平成も四半世紀を過ごしました、懐かしきは昭和の時代です
輝かしい青春時代 バリバリの仕事人間だった時。
国の内外を問わず企業出向の経験もおありですか?
お話し下さい・・・貴方の昭和
※ ご投稿は「メロウ伝承館」へ転載させていただくことがあります
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[No.2584]
Re: 縫い付けられた個人情報
投稿者:Kenza
投稿日:2015/10/21(Wed) 20:00
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> 思い出しました。 胸と防空頭巾でしたかね。
そうでした。そして、防空頭巾の名札は、見事に役立ちました。
空襲の日、母親と一緒に、焼夷弾が降る中を逃げたのですが、途中で離れ離れに。
逃げた川原には大勢の人がいたのですが、火災が収まるにつれてほとんどいなく
なってしまいました。
こちらは一人ぼっちで帰る道も分からず、どうしたものかと途方にくれてたところ、
頭巾の名札を見た母親の知人が声を掛けてくれたのです。幸い、その方の家は、
逃げた川原の近くで、明日送って行ってあげるから一晩泊まっていけとのこと。
当日はそのまま一泊させてもらいました。
翌日、送って行ってもらう途中の橋の上で、探しに来た母親とバッタリ。
> 血液型はその後20年も経った頃、献血のために調べた時と同じ
> でした。
こちらは、役立たずでした。大人になって献血したら、異なる血液型でした。
[No.2583]
Re: 防空壕
投稿者:寒梅
投稿日:2015/10/20(Tue) 22:18
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めぐみさん、みなさんこんにちは。
我が家は日光街道沿いにありました。千住あたりは結構道幅は広く
(現在も同じですが)市電もはしっていました、広い歩道は子供たちの遊び場で
茣蓙を敷いてままごと遊びをしていました、そこに防空壕がずらずらっとほられ
ました。
私たちは縁故疎開、集団学童疎開で東京を離れましたので防空壕に入った経験
はありませんが、イヨイヨ危ないと兄たちは大事なものを壕のなかに埋めてリヤ
カーに必需品を積み60キロあるいて父の実家まで逃げたそうです。
後に壕に隠された貴重品は盗難にあったそうですが、我が家には金目なものは
ありませんので無事に写真等が残りました。
防空壕の思い出です、私たちの親世代は大変な苦労でしたでしょうね。
今 千住は大学が続々とでき若者が沢山 こんな光景見せてあげたかった。
寒梅
[No.2582]
Re: 防空壕
投稿者:あや
投稿日:2015/10/20(Tue) 18:59
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>
> > 終戦後子供の頃近所の竹藪の中に素掘りの防空壕がありました。
> > その中で遊んだものでした。
竹藪ではありませんでしたが、東京のわが家の近所ではちいさなかまくらのような
感じで防空壕があったような気がします。
中に入ったことないのですが、穴が掘られていたのでしょうか。
私の家では、8畳ほどの地下室が防空壕にしていたのです。
普段よく遊びましたが、このような防空壕は怖いと思いました。
>
> 始めて防空壕を掘ったのは昭和17年だったかな?
> 空母からの爆撃機が日本に来た直後です。
そんな時代にお手伝いをされたなんて? 驚きです。
>
> 最初は押し入れの下段一角を確保して、そこへ非常用品などを確保
> し、家族全員が入れるようにとの事でしたが、その時既に7人家族で
> したから入れるはずもありません。
>
> それから暫くして、床下に穴を掘るようにとの命令が来ました。
>
> 一番広い部屋の畳を上げ、床板も外して、その下に2メートル角程
> 度、深さ1m程の縦穴を家族総出で掘りました。
>
> 掘り上げた土は、その縦穴の周囲に盛り上げました。
>
> 底には蓆を敷いたような気がします。
>
> 一部には階段も必要ですから、家族全員がしゃがみ込むのがやっと
> の広さです。
>
> まるで墓穴を掘っているようだと言い合いました。
>
> これでも近くに爆弾が落ちたときには、助かる可能性が大きいとの
> 事でした。
>
わが家と同じような感じですね。
私たちは父の知り合いの家へ越したことで、地下室があったのです。
あの時代びっくりしたものです。
> 幸い、その防空壕に入る機会は無いまま終戦を迎えました。
>
よかったですね。
[No.2581]
Re: 防空壕
投稿者:tenbosch
投稿日:2015/10/20(Tue) 10:16
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めぐみ さん、Panさん、こんにちは。
> 始めて防空壕を掘ったのは昭和17年だったかな?
> 空母からの爆撃機が日本に来た直後です。
Panさん、そんなに早く防空壕を掘られ他のですね、私は掘った経験はありません。
借家住まいでしたが、家の前に昔の川と思われるのに蓋をしたような道路(幅5m)
があり、 其の川を近くの住民が防空壕代りに使用して居ました。
> それから暫くして、床下に穴を掘るようにとの命令が来ました。
当市でも終戦前年の19年から同様の命令が軍から来たようです。
> 19年の春には私だけが郷里の祖父母のもとで中学校へ入り、父の
> 勤務先もその近くに替わり、6月末には全員田舎へ揃いました。
当市は軍港(鎮守府)でしたが、散発的な空襲しかありませんでしたが、
20年の6月28日の深夜に本格的な空襲を受け、道路下の防空壕に逃げ込みました、
近所数軒が焼夷弾で焼けました。
> 幸い、その防空壕に入る機会は無いまま終戦を迎えました。
使用せずに終わり良かった出すね。
私は、当市の空襲の数日後に田舎の叔母が一家全滅するのではないかと心配して
私だけを自分の住む田舎え疎開と言う形で無理やり連れて行き終戦年の年末近く迄
居ました。この様な思いは、次世代、次々世代には味合わせたくない思いですね。
TENBOSCH
[No.2580]
Re: 縫い付けられた個人情報
投稿者:寒梅
投稿日:2015/10/20(Tue) 08:55
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マサちゃんさん、みなさんおはようございます。
>
> 僕の場合は、戦時中の検査ではAB型でしたが、戦後献血の際はA型と知らされました。
>胃の摘出の際に輸血した貰いましたが、A型に間違いないようです。
やっぱりですね、あの時は一斉に検査ですからそうとうの混雑振りでした。私は
o型でした、血液型占いでは当たっているようで変に納得しています。
輸血の際はきちっと検査の必要がありますね。
寒梅
[No.2579]
Re: 縫い付けられた個人情報
投稿者:マサちゃん
投稿日:2015/10/20(Tue) 08:28
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マーチャン おはようございます
僕の場合は、戦時中の検査ではAB型でしたが、戦後献血の際はA型と知らされました。
胃の摘出の際に輸血した貰いましたが、A型に間違いないようです。
[No.2578]
Re: 縫い付けられた個人情報
投稿者:まや
投稿日:2015/10/20(Tue) 01:29
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マーチャン、今晩は!
> 私の場合は、小学校の理科の先生が検査をなさいました。
>
> 大人になってから、献血の時に、確認しましたところ、間違っていませんでした。
>
> 我が家は、両親家族全員、B型です。
私の場合は校医が検査をなさったような?
我が家も家族6人が全員 B型でした(^'^)
まや
[No.2577]
Re: 縫い付けられた個人情報
投稿者:マーチャン
投稿日:2015/10/19(Mon) 16:38
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寒梅さん みなさん
> 私も父親と次兄と三人で近所の医院に夕方伺って血液型を調べてもらいました。
>
> 不思議と70年以上も前のことをはっきり覚えております。
私の場合は、小学校の理科の先生が検査をなさいました。
大人になってから、献血の時に、確認しましたところ、間違っていませんでした。
我が家は、両親家族全員、B型です。
> けれどそれ以後血液型の検査なるものをやった記憶がありません、あれ正確なの
> かしら?
戦後検査したら、違っていた、とおっしゃる方もありました。
[No.2576]
Re: 防空壕
投稿者:Pan
投稿日:2015/10/19(Mon) 16:05
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めぐみさん、みなさん、こんにちは。
> 終戦後子供の頃近所の竹藪の中に素掘りの防空壕がありました。
> その中で遊んだものでした。
>
> 夜になると訓練用だとかの焼夷弾とやらが暗闇を明るくして花火のようでした。
> 10kmくらいの所に飛行場があったのでその場所での訓練とかでした。
始めて防空壕を掘ったのは昭和17年だったかな?
空母からの爆撃機が日本に来た直後です。
郊外の住宅街に住んでいましたから、そんなものを掘る場所はどこ
にもありません。
最初は押し入れの下段一角を確保して、そこへ非常用品などを確保
し、家族全員が入れるようにとの事でしたが、その時既に7人家族で
したから入れるはずもありません。
それから暫くして、床下に穴を掘るようにとの命令が来ました。
一番広い部屋の畳を上げ、床板も外して、その下に2メートル角程
度、深さ1m程の縦穴を家族総出で掘りました。
掘り上げた土は、その縦穴の周囲に盛り上げました。
底には蓆を敷いたような気がします。
一部には階段も必要ですから、家族全員がしゃがみ込むのがやっと
の広さです。
まるで墓穴を掘っているようだと言い合いました。
これでも近くに爆弾が落ちたときには、助かる可能性が大きいとの
事でした。
19年の春には私だけが郷里の祖父母のもとで中学校へ入り、父の
勤務先もその近くに替わり、6月末には全員田舎へ揃いました。
幸い、その防空壕に入る機会は無いまま終戦を迎えました。
***** Pan *****
[No.2575]
Re: 縫い付けられた個人情報
投稿者:Pan
投稿日:2015/10/19(Mon) 15:40
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マーチャン、KOZARUさん、寒梅さん、みなさん、こんにちは。
> 戦時中の小学生(国民学校生)は、下はもんぺ。上着は作務衣のようなものを着ていました。
> 胸には「名札」をつけていたのですが、これは白い布に墨で書いて上着に縫い付けてありました。
> たしか、氏名、住所、生年月日が書いてあったと思います。
> 早く言えば認識票だったのですね。
> 銃後にあっても、戦災に合い家族バラバラになったときに備えていたのですね。
> 「個人情報保護」なんていう発想は全く無かったのでしょうね。
>
> マイナンバーの記事を見て思い出しました。
思い出しました。 胸と防空頭巾でしたかね。
家族バラバラも勿論でしょうが、兵隊と同じように遺体となった
ときに識別出来るようにとの認識はありました。
血液型はその後20年も経った頃、献血のために調べた時と同じ
でした。
「命は鴻毛よりも軽い」時代ですから個人情報なんて感覚は江戸
時代よりも薄かったです。
***** Pan *****
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