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Re: 終戦と引き揚げ、、北朝鮮編、、野崎 博氏の手記

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団子

通常 Re: 終戦と引き揚げ、、北朝鮮編、、野崎 博氏の手記

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2005/8/8 17:30
団子  半人前   投稿数: 22
(六)
10月の農村は収穫の季節である。この時期まだ体力が残っていた。ある部落にジャガイモ堀に行った。朝鮮の農業は規模が大きく、薯《いも》の収穫にスキでおこし薯を拾い集める。大まかだから取り残しがある。収穫を終えた畑を鍬《くわ》で1日掘るとリユックいっぱいの薯がとれた。この量は家族が数日食える。農家は大様《おおよう=おおまか》で無断で畑に入ってもとがめだてはしなかった。伝え聞いて掘る人が多くなり3日でおわった。

大根引きに雇われた。昼食と高粱《こうりゃん》2合(300g)が手間賃だった。朝鮮の大根はずんぐりして皮が厚い。青首が美味そうだった。沢山あるから1本ぐらいは食ってもと甘えた。皮をむいて食べた。甘い汁気が口中に広がった。その時、農家の主人が駆け寄って怒声を発し大根を取り上げられた。
「これは売り物だ。日本人が食うものではない。食いたければこれを食え」白菜の根を鎌で落として「食べろ」恥ずかしかった。同じ年頃の伜《せがれ》が気の毒そうに見ていた。みじめだった。
後日、白菜の根を食べた。飢えた時でも不味《まず》かった。

ある日、部落で誘われ、キムチのカメを埋める穴をほらないかと言う。背丈ぐらいのある大カメだった。賃金は飯とキムチ。半日の仕事だった。サバル(真鍮《しんちゅう》の食器)に大盛りした白米の飯にキムチが美味しく、満足だった。

稲刈りに4日雇われた。賃金は米5合(750g)昼食は持参せよ。その分米の割り増しを付けると言う約束だった。しかし難民には、飯がないのは嬉しくない。疲れだけが残った

わずかあった農業の仕事がなくなると寒さが押し寄せた。寒気は暖房の燃料の確保を迫るが、燃料が充分になければ絶望が広がる。寒さは飢えとともに徐々《じょじょ》に深刻になった。希望のないまま人々はひたすら引き上げを待った。飢えと迫害のなかにあって引き上げの希望がなければ生きていけない。母は帯の芯地から家族全員のリュックを作った。荷物を整理して引き上げを待った。

人々は内地の美しい山河を語り、幼き頃の食べ物の話に故郷を想《おも》った。朝鮮生まれで内地を知らない私は内地に帰ったってどうなるのか見当がつかない。父は第一次世界大戦《=1914-1918》後のドイツを例にひき、賠償《ばいしょう》金で20年は起き上がれないと言う。それでも内地に帰りたい。それが飢えと屈辱にまみれた境遇から抜け出す唯一《ゆいいつ=ただ一つ》の手段であったから。強い願望から妄想《もうそう=正しくないおもい》が広がり、引き上げのデマが流れては消えた。何日説、何月説、興南の築港に引き揚げ船が二隻入港して、三千人づつ乗船する。輸送船は全滅したから駆逐艦《くちくかん=戦闘用の小型艦》2隻だ。リアルなデマがながれた。その都度人々は明るくなり引き揚げ話にのめりこみ、気の早い人は残り少ない荷物を売って大飯を食い、魚や卵を贅沢《ぜいたく》して、つまりは売るものがなくなり困窮《こんきゅう=困り苦しむ》した。

昭和21年の元旦は餅がない、希望がない正月だった。高粱粥をすすっている我々に、正式引き上げがないなら、必死に食い延ばしをしなければならない。体がへだるく、顔を洗う気が起こらない。ごろごろ寝転んで古雑誌を読んで暮らした。元旦朝白米を炊《た》いた。盛りきり1杯の飯だが贅沢した。家族にちょっぴり明るい風が流れた。突然母がはしゃいだ声を出した。
「駅へ平吹のおばぁちゃんが餅を持って今着いたと電話がありましたよ。誰か迎えに行って頂戴《ちょうだい》」平吹のおばぁちやんとは実家の母である。気が触《ふ》れた。一瞬そう思った。あわてて母を寝かしつけた。母には餅がつけない事は不幸の最たる恥ずべき状態という思いがある。現在96歳の母は、今でも少しボケると平吹に帰る、おばぁちゃんが待っていると言う。

      、、、、、、、、、、、、、、、、つづく、、、 

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