してみて、そこそこは
分かりました(^^ゞ 新札の10円札と100円札は、よく覚えている、と言うより
それしか知りません。この札はまだ持っていると思いますが、記念だと思って、札の
裏に当時の住所氏名を書いてしまったので、使えません。
ネットによると、新10円札の中央下の「Y10」の影はGIになっていて、GIが
睨みをきかせているといると言われたものだった、と書いてありましたが、拡大して
みても、さっぱり分かりませんでした。我が家の行方不明の10円札が出てきたら、
確認してみます(^o^)/
> 田舎暮らしは私もご同様、なにしろ九州の片田舎で育ったのですから。
> ただ、戦後10年の凄まじいばかりの変化は、この時代を「生活者」と
> して生きていた者でないと判らないかもしれませんね。特に経済が大きく
> 変化する都会と言われる環境から少しでも遠いところでは、ほとんど変化
> は感じられなかったことと思います。
変化を感じられなかったのは、私が幼かったからばかりではないかもしれませんね。
> さて、バナナ一房で15,6本はついているでしょうか、それが500円
> だったのを記憶しています。下宿屋が畳一枚で千円見当で値段が決ると言われ
> た時代です。つまり3畳なら3千円、6畳間なら6千円といわれていたころで
> す。想像できます?
下宿屋さんというのは、賄い付きの値段でしょうか?それとも部屋代のみ?
というのが、昭和41年頃、2Kの、Kというのとはイメージ違って、長屋で
6畳+4畳半の2つのタタミ部屋+2畳くらいの玄関と2畳くらいの土間の
台所で、半間のお便所、1間の廊下、半間の物入れが付き、別に、4軒が共同で
使うお風呂が付いていました。
書いていて思い出しましたが、4畳半のほうは、1,5間の押入れ付きでした。
まやさんが住まれた頃の6畳の下宿より安い!都会は、やっぱり高いですねぇ。
> それで、友人をもてなすのに1房500円のバナナです。
奮発されたことになるのかな? 下宿代の1割くらいでしょうか?
お友達は感激されたのでは?(^o^)/
> バナナだけでなく、昔は入手困難だったものが輸送手段や保存手段などが各段
> に進歩してきたおかげで格安に入手できるようになり、身近なものになったのを
> 実感してる昨今です。最近ではときどき黒ずんで安くなっているバナナを一本買
> いしたりすることがあります(^_-)
おっしゃるとおり、輸送手段や保存手段は格段に進歩しているようですね。
恩恵を日々こうむっています(^o^)v
夏子
[No.2860]
Re: バナナ
投稿者:まや
投稿日:2016/03/12(Sat) 07:59
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夏子さん
> Pan さんやまやさんと10歳ほど違うせいか、闇市などというものは、テレビや
> 映画などで見るだけの存在でした。
昭和20年代は終戦から大変なインフレの時代でした。
新円切り替えがあったことは言葉だけでもご存じでしょう。
田舎暮らしは私もご同様、なにしろ九州の片田舎で育ったのですから。
ただ、戦後10年の凄まじいばかりの変化は、この時代を「生活者」と
して生きていた者でないと判らないかもしれませんね。特に経済が大きく
変化する都会と言われる環境から少しでも遠いところでは、ほとんど変化
は感じられなかったことと思います。
> まやさんが、学生の身で一房買われたということですから、それほど高価という
> 訳ではなかったのかな??
さて、バナナ一房で15,6本はついているでしょうか、それが500円
だったのを記憶しています。下宿屋が畳一枚で千円見当で値段が決ると言われ
た時代です。つまり3畳なら3千円、6畳間なら6千円といわれていたころで
す。想像できます?
それで、友人をもてなすのに1房500円のバナナです。
物価は入手が困難か容易かによって変わりますね。南方から船倉に積んで
はるばる運ばれてくる時代と、冷蔵技術も輸送手段も格段に変化してきた時
代とは大きく変化します。
> > バナナのたたき売りの話しは子供の時から聞いてはいましたが、私達の
> > 子供の時代には、やっと遠足の時一本持っていった程度で、叩き売りなん
> > て絵空事の世界でした。
>
> たたき売り、という言葉すら知らなかった子供時代だったと思います(^^ゞ
バナナのたたき売りを知っているのは門司港に金持ちの伯母が住んでいたので
ときどき行ったときに買ってもらったりしたことがあるからです。
バナナだけでなく、昔は入手困難だったものが輸送手段や保存手段などが各段
に進歩してきたおかげで格安に入手できるようになり、身近なものになったのを
実感してる昨今です。最近ではときどき黒ずんで安くなっているバナナを一本買
いしたりすることがあります(^_-)
まや
[No.2859]
バナナ
投稿者:夏子
投稿日:2016/03/11(Fri) 22:50
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Pan さん、まやさん
Pan さんやまやさんと10歳ほど違うせいか、闇市などというものは、テレビや
映画などで見るだけの存在でした。
しかし、お二人と比べて田舎暮らしというせいだったのかもしれません。
闇市に行ったとか、買い出しで苦労した、とかいう話を、親をはじめ周囲の
大人たちから聞いたこともありません。
田舎とは言え、農家は少なかったと思いますが、それでも、人口の少ない、闇市や
買い出しをしなくてはいけないほどではなかったのかな、と想像しています。
それでもですよ、小学校低学年の頃、おそらく同じ頃ではないかと思いますが、
私の記憶では隣の少し大きな町に行った時、1本買って貰ったバナナをきょうだい
3人で分けて食べたことを覚えています。
その3,4年後だったか、おばあちゃんの家に下宿していた若いおまわりさんから
バナナを一房もらったことがあります。びっくり仰天、そして嬉しかった(^^ゞ
それは、当時、フィリピン船でしょうが、ラワン材などを積んだ船がよく港に入り
ましたが、警察官の仕事として検査か見張りか知りませんが、そういうのがあった
ようで、その時、くれたらしいです。ワイロみたいなものですかね(^^ゞ
まやさんが、学生の身で一房買われたということですから、それほど高価という
訳ではなかったのかな??
> バナナのたたき売りの話しは子供の時から聞いてはいましたが、私達の
> 子供の時代には、やっと遠足の時一本持っていった程度で、叩き売りなん
> て絵空事の世界でした。
たたき売り、という言葉すら知らなかった子供時代だったと思います(^^ゞ
おかげさまで、バナナは常備食として、数本入りのバナナを買い置きしています。
その1袋が、今や、当時の1,2本の値段と同じくらい、貨幣価値から言えば、
激安になっていますね(^o^)/
夏子
[No.2858]
Re: 闇市
投稿者:Pan
投稿日:2016/03/11(Fri) 13:12
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まやさん、みなさん こんにちは。
> そうですね。私は学生で一人の間借り生活をしていましたが、友人が
> 宝塚近くの下宿に遊びに来たとき、「バナナのたたき売り」(私は門司
> 港で子供時代に何度も見たことがあったので)を見て、友人に驚かれな
> がら平気でバナナを一房買って帰り、一緒に何本も食べたのを覚えてい
> ます。ほかに何も歓迎のおモテナシもできない時代でした。
バナナのたたき売りの話しは子供の時から聞いてはいましたが、私達の
子供の時代には、やっと遠足の時一本持っていった程度で、叩き売りなん
て絵空事の世界でした。
明治時代にコレラの大流行があって、バナナは危険だとの風評もあったのかな?
バナナを食べた後は消毒にと、エリ−(乳酸菌飲料)を飲ませて貰った
のも嬉しかった。(^-^)
闇市でも叩き売りは見ましたが、何故か買った記憶がありません。
> > 「張った張った、張って悪いは親父の頭。張らなきゃならぬは
> > 提灯屋」なんて云った具合です。
>
> こういうのもありましたねぇ。九州のイナカに帰ったときも駅に近い
> 街中でやっていました。路上に何か敷物をして・・・
少し思い出せました。 円盤のを扇形に6等分に区域に分け、1〜6迄
の番号が書いてありました。
中心の細い芯の回りで回転させ、客の一人にその回転円盤に太い木綿針
を打ち込ませます。
その番号が「当たり」です。
テーブル上の用紙にも何当分かの仕切りがあり、客はその区切りのどこか
に10円札を張ります。
円盤の当たり番号に張っていた人は、張金の五倍の金額を貰って行きます。
例えば一人が一枠に10円札10枚(計100円)を張って、それが当た
れば500円貰えることになります。
何か一寸した記憶違いがありますね。 それ以上は思い出せません。
胴元は長時間続ければ確実に儲かる仕組みになっていることが判ったので、
手を出しませんでした。
***** Pan *****
[No.2857]
Re: 闇市
投稿者:まや
投稿日:2016/03/11(Fri) 01:56
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Panさん、こんばんは。
> もう何回も話題にはなっていると思いますが、闇市の話しは若
> い方にはピンと来ないでしょうね。
>
> 今思えば活気があって面白かったです。
そうですね。私は学生で一人の間借り生活をしていましたが、友人が
宝塚近くの下宿に遊びに来たとき、「バナナのたたき売り」(私は門司
港で子供時代に何度も見たことがあったので)を見て、友人に驚かれな
がら平気でバナナを一房買って帰り、一緒に何本も食べたのを覚えてい
ます。ほかに何も歓迎のおモテナシもできない時代でした。
> 「張った張った、張って悪いは親父の頭。張らなきゃならぬは
> 提灯屋」なんて云った具合です。
こういうのもありましたねぇ。九州のイナカに帰ったときも駅に近い
街中でやっていました。路上に何か敷物をして・・・
まや
[No.2856]
闇市
投稿者:Pan
投稿日:2016/03/10(Thu) 00:26
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みなさん、こんばんは。
もう何回も話題にはなっていると思いますが、闇市の話しは若
い方にはピンと来ないでしょうね。
今思えば活気があって面白かったです。
第3国人(当時はそう呼びました。自称戦勝国です)は日本の
警察に捉まらないものですからるやり放題で、京都の新京極の奥
の松竹歌劇の前の広場や堀川通りではカレーライスの大掛かりな
炊き出しや、禁制品の露天市が立って何でも手に入りました。
その頃休学していたこともあって、何度か行って鰯の丸干しな
どを買って帰ると喜ばれました。
博打もやっていました。 その名前は忘れましたが、口上が面
白かったので、行くたびに覗いてきました。
机に拡げた白い大きな紙の上に10円札を何枚か置いていました。
その仕組みは簡単で私にも理解出来ましたが勿論参加したことは
一度もありません。
「張った張った、張って悪いは親父の頭。張らなきゃならぬは
提灯屋」なんて云った具合です。
***** Pan *****
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