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Re: 終戦と引き揚げ、、北朝鮮編、、野崎 博氏の手記

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団子

通常 Re: 終戦と引き揚げ、、北朝鮮編、、野崎 博氏の手記

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2005/8/8 17:24
団子  半人前   投稿数: 22
(四) 
この事件を契機《けいき=きっかけ》にして日本人の迫害は強化された。工場の幹部が相次いで検挙された。最初は工場破壊計画の有無を調べた。共産党政権は旧支配階級を破壊する。日本人の工場最高幹部は検挙され感興刑務所に入れられた。そのうち何名かはシベリヤに送られた。

ついで迫害は一般従業員にむけられた。日本人従業員は8月26日に突然工場立ち入り禁止になった。
従って事務の引継ぎができてない。朝鮮側の管理が悪く、接収《せっしゅう=強制的に取り上げる》後の混乱もあって、朝鮮人による物品の持ち出しがあり、書類の散逸《さんいつ=散らばる》もあった。(図面が無い)(配給物資の残高が帳簿と合わない)(配給に朝鮮人を差別した)理由は幾らでもつけられた。

朝鮮人の中でも良識派があったが声が小さく、敗戦前に素行不良で叱責《しっせき》をうけたり、処分を受けた朝鮮人が声を大きく勢力を握っている。それが前の係長や係員、倉庫番を呼び出して査問《さもん=調べ正す》にかけリンチを加えた。毎日続いた。特に警備係に対するリンチは凄《すご》かった。仕事の性質上工場の物品持ち出しを取り締まり朝鮮人の調査などでは警察に協力していたから報復《ほうふく=仕返し》は残虐《ざんぎゃく=むごくしいたげる》をきわめた。これは日本人社会に深刻な衝撃を与えた。いつ、何の理由で呼び出しがあるかわからない。誰々が殺された、半死半生にあわされた、橋下から死体が出た、噂におびえた。

9月2日、武器提出命令があった。8畳間いっぱいに刀が山積みになっていた。一応所有者と銘《めい=刀剣に刻まれた作者の名》を記入したが美術品のように美しい大小《=大刀・小刀》から太刀作り、サーベル作りの軍刀、朱鞘《しゅざや=朱塗りのさや》コジリ《=刀のさや尻》に銅環《どうかん》をはめた長脇差《ながわきざし=長いめの小刀》からさまざまな刀が集められていた。武器の提出日から建国青年隊の腕章を巻き青年訓練所の拳銃で武装し日本刀を腰にした朝鮮人青年が武器の捜査を口実に、土足で侵入し、自分の欲しいものがあると押収していった。

ついでラジオの供出《きょうしゅつ=求められて物品を差し出す》が、更には自転車、写真機の提出があり、ソ連軍の命令は1部分であり、朝鮮人が自分のものにする為のものであった。「日本人の所有物は、朝鮮人より帝国主義的搾取《さくしゅ》によるものだから、我々がとる権利がある。」と言う理屈である。

朝鮮当局が米穀の配給は責任を持つと言明したが、配給は全くない。市場には今まで姿を見せなかった米や大豆が出廻《まわ》った。配給もなく仕事もない。貯金の支払いが停止され、手持ちの現金も無い日本人はこれからの生活が成り立たず、家財道具を売った。

一時市が立つ様な賑《にぎ》わいだったが朝鮮当局は売買を禁止した。見つけた場合は家財道具も代金も没収するという通達を出した。経済を撹乱《さくらん=混乱》すると言うのが理由であったが、自分たちが日本人住宅に入る時、それら所有物を無償で取り上げようという狙《ねら》いであった。それでも厳重な監視の目をくぐって売買は行われた。

保安署には没収された家財が山と積まれた。悪質な買い手は荷物を取り上げられたと売った日本人から代金を取り返した。我が家は初期の段階にカメラ、李朝の磁器類掛け軸などリヤカー1台分売ったが、買い手が保安隊に没収されたから金を返せと言ってきた。嘘《うそ》だと判っても逆らえない。しかし、これらの被害は掠奪《りゃくだつ》、逮捕、リンチに比べれば軽い。

      、、、、、、、、、、、、、、、、つづく、、、 

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