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歌集巣鴨

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2009/7/10 9:09
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 はじめに

 スタッフより

 この記録は「歌集巣鴨」からの転載です。歌集そのものの転載につきましては、長崎美代子様、野田絢子様のご承諾を頂戴しています。
 また、転載させていただいた経緯につきましたは、編集者の長崎美代子様からのメールにあります通りです。下記、長崎美代子様のご了解のもとに転載させていただきます。

 昨年11月、女学校時代からの友人野田絢子さんから、「歌集巣鴨」「句集巣鴨」が私の元へ送られてきました。2冊の和とじの冊子は、粗末な紙にガリ版で作られたもので、色褪せ、しみもでていて、一部はすでに判読しにくくなっておりました。
  「夫・野田衛一が残していったものだが、後世の人々によい形で残せないものか」と、編集、出版に多少関わりのある私に、相談があったのです。短歌、俳句の一つ一つに胸打たれました。
 早速、図書館で資料を調べました。当時のスガモプリズンには多い時には1000人を越す受刑者が収容され、昭和23年6月から27年3月まで、週刊でガリ版刷りの「すがも新聞」が発行されました。「歌集」「句集」もこの編集・印刷技術を使い編まれたものと思われます。戦犯の中には小林逸路、冬至堅太郎ら歌人もおり、各棟からの編集委員たちも加わり、昭和26年9月に発行されたものでした。


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 目 次


 巣鴨―四六八首

  季節の流れ
  歳首(五首)
  春(二八首)
  夏(二四首)
  秋(三四首)
  冬(二三首)

  所内生活
   日々
     牢房(一三首)
     ある日の歩み―その一―(二六首)
             ―その二―(二八首)
    作業(二九首)
    たより(一七首)
    慰問(六首)
    出獄(一五首)
    病間(一二首)
    面会―その一―(二四首)
      ―その二―(一八首)
    随想
    悠遠(一〇首)
    憂国(一四首)
    恋情(一六首)
    思郷(三六首)
    感慨ーその一―(二五首)
        ―その二―(二七首)

  所外作業
    途上風景(一五首)
    調布水耕農場(一六首)
    三里塚その他(七首)

 晦冥―五八首
    敗戦(一九首)
    逮捕(一七首)
    裁判(二二首)

 海外―二二一首

   蘭印
    生活の日々(二二首)
    思郷感慨(二三首)
    帰国(一七首)
   佛印(七首)
   比島(一四首)
   香港(二四首)
   馬来(二〇首)
   支那
    季節の流れ(一八首)
    生活の日々(二四首)
    思郷感慨(三三首)
    帰国(一九首)

  絶叫―二五〇首
  永別(一一首)

  季節の流れ
         春(八首)
         夏(二二首)
         秋(二一首)
         冬(二一首)
  感慨
         故国遥かに(一三首)
         壁文字(三三首)
         孤独(二六首)
         静寂(二二首)
         梟の心(二〇首)
  思郷
         子の夢(一八首)
         母の手紙(一七首)

  最後の面会(一八首)

  死刑囚に寄すー一〇一首
  異国―その一―(二四首)
     ―その二―(三〇首)
  巣鴨―その一―(二四首)
     ―その二―(二三首)

  辞世(三七首)

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   巣 鴨


   季節の流れ

  歳 首

 ここにして我は老いづくか歳の夜のしじまわたり来る寛永寺の鐘      伴 健雄

 おもむろに年明けゆくと凍てつきし雪の上に降る元旦の雨      平尾 健一

 年のはに手作りの暦かけてみていつの日われの出獄(いで)でゆくらむ      梨岡 壽男

 黙念と餅(もちひ)を祝ふむなしさか湧くが如くにうからは思う      下田 千代士

 新しき年の朝(あした)を降る氷雨(ひさめ)聞きつつ二切れの雑煮かみしむ      矢野 光益

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/7/11 7:46
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

  春

 窓の外にかがよう春よ言もなく鉄扉拭きゐる囚人われは      谷本 俊一

 薄明におのが卑小を歎くとき宇に韻(ひび)かふ鶯のこゑ        同

 竹筒にさして置きたる白梅の蕾一つが今朝開きたり      立石 善次
 
 春暁は床臥し寒しうらうらと天(あめ)に雲雀の鳴きそめしかも      桂 定次郎

 風もなき春のうらら日照りしけば土手の小石もまろび落ちつつ      梨岡 壽男

 石垣の石をめくりてこの夏の陽覆とすべき南瓜蒔くなり      安達 孝

 假釈放(ぱろーる)の事にふれつつゆく庭の櫻新芽はふくらみにけり      宮武 都夫

 春されば日の本なれやうらうらと囚屋の庭もさくら花咲く      加藤 三之輔

 限りなくわが思慕のびよ黄昏を桜花びら地(つち)に浮きたつ      大槻 隆

 華やぐ日吾が生(よ)にありやチューリップの朱は燃えたつ牢の狭庭に      下田千代士

 チューリップ花閉ざさむとする夕べ雷どよもして行く春の雨      炭床 静男

 生(よ)を厭ふこころ萌して外に佇てばつつじは赤く咲き揃ひたり      大城戸 三治

 布団乾しに出でたる庭に一むらのさつきの花のさゆる紅(くれなゐ)      保田 直文

 塵芥車押しゆく吾に沈丁花匂ひながれて閑(しづ)かなる街      大神 善次郎

 病む友の枕辺にフリージャの花立てて講和も近きニュース聞かせぬ      林 廣司

 薄切れのうどの酢味噌を食みければ気もすがすがし春の香りは      清水 利行

 徒らに日は過ぎゆきて君を思ふひとやの宵を木瓜の花散る      田中 勘五郎
  
 音もなく春の雨降るアメリカの旗日の午后を家に手紙(ふみ)書く      野口 悦司

 手折り来し木蓮の花香を放つ獄の小床に身をのべし時      樋口 良雄

 よきものはほとほと絶えて此の國は春の花のみあえかに咲ける      伴 健雄

 五年の苦難に生きて今日久に天皇誕生日の羊羹を食む      橋本 壽男

 雨宿る積りにや濡れし子雀のつと寄りし花の蔭に動かず      関 一衛

 何時しかに心和めり小雀の羽根ふるはせて餌を受く見つつ      西山 清

 小鳥の家窓はさされて内ごもる声々ゆゑにわが佇てりけり      梨岡 壽男

 春深き獄庭(には)にたまゆら影さして大き鴉が飛びゆきしかな      高橋 丹作

 穴に住む獣のごとく眼はあけて春の嵐をわびしみゐたり      宮武 都夫

 新しき世にさからはず生きむと思う春の夕べの雲動きつつ      本間 八郎

 反逆のこころゆすりし春雷のはや遠のけば涙ぐみをり      福岡 千代吉
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/7/12 21:04
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

  夏

 街中の焼跡はなべてさし穂立つ麦生となりて四たび夏は来      林 義則

 日の花とわれひとり呼ぶ星形の芝生の花よ夏は来たりる      鈴木 義輔

 肩の上のインコしきりにキスをもとむ目にしみて青き藤かげにしも      大石 鉄夫

 蔓ばらの咲ける窓よりタイプ打つ音流れ来る静かなる午後      田中 謙太郎

 庭苑の美女桜目に滲みて朱しわが妻は遂にこの月も来ず      佐々木 勇

 ゆらめきてわが肉体に戻り来る孤独なりけりダリヤに佇てば      大石 鉄夫
 
 帰国第一年の梅雨 
 三階の窓より見ゆといふ富士ヶ嶺を未だ見ぬ間に梅雨に入りけり      今野 逸郎

 五月雨るる獄舎に読むや「ケマルペシャ」アンガラの町も今は遥けし      額田 担

 くだちゆく世を歎かへば獄窓に雨はしきりに降りそそぐなり      後藤 伴五郎

 机の上の埃を拭ひてあてもなく腰をおろしき梅雨まだ霄れず      田中 勘五郎

 Off limits の中庭の苔ひろごりて緑うるほふ路砂(みちすな)の上      諌山 春樹

 佗しらに籠り居すれば眼交の壁のさ蠅も親しきものを      橋本 欣五郎

 鯉のぼり焼野の假の一つ家に大和男子のありとはためく      荒木 貞夫

 百日紅の花さゆるまで空のいろ蒼に透りて今日も晴れつぐ      松井 正治

 百日紅燃えて咲ければ上海の刑場に逝きし友ぞおもほゆ      丸山 茂

 黙々と朝を歩ける獄庭にふと目につきし白百合の花      渡辺 正

 高獄塀(こうべい)に続く芝生の花石榴けふ降る雨にここだ散りたり      神住 善治

 睡蓮の紅ゐ開きゆくときに今日の一日(ひとひ)の陽は出でむとす      平尾 健一

 死刑より減刑の翌朝
 青空を映(うつ)ししづもる池水にけさは蓮(はちす)の花咲きにけり      友森 清晴

 雲の峯水にうごかず睡蓮もその花かげの鯉も動かず      加藤 三之輔

 たわむれに指を浸せば次ぎ次ぎに指に寄りくるこれの緋鯉ら      吉田 三省

 アドバルーン大きくゆれて層雲の奥処ゆ起る雷鳴しきり      毎田 一郎

 雷(なるかみ)の音もさやけし変化なき獄(ひとや)の日々をこもりて居れば      小谷 義郎

 眠られず鉄の格子により佇てば遠き夜空に稲妻走る      大原 元溶
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/7/14 10:39
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

  冬

 わが心恃めなくなり出で来れば(くれば)寒空(さむぞら)遠き暁の明星      炭床 静男

 霜凍る朝をひもじく鉄柵に沿へば如何なる懺悔も空し      大槻 隆

 氷雨降る房にこもらひ「関東軍最后の日」なる小説をよむ      田中 徹

 寂しみとこの悲しみを誘ふごと時雨は間なく惑を湿す      吉田 喜一

 肩先に冷え及ぶなり手ぐさりの白くひかりてくびれ来るとき      岩沼 次男

 冬空にむかひて眸疲るれば愚かなるかも心和(な)ぎにけり      大神 善次郎

 初冬(しょとう)の陽だまりにゐて今更に空の蒼さをしみじみと見つ      浜田 貞

 囚人の笑ひうつろにひびきけり冬の眞晝の風なき庭に      原口 要

 動かざる大き雄鶏薄目あけて冬空巡る日を探ねたり      大石 鉄夫

 御佛(みほとけ)の眉の容(かたち)の三日月が病棟の上の晝空にあり      諌山 春樹

 花圃の雪解けの土を平(な)らしつつ大寒にむかふ芽をいたはりぬ      大神 善次郎

 音たてて枯葉を街に吹き放つ風あり遠く冨士見ゆる舗道(みち)      大槻 隆

 冬籠るものはひそみて刑場に蜘蛛の巣のみが光を乱す        同

 夕ざれば立体の影投げ合ひて地上のものら個々に貧しき      小林 逸路

 くだちゆく冬夜の房にめざめ居て孤高の二字を思ひつづくる      丸山 一字読取不能

 呟つぎて目覚めしがまた空洞のごとく底冷ゆる闇に眠れり      大槻 隆

 予報ありて面会なかりし日の夕ラヂオは北海道の初雪を報ず      福岡 千代吉

 南の島ゆ還りて初めての斑れ白雪我は踏みつつ      樋口 良雄

 舞ひ降り舞ひ昇りては積む雪をひとやの窓に飽かず眺むる      牧沢 義夫

 ちらちらと白雪の降る獄庭にするどきひわの声冴え渡る      星川 森次郎

 庭隅の冬陽とどかぬ凍土にはつかに残る昨(きぞ)の夜の雪      坂巻 信雄

 朝早く面会人の往き来する道の凍て雪除かんとする      田中 勘五郎

 残雪に照れる光はあたらしく疎懶(そらい)の意(こころ)いましめやまず      平尾 健一
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/7/15 17:00
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
所内生活
  日 々

   牢 房

 鉄柵が生活保証の限界と言えば冷たく笑み交わすのみ      大槻 隆

 生きることだけが保証されてゐる現実に生甲斐のない侘しさがある      木田 達彦

 従順も限度がありとお互が言ひつつ生くる素直なる日々      西山 清

 泣かむごと憤ほろしも自卑といふにはあらねどもこの従順さ      林 実

 弾みなきくらしの疲れ積ればか病むとしもなく吾衰へぬ      小林 逸郎

 今日も来てなじみのうすき日本人看守がかたすみに居てほほえみゐたり      小谷 義郎

 疲れたる身体を投ぐる一畳は吾がありどなり吾が時間なり      山本 福一

 取り換へし一畳の畳にあぐらしてほのかに匂う藺の香嗅ぎをり      小牟田 幸

 からからとひとり笑へば静もれる牢房の壁にかへるうつろさ      湯浅 虎夫

 新春(はる)といふ暦に会ひてかすめゆく想ひは棄てつつ背伸びするなり      伊東 忠夫

 さびしさに薔薇の棘とり鼻につけ道化(おどけ)てみれど獄友(とも)は笑はず      山田 太一

 房壁のもつ量感に耐へて臥す窓に褪せゆく夕茜空      大槻 隆

 君いでし今宵術なし二畳の間を歩み疲れて床を延べたり      浜田 貞
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/7/17 22:01
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 
 或日の歩み(その一)

 今日もまた二つの眼(まなこ)あきにけり空蝉(うつせみ)の命いきてゐたるはや       桂 定治郎

 生死(いきしに)を天(あめ)の定めとさはやかに今もさはやかに思へる我ぞ        同

 鍵をあくる音にめざめてほのかなる窓のしらみに一日(ひとひ)をおもう      松井 正治

 あけやらぬ獄舎の門にならぶ灯はマヌスに友を送らむバスか      小出石 繁丸

 裁かれむ人らもひつつマヌス島を南緯七度の図上に見たり      浅利 英二

 「生れ故郷はいつ見てもいいなあ」と夢のことを友が朝起きて言う      橋本 孟

 毛のぬけて棒となりたる歯刷子を今朝も使いぬ囚屋のわれは      星川 森次郎

 三月釈放説も恃みがたくうそ寒き朝を甘藍移植す      本間 八郎

 根なしごと時にはよろし明るさの中に在るとき人争はず      伴  健雄

 ほころびを縫ひゆく手つきもいたにつき牢生活は三年を経ぬ      橋本 孟

 穿き古りし手縫の足袋は再びを繕ひ了へて手筥に仕舞う      諫山 春樹

 獄廊に裸身はさらし湯に行くと走らば更にみにくからむか      下田 千代士

 Get up ! とわめきて友を蹴りにける赤ら面(おもて)は胸に刻まむ        同

 今朝吾に敵意のまなこ差し向けし兵にこだはりて寒き日昏れつ      中庭 顕一

 たぎちくる底ひの忿堪へがてに窓辺に佇てば富士遠白し      穐田 弘志

 したたかにドア閉す音あひつぎて吾らが示す小さき反抗      大島 紀正

 捜検にとり乱されし房の中妻の手紙に黒き靴跡      田中 良平

 土足にて踏みにじられし吾が過去の怒り新たなり検査日ごとに      藤井 正市

 所持品のすべてを並べ検査待つ(まつ)小盗児(しょうとる)市場のこと思ひつつ      市橋 重雄

 ためらひも卑屈もなく捜検の日本人看守に眞向ひにけり      長田 邦彦

 胸を張りて「君ヶ代」に和す戦犯の堂々として卑屈なるなし      森本  新
 (運動会)

 神を求め生きむ希ひの素直にてためらはず手を挙ぐる幾人      福田 千代吉
 (教会)

 いつしかに席定まりてつつましく歌会に今日も列りて居り      諫山 春樹

 何となく力湧き来しこの頃は夜も講義の席につらなる      友森 清晴

 雲上の人と思(し)ひゐし荒木貞夫吾と話しつつ好々爺なり      大島 紀正

 焚火する友等に交り白鬚の南老人の童顔が見ゆ      橋本 壽男
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編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 ある日の歩み(その二)

 今日もまた火見櫓に人ありて北空ひくく雲かたよりぬ      松井 正治

 風にのりくる少年の声聴きゐしがまた塀ぞひの遊歩にうつる      福岡 千代

 対ひ家の庭に舞ひたつ小旋風(しょうつむじ)の白き紙片に犬がじゃれをり      中庭 顕一

 垣の外の電柱に寄りて幼子に父の在処を知らす若妻      林 義則

 鉄窓のまなかひに見ゆる煙突の「月の湯」の文字は見え難くなりぬ      諌山 春樹

 ひっそりと貧しき街に眞日照れり終戦の日もかくありしかな      大石 鉄夫

 美しきをとめの群が通りゆく舗道のかなた夕茜せり      中庭 顕一

 夕映ゆる造幣廠の煙なき煙突に集ふ烏二つ三つ      木下 武

 通気孔に巣くふ雀の帰りたるかそけき音に今日も暮れけり      小牟田 幸

 このふとん机ともなり或時は食台ともなりて既に久しき      田中 徹

 匙をもて沢庵漬を食むことも巧みとなりて囚人さびたり      長田 邦彦

 今宵また煮物ばかりの献立に何はなくとも新漬(にいづけ)ぞ欲し      黒岩 康彦

 柿一つ膳に上りて獄なれど故郷を語る夕餉楽しも      永岡 政治

 窓に佇つわれに向ひてアパートの稚子がうち振る日の丸の旗      山上 均

 想出をそのまま未来の夢として老いゆく牢の現実に生く      小野 武一

 うつぶして祈るが如く咳き入れる老囚の刑は無期とぞききし      林 廣司

 アメリカに阿諛するごとき記事のみの目につく日なりわれ怒れるか      高橋 丹作

 生きの身のみぬちにたぎつ赤き血のうづきに耐へて今宵わがをり      山田 太一

 日に幾度数へらるる身か今もまた夜の点呼の笛鳴り渡る      横山 公男

 宵々を点呼に立てば硝子窓にうつるわが影淡々として      諫山 春樹

 暮れなづむ街にネオンのまたたけば又あらたなる悲しみぞ湧く      上新原 種義

 白壁に汚点(しみ)あまたあり四十ほど数へてやめぬ徒然の夜      西田 一夫

 何事かせねばならぬと云ふ思ひ一日さらず床はのべにき      小谷 義郎

 いつまでもいついつまでもかはらじと語り明せし雨の夜ありき      猪上 光繁

 蒸し暑き房に臥せれば今宵また思ひ出悲しき傷痛み来も      横山 匤寿

 真向ひの友は安らかに眠りたり佛教聖典を手にしたるまま      田中 徹

 独房の灯つぎつぎと消えゆきてひとやの長き一日(ひとひ)終りぬ      橋本 孟

 ひたむきに「或る遺書に就て」を読み終へし夜半を無心にこほろぎの鳴く      坪川 豊久
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編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 作 業

 足もとの落葉ふきあぐる木枯の寒けき朝を列に並べり      中原 獅郎

 刺すばかりひゆる朝の舗道(いしみち)に水耕班のトラックを送る      鈴木 義輔

 死棟出で来し人にかあらむ列の中にきわだちて白き面ざしの      田中 徹

 白茶けて堅くなりたる靴履きて作業の列に今日も並びぬ      高橋 丹作

 あわれ吾が箒に触れしこほろぎはしばらく経ちて跳びたちにけり      福島 久作
 (清掃班二首)

 石蕗の咲きたる庭を掃き清め物思ひをり心しづけく      最上 善一郎

 くろがねの扉はいましひらかれぬ巷明るき春の大路に      本間 八郎

 労役の鍬の手止めて老母(おいはは)と他人(ひと)の姿を暫し眺むる      森 文一
 (農耕班)

 堆きパレット材料の山一つ忽ち消えぬ製材機が来て      橋本 孟
 (荷枠班)

 銃口の威圧を背(せな)に感じゐて有刺鉄線(バリケート)張りゆくくもり陽の下      岩沼 次男

 有刺線の柵の内外(うちと)に声ひくく恋愛をする人を見にけり      安達 孝

 石割の塵を拂ひてふり仰ぐ空寂しもよ眞日は高きに      長谷川 義男
 (砕石班二首)

 重き石運びて荒れし掌に花一片(ぺん)を摘みて帰りぬ      片山 謙吾

 ポケットの妻の手紙を時折に思ひ出でつつ烙鉄を打つ      中庭 顕一
 (鍛工班二首)

 煤煙のしじに流るる下にして南瓜は黄なる花をつけたり        同


 雄心の消ぬと揺ぐとあらなくに菊を育てて日を送るかも      伴 健雄
 (花園班)

 霜を踏みて瓦礫曳きゆく老囚の車は重し石畳路      石松 又助

 病院の廊下掃きて集めし塵の中に白蟻が一匹うごめきゐたり      小林 宗平
 (病院六首)

 くりかえし床(ゆか)の靴跡拭きつづけ夜は針金のごとく眠りぬ      大石 鉄夫

 TB菌紅(あけ)鮮かに視野に出づ我が牢愁のひらくにも似て      森 良雄

 喀痰の結核菌を染め出でしとき細りし君がおもかげにたつ      宮武 都夫

 ラッセルを聴き取りながら術もなく言葉濁してわれは立ちにき      田代 友禧

 呆然と佇てゐる狂者憫(あわれ)めば萎へし魔羅も洗ひてやりぬ      樽崎 正彦

 秋雨に濡れて働く我々に一人の婦警が会釋しにけり      酒瀬川 眞澄

 寂しければ今宵は汽罐につきをりて機械の如く炭殻(がら)かき出だす      足立 福三郎
 (ボイラー班)

 たへがたき忿りに耐へて米兵が遊びに投ぐる球拾ひつぐ      福山 勝好
 (ボーリング班)

 双手あげて検査の列に従へり鳩の群れ舞ふ空は昏れつつ      田中 徹

 労役終へ帰りし房に吾一人壁に向ひて作業衣換ふる      長田 邦彦

 格子窓ゆ差し入る月の光(かげ)冴えて夜業の人等帰り来りぬ      野口 悦司
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編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 
 た よ り

 故里のくらし偲びて面会も直ぐとは云はず無事のみ報ず      清水 利行

 なんとなく君の便りの来る心地しきりにすなる秋晴れの朝      谷口 武次

 久にして受けしたよりは掌にのせて重さたのしみ封を切るなり      小牟田 幸

 妻にのみ出す文続き方々にできし不義理は目をつぶるなり      田代 友禧

 護摩たきてひた待ち居るといひくるる母の便りを繰り返し読む      井野 雅治

 今日も亦母の便りに勵まされ淡きのぞみを持ち続けむとす      星川 森次郎

 不孝の子吾れに体をいとへとぞのたもふ母は七十二に在す      立石 善次

 悪戯の日にけに増すと送り来し吾子の手形にわが手重ねぬ      内田 泰司

 片言で別れし吾子が小学校に入学せりと便り届きぬ      橋本 孟

 うつつには再(ま)た逢ふよしもなき妻を身近に想ふ吾子の文見て      伊藤 義重

 あげまきの汝が面影の眼にありて乙女さびたる文になじまず      谷口 武次

  (衣類を妻のもとに送りて)
 法廷の苦患な知りそスェーターの血膿(ちうみ)のあとは気づかず洗へ      中原 獅郎
 
 傍らの子等が熟睡を目守りつつ此の文書くと遠妻便り      小牟田 幸

 「何時までもあなたの帰り待つ」といふ妻の便りに涙流しぬ      宮崎 博

 想はする文字はなけれど読み返す妻の便りに滲む寂しさ      足立 福三郎

 吾にだに愚痴を告ぐれば心癒ゆと悲しき言を妻の添へたる      田代 友禧

 米俵を積みて数ふる舅姑(ちちはは)を見つつ嬉しと妻は書き来ぬ      出口 太一
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/7/22 16:35
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 慰 問

 夕べには腰の痛みの薄らぎて明日聴く落語の籤抽きにけり      諌山 春樹

 映寫幕に語る母子を吾が見つついとけなき日の母恋ひにけり      中村 安蔵

 朝の雪雨に変わりて降る中を舞踊見る長き列につらなる      諌山 春樹

 石井舞踊団の慰問を受けて(三首)
 ぴょんぴょんと蛙を踊る四才の父なき奉子(ともこ)ちゃんに拍手はやまず      神川 秀博

 シベリヤに父喪ひし奉子ちゃんの幼き踊り見つつし泣かゆ      足立 福三郎

 ほのぼのと母の乳にふるおもひかな石井漠夫人司会したまふ      神川 秀博


 出 獄

 (パロールの拒否を受けて)
 居並べる委員の一人がチューインガムかみつつ大きなあくびしてゐき      大竹 善夫

 肩並めて歩ける友は釈放の喜び見せず職なきを云う      高橋 丹作

 假出所確定の友は幾年を貯へゐたる手紙裂きをり      福田 千代吉

 假釈放(パロール)の審査をへけり宵月のみち満つる頃は母とありなむ      黒氏 理助

 十二年振りの帰省も近し母とゐる日々のプランを楽しくたてつ      入谷 房吉

 藤棚のベンチに坐りあれこれと友の話は楽しきことのみ      犬山 要

 如月の霜夜を明けて送らるる心はかなしすべなかりけり      木庭 喬

 自(し)がことは思はず今朝を釈放(とか)れゆく戦友(とも)が手とりてうち喜びぬ      額田 坦

 吾を措きて帰りゆく友目守りつつわが目の翳(かげ)の美しくあれな      谷本 俊一

 二月十七日までの日数消したるカレンダーを壁に残して釈放(とか)れゆきけり       中庭 顕一

 出所後の生活(たつき)のためにと寒き夜を膝しびれつつ簿記講座聴く      射手園 達夫

 再びを海に生きむと心燃ゆ弱り来し視力いたはらざらめや      浅利 英二

 新約聖書置きて出でゆきし真柄君が三度(みたび)失職せりと云い越しぬ       星 良三

 みすずかる信濃に臥す君ありてしづ心なし春に眞向ふ      谷口 武次

 いくたりの別辞聞きなばおのがじし別れ云はむ日めぐりか来らむ      穐田 弘志
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