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 昭和の部屋   2014.8.19更新

   平成も四半世紀を過ごしました、懐かしきは昭和の時代です
 輝かしい青春時代 バリバリの仕事人間だった時。
 国の内外を問わず企業出向の経験もおありですか?
 お話し下さい・・・貴方の昭和
 ※ ご投稿は「メロウ伝承館」へ転載させていただくことがあります


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  • [No.2685] 牛乳配達 投稿者:Pan  投稿日:2015/12/01(Tue) 19:19
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    みなさん、こんばんは。

     小さな時、毎朝牛乳の配達をして貰っていました。

     玄関には郵便受けと並んで「牛乳箱」が取り付けてありました。

     若い元気なお兄ちゃんが、自転車の荷物台に取り付けた大きな
    袋に牛乳瓶を一杯入れて配達に来てくれたように思います。


      ***** Pan *****


    [No.2684] Re: 三助 投稿者:あや  投稿日:2015/12/01(Tue) 18:08
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    >  僕が子供の頃、銭湯に行くと「ポン ポーン」という大きな音がしたものです。
    > 三助という職業の人が、洗い場で垢すりや按摩をサービスしていました。

    懐かしいわー!
    自宅にはお風呂はなかったので、銭湯へ通いました。
    東京の大森に住んでいましたが、三助のおじさんとも仲良くなりましたね。
    やさしいのです。

    小学校2年生のころは、同級生が銭湯の息子で、そこへよく遊びに行きました。
    お湯を沸かしている大きな、大きな桶? の蓋の上で遊んだんですが、熱湯だった
    ので時々叱られたような気がします。


    > 銭湯が好きで今でも時々行きますが、何時の頃からか三助は見かけなくなりました。

    今でもありますが、料金が高いですよね。

     当地でも銭湯は次々に廃業となって、バスで数十分行くと銭湯が一軒あります。
    男湯の湯船側の壁には、富士山が書いてある銭湯が多かった。女湯はどんな絵なのでしょう?
    大きな湯船にどっぷり浸かった後、着替え場で飲む冷えたコーヒー牛乳など、美味しかった。

    女性湯もほとんど富士山だと思います。
    ほんとうにあの湯船はいいですね。足を延ばすようにして湯船の淵に手をかけて
    斜め座りでした。そして、富士山を眺めていたのです。

    子どものころから長湯で、何十分も入っていて、みんなに
    「帰るよー」と言われましたっけ。

    今でも長湯です。


    [No.2683] Re: 紙芝居 投稿者:あや  投稿日:2015/12/01(Tue) 17:46
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    なつかしいお話しをありがとうございました。
    どう返信していいかわからず、今日まで来てしまいました。

    会議に出かける前に時間ができたので!

    >  戦前から戦後の昭和20年代にかけて、紙芝居やさんがいました。
    > 紙芝居の舞台の下は、水飴やせんべいなどの駄菓子の引き出しになっていて、集まった子
    > 供にそれを売っての商いでした。

    > 時々、駄菓子を買わない子供を指さして、お前はいつも只見だな、たまには買えよと脅し
    > ていました。

    > 僕は毎回只見だったけれど、一度名指さされなかった。

    私も只見でした。家が貧乏で買えなかったのです。只を許されていて、時々棒をかじる
    ことができました。ものほしそうな顔をしていたのでしょうか?

    > 紙芝居の内容は、黄金バットが人気だった。ほかに少女向けの涙ものやサザエさんに似た
    > ものなど三本立てだしたっけ。

    内容は覚えていないのですが、おじちゃんに時々、紙をめくらされたり、やらされ
    たりしたことがあります。楽しかったです。
    紙をめくるの大変でした。


    [No.2682] Re: 半鐘 投稿者:七君  投稿日:2015/11/28(Sat) 14:21
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    Panさん、meguさん、みなさん こんにちは

    > > 田舎育ちなので珍しくもなかったですが、消防小屋と火の見櫓ってありましたね。
    > > その櫓には半鐘がありました。また小屋では若衆が酒盛なんぞで盛り上がってましたっけ。その半鐘の叩き方で火事や災難の知らせが違ってましたっけ。
    >
    >  それは懐かしい。
    >  私も半分は田舎育ちですから、それを見て育ちました。
    >
    >  自分で叩いたことはありませんが、100m程の近くだったので何回
    > か鳴らしているのを見たことがあります。

    火の見櫓の半鐘は聞いたことがないですが、消防車の鳴らす半鐘?は良く聞きました。
    サイレンとともにけたたましくならして通るのは おっ、火事だぞ、どこかな? でしたが、
    しばらくして、サイレンなしで「チャン、チャンチャン、、」と鳴らして通ると、
    あ、消えたんだな と思ったものです。


    [No.2681] Re: 半鐘 投稿者:夏子  投稿日:2015/11/28(Sat) 13:11
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    めぐみさん、皆さん

    > 火の見櫓はガキの頃は良く登って遊びました。今となっては懐かしい思い出です。

    1か月も過ぎた亀レスですが、この話題が出た時から、うちの近所にあったよなぁと
    思っていましたが、もしかしたら、もう取り壊されてしまったかも、なんて
    コメント出来なかったです。

    今日は忘れずに確認してきました。まだ、確かに存在していました。
    Panさんのご紹介の火の見櫓よりは本格的みたい。

    でも、鉄塔?鉄柱?は赤錆びが出てまだらになり、見苦しくはなって
    いましたね。小さな半鐘はまだぶら下がっていたようです。

    現役ではないと思うけど、歴史の証人として残しておいて欲しいです。
    何となく、風景に趣を添えていますから。夕焼けの中に立つ古い火の見櫓、
    絵になりますよね〜。

    車でよく通る道なんですが、上は滅多に見ないもので、じっくり見たこと
    はありません。
    夏子


    [No.2680] Re: 紙芝居 投稿者:マサちゃん  投稿日:2015/11/28(Sat) 06:59
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    まやさん  おはようございます


    >  私が子供の頃、近くに巡回してくる紙芝居やさんは二人いて、一人のバイオリンの
    > 弾き語りをするオジサンのほうに人気がありました。「あめ」に何を使っていたか、
    > どんなストーリーのものを持ってきていたか、少しの記憶もありません。

     僕のところも二人いて、一人は話がものすごく速くてあっという間に終わりましたが、
    あと一人の方は、子供の表情を見ながら丁寧に話を進めてくれました。
    「アメ」は当初は水飴でしたが、戦後は茶色の「芋アメ」になりました。
    この「芋アメ」は割り箸に巻き付けて、両手で引っ張ったりくっつけたり、かき混ぜるよ
    うにすると、晒し飴になって白くなるんですね。
    この作業がむずかしいので、年長のお姉さんにやってもらったりしました。


    [No.2679] Re: 紙芝居 投稿者:まや  投稿日:2015/11/27(Fri) 21:06
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    マサちゃんさん、今晩は!

    >  戦前から戦後の昭和20年代にかけて、紙芝居やさんがいました。
    > ドンドンと太鼓の音、またはカンカンという木を叩く音がすると、みんな何時ものところへ駆けて行きました。
    > 自転車の荷台に紙芝居の台を乗せて、町の要所要所を廻っての紙芝居やさんです。

     私が子供の頃、近くに巡回してくる紙芝居やさんは二人いて、一人のバイオリンの
    弾き語りをするオジサンのほうに人気がありました。「あめ」に何を使っていたか、
    どんなストーリーのものを持ってきていたか、少しの記憶もありません。

    まや


    [No.2678] 紙芝居 投稿者:マサちゃん  投稿日:2015/11/27(Fri) 18:29
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     戦前から戦後の昭和20年代にかけて、紙芝居やさんがいました。
    ドンドンと太鼓の音、またはカンカンという木を叩く音がすると、みんな何時ものところへ駆けて行きました。
    自転車の荷台に紙芝居の台を乗せて、町の要所要所を廻っての紙芝居やさんです。
    紙芝居の舞台の下は、水飴やせんべいなどの駄菓子の引き出しになっていて、集まった子
    供にそれを売っての商いでした。
    時々、駄菓子を買わない子供を指さして、お前はいつも只見だな、たまには買えよと脅し
    ていました。
    僕は毎回只見だったけれど、一度名指さされなかった。
    紙芝居の内容は、黄金バットが人気だった。ほかに少女向けの涙ものやサザエさんに似た
    ものなど三本立てだしたっけ。


    [No.2677] Re: 三助 投稿者:マサちゃん  投稿日:2015/11/27(Fri) 06:54
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    寒梅さん  おはようございます

    >  そう三助さんおりましたね、戦後は見かけなくなりましたけれど、
    >  当地では20年ほど前ビルに建て変わった銭湯で三助さんを置きましたが成り立たない
    > ようで間もなく廃止されました、そして廃業になりました。歩いて10分圏内で6軒ほど
    > の銭湯が廃業です。良い社交場ですのにね。

     当地でも銭湯は次々に廃業となって、バスで数十分行くと銭湯が一軒あります。
    男湯の湯船側の壁には、富士山が書いてある銭湯が多かった。女湯はどんな絵なのでしょう?
    大きな湯船にどっぷり浸かった後、着替え場で飲む冷えたコーヒー牛乳など、美味しかった。


    [No.2676] Re: 三助 投稿者:マサちゃん  投稿日:2015/11/27(Fri) 06:38
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     夏子さん  おはようございます

    > マサちゃんは、都会のお育ちなんですかね? 私は、周囲の人からも、一度も三助さんが
    > いた、という話を聞いたことがありません。田舎にはない職業だったのかも。

     僕は子供の頃は、京城(今のソウル)の真ん中に住んでいました。
    我が家には五右衛門風呂があったのですが、時々祖父が銭湯に連れて行ってくれました。
    三助はふんどし一丁で、女風呂も自由に入って年寄りの按摩をしていたようです。
    戦後内地に引き揚げてきてからは、三助は見たことがありません。
    戦前は内地では結構流行っていたようですよ。


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