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Re: 終戦と引き揚げ、、北朝鮮編、、野崎 博氏の手記

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団子

通常 Re: 終戦と引き揚げ、、北朝鮮編、、野崎 博氏の手記

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/8/8 17:33
団子  半人前   投稿数: 22
(九)
3月の終わり三寒四温の暖かい日は陽光うららかであった。市場近くを歩いていると呼び止められた。土塀にもたれた少年が手招きしている。近所にあった農家の息子で私の一級下の同窓生だった。終戦後、スケート、製図器具など譲り友好であったが、嫌な予感があった。

私はつとめて明るく「やぁ~」と言った。「君は何処《どこ》に住んでいるのか」とりとめのない質問をしていたが、徐々に言葉が乱暴になり「お前は、、」と言った。続いて「うちの豚を何故《なぜ》切った」そらきた、覚悟した。

戦争中庭に野菜を作った。畑を豚が再三荒らしに来た。追うつもりで丁度素振りしていた刀で軽く切りつけた。豚は敏捷《びんしょう》に逃げたが尻に3センチ程、パカッと口をあけた傷をつけてしまった。血は出ない。彼は座り私は立って査問《さもん》会のようだった。「そうか君の豚か」「そうだ豚は野菜を食べない。それを切ったのは侵略者の思いあがりだ」

彼の手下か小学校四年頃の子供が三人挑戦するような声をあげる。私は逃げたかったが少年の客気《かっき=はやる気持ち》が許さなかった。今更謝ってもしょうがない。彼の非難は続き説教を受けているようになった。

馬鹿らしくなり、殴るなら殴れ、ゆっくりその場を離れた。彼等は奇声をあげて追ってきた。近道になる高粱畑を突き切った。追ってくるがどうした訳か、襲《おそ》ってこない。手下が私の廻《まわ》りを猟犬のようにまわりながら時々背中を殴った。子供の力は弱い。ぶん殴るのは簡単だが敗戦国民はなされるままだ。

《うね》や切りかぶに足をとられぬように踏みしめて歩いた。つまづき倒れたら、はずみがついて一気に襲われるような気がした。私を中心にした猟犬等は、ぐるぐる廻りながら100mも歩いた。私の町が近づいた。彼等は諦めたのか、去っていった。

4月、春だった。ある午後咸興中学の前を歩いた。朝鮮の学生が二人こちらに歩いてくる。広い車道だから鉢合わせの心配がないが、私は緊張した。戦時中、一本道で日、朝の学生がすれ違う一瞬、張り詰めた空気が流れ、時には眼をつけ火花が散った。なかには挑発して喧嘩になる。

、、しかし今、体を硬《かた》くしてすれ違った。何の変化もない。彼等は私をチラッっとも見ない。完全に無視と言うより路傍《ろぼう=道端》の石より関心がないのだ。黒い学生服に慶応予科のようなアンパン帽をかぶり、ブックバンドの本をちょいと肩にかけて、血色がいい。さっそうとしていた。彼等には、独立した現在が最良の幸せだったのだろう。彼等にとって平和な時期であった。

風呂に入らず、顔も洗わぬ、手製の下駄履き《げたばき》、国防色のボロ服を着て、背を丸めて歩いている浮浪児《ふろうじ=住居も職も無い子供》のような敗戦国の少年など一べつの値《あた》いもしないのだ。いたずらに緊張した私が情けなく、打ちのめされた。陽光のうららかな日だった。それから10日後、私はこの街をさった。

、、、、、、、、、、、「引き揚げ」につづく、、、

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