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 昭和の部屋   2014.8.19更新

   平成も四半世紀を過ごしました、懐かしきは昭和の時代です
 輝かしい青春時代 バリバリの仕事人間だった時。
 国の内外を問わず企業出向の経験もおありですか?
 お話し下さい・・・貴方の昭和
 ※ ご投稿は「メロウ伝承館」へ転載させていただくことがあります


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  • [No.2473] Re: 炭火アイロン 投稿者:Pan  投稿日:2015/08/12(Wed) 00:23
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    夏子さん、こんばんは。

    > >  「ひのし」は蓋も煙突も無かったでしょう? 炭火アイロンとは別物ですが
    > > 炭火を使うことだけは共通です。
    > >
    > >  「ひのし」の方が手軽でした。 
    >
    > 火熨斗アイロンでも、フタはありましたよ。フタがなかったら、熱くて、アイロンは
    > 掛けられなかったんじゃないかな(^^ゞ

     火熨斗アイロンと言う物は知りませんが「ひのし(火熨斗)」の事
    です。
     水を撒く杓に似た形で、木の柄が付いていますから火の上には手を
    近付けません

    > >  もっと小さな柄の付いたコテと言うのもありましたね、

    > たぶん、洋裁とか和裁をする際に、縫い代を押さえたり割ったりする時に使って
    > いたと思います。

     それです。(^-^)
     布以外でも小さな作業をするときには使うこともあったようです。

    > 最初に、紙の上にのせて、温度の調節をするんですよね。強すぎると、コテの跡が、
    > 紙に茶色にくっきりと移ったりしてね・・・・(^^ゞ

     そうでしたね、 一部でも焦がしたら取り返しが付きませんから。(*_*)

    > 今は、パッチワーク用なんかに使う、電気コテが、たぶん、市販されていると思う。

     電気式だったらサーモスタットが付いていますから、夏でも冬でも
    殆ど同じ温度に保てると思います。

     電気式は、炭火式と比べてそれが一番大きな特徴ですね。


         ***** Pan *****


    [No.2472] Re: 炭火アイロン 投稿者:夏子  投稿日:2015/08/11(Tue) 23:36
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    Pan さん、こんばんは(^o^)/

    >  「ひのし」は蓋も煙突も無かったでしょう? 炭火アイロンとは別物ですが
    > 炭火を使うことだけは共通です。
    >
    >  「ひのし」の方が手軽でした。 

    火熨斗アイロンでも、フタはありましたよ。フタがなかったら、熱くて、アイロンは
    掛けられなかったんじゃないかな(^^ゞ

    >  もっと小さな柄の付いたコテと言うのもありましたね、
    >  これは中に炭火を入れるのでは無く、炭火の中に突っ込んで加熱だけ
    > して使いました。
    >  これは電気アイロンが普及して方後も使っていましたね。

    たぶん、洋裁とか和裁をする際に、縫い代を押さえたり割ったりする時に使って
    いたと思います。

    最初に、紙の上にのせて、温度の調節をするんですよね。強すぎると、コテの跡が、
    紙に茶色にくっきりと移ったりしてね・・・・(^^ゞ

    今は、パッチワーク用なんかに使う、電気コテが、たぶん、市販されていると思う。
    夏子


    [No.2471] Re: 炭火アイロン 投稿者:Pan  投稿日:2015/08/11(Tue) 22:57
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    夏子さん、めぐみさん、寒梅さん、まやさん こんばんは。

    > 懐かしいですねぇ。これ、たしか火熨斗(ひのし)アイロンと言っていました。
    >
    > > 台座があり煙突付です。
    >
    > 台はあったでしょうが、煙突はついていたかなぁ、と記憶が定かでありませんが、
    > なかったような気がします。めぐみさんちのアイロンは高級品だったのかも。

     「ひのし」は蓋も煙突も無かったでしょう? 炭火アイロンとは別物ですが
    炭火を使うことだけは共通です。

     「ひのし」の方が手軽でした。 

     もっと小さな柄の付いたコテと言うのもありましたね、
     これは中に炭火を入れるのでは無く、炭火の中に突っ込んで加熱だけ
    して使いました。
     これは電気アイロンが普及して方後も使っていましたね。

       ***** Pan *****


    [No.2470] Re: 紀元2600年 投稿者:Pan  投稿日:2015/08/11(Tue) 22:33
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    唐辛子紋次郎さん、みなさん こんばんは。

    > そのほか、記念切手が出たり、提灯行列、旗行列、音楽行進と、いろいろな行事があったようですね。万博も頓挫したけれど、一応は計画されたり、もう大変だったようですね。

     早くから準備した大変な事業だったようですね。

     オリンピックも日本に誘致することに決まっていたのでしょう?

     京都市の当時の新型車両は「オリンピック型」と言われていたと
    聞いています。

       ***** Pan *****


    [No.2469] Re: 紀元2600年 投稿者:Pan  投稿日:2015/08/11(Tue) 22:29
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    まやさん、みなさん こんばんは。

     わざわざ探して頂いてありがとうございます。

    > Panさんが探されたものかどうか? 違うかもしれませんが、それらしき
    >ものをみつけました。歌も?
    > 下記URLで出てくる写真の後のほうをご覧ください。歌もでてきます。
    >
    >http://alien.chang-ume.jp/2012/05/blog-post.html

     この碑の写真は、(紀元二千六百年)で画像検索した時にも見付
    けていましたが、残念ながら大きさが全く違います。

     それにしても、今でもこれだけ多くの碑が全国的に残っていると
    は、いかに大事業であったか忍ばれますね。

     小学生時代は軍都「京都」の「師団街道」沿いに住んでいました
    から、毎日のように兵隊の行軍や演習を見て育ちました。

     大きくなっても兵隊にはなりたくないと思うようになったのはそ
    の影響が大きいです。 (+_+)


       ***** Pan *****


    [No.2468] Re: 紀元2600年 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/08/11(Tue) 22:02
    [関連記事

    そのほか、記念切手が出たり、提灯行列、旗行列、音楽行進と、いろいろな行事があったようですね。万博も頓挫したけれど、一応は計画されたり、もう大変だったようですね。
             


    [No.2467] Re: 紀元2600年 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2015/08/11(Tue) 21:36
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    > 昨日、ある対談の本を読んでいたら、「紀元2600年」の歌に関する思い出話が出てきて懐かしかった。

      今ふと思いついて調べたら、この年の11月、花電車がでたんすね。しかも5種類も。あっしらは、東京でもイナカの方だったので見に行った覚えはありません。

      http://www.tanken.com/hana.html
             


    [No.2466] Re: 出てこい、ニミッツ、マッカーサー 投稿者:さんらく亭  投稿日:2015/08/11(Tue) 20:22
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    > 柏原は父の実家の近くの富山県下新川郡入善町の上原小学校に転入しました。
    > 小学5年生の9月から終戦までの1年間でした。
    > そのとき
    > 毎朝、小学校の校庭でみんなで「出てこい、ニミッツ、マッカーサー」の歌を歌ったそうです。
    >
    > そして、木刀で、竹を束にした一種のサンドバックみたいなものをめがけて叩く練習をしたということです。

    わたしは柏原兵三よりちょうど1才上です。私も同じような体験をしました。
    ニミッツやマッカーサーなど米軍の将軍の名前が出て来たのは戦況の雲行きが怪しくなった昭和18年ごろからで、開戦当初の17年ごろはルーズベルトやチャーチルという米英のトップ政治家の藁人形を作って木刀で殴りつけるのをやらされました。


            さんらく亭@甲子園


    [No.2465] 出てこい、ニミッツ、マッカーサー 投稿者:男爵  投稿日:2015/08/11(Tue) 12:46
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    出てこい、ニミッツ、マッカーサー 出てくりゃ地獄へ 逆落とし

    「比島決戦の歌」(一九四四年三月、作詞・西條八十、作曲・古関裕而) です。
    https://www.youtube.com/watch?v=oERBTPp0yj8

    私は、この歌は知りません。

    この歌を作ったという西條八十は本に書いていますが
    本当はもっとおとなしい歌詞だったのに
    検閲をする将校が、これではダメだ(こんな歌詞なら通さない)
    もっと直せと、将校のいうままに書いたのがこの歌詞なのだそうです。

    戦後になって当人のマッカーサーがパイプを加えて
    日本に乗り込んできたから、さあ大変
    回りから、ひどいめにあうぞと脅かされ
    西條八十はびくびくしていたそうです。


    最近
    芥川賞作家柏原兵三(かしわばら ひょうぞう)の小説「長い道」を読んだのです。

    柏原は父の実家の近くの富山県下新川郡入善町の上原小学校に転入しました。
    小学5年生の9月から終戦までの1年間でした。

    そのとき
    毎朝、小学校の校庭でみんなで「出てこい、ニミッツ、マッカーサー」の歌を歌ったそうです。

    そして、木刀で、竹を束にした一種のサンドバックみたいなものをめがけて叩く練習をしたということです。


    [No.2464] Re: 紀元2600年 投稿者:まや  投稿日:2015/08/11(Tue) 03:21
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    Panさん、こんにちは!

    >  京都市内のどこだったか有名な橋の袂に、『紀元二千六百年』と彫
    > った高さ10mを越える大きな石柱が建っているのを見付けていまし
    > たが、何かの記憶違いなのか最近行ってもありません。
    >
    >  心当たりの場所を Google のストリート・ビューで見て回っても見
    > 付かりません。(-_-)
    >
    >  何時建ったのかは判りますが、いつ頃まで建っていたのか? どの
    > ような理由で撤去されたのか気になっているのですが判らないままで
    > す。

     Panさんが探されたものかどうか? 違うかもしれませんが、それらしき
    ものをみつけました。歌も?
     下記URLで出てくる写真の後のほうをご覧ください。歌もでてきます。

    http://alien.chang-ume.jp/2012/05/blog-post.html

    まや


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