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異国での敗戦(北朝鮮)

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きぬ子

通常 異国での敗戦(北朝鮮)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2006/9/23 16:33
きぬ子  新米   投稿数: 9
はじめに

 北朝鮮、鎮南浦《チンナムボ》で生まれ育った私は、敗戦の日をその地で迎えた。勝つとばかり思ってきた戦争は、八月十五日をもって終わり、生活は一変した。昭和二十一年九月三十日《1946年》、脱出までの一年余りは様々な出来事に遭遇《そうぐう》した。

ソ連(ロシア)の参戦によって満州(中国)から女、子どもの疎開者が現地に住む日本人と同数の八千人も入ってきた。全ての官庁、学校、工場が朝鮮の手に渡った。銀行などの金融機関も止まった。ソ連軍の進駐《しんちゅう注1》とともに目ぼしい家がつぎつぎ接収《せっしゅう注2》された。朝鮮人とソ連の兵士たちの略奪、強盗などは、日常茶飯事《=いつもやること》だった。

 北朝鮮の冬の寒さは、零下10度以下にもなる。冬を越さねばならない倉庫暮らしの疎開者達は何千人もいた。コンクリートの床、吹きさらしの高い天井は幼児の命を奪った。山には沢山の墓標が立ったという。

 敗戦後、私達は小さくなって、ひっそりと暮らした。植民地として日本が治めていた頃は随分、朝鮮人を馬鹿にしていた。その反動もあって、日本人が投獄されることも少なくなかった。

 昭和二十一年《1946年》十月末、祖国に帰ってきたが、この貴重な体験を幼かった妹達に、わが子や孫達に知ってほしいとの思いで綴《つづ》ってきた。引揚げ後、なぜ戦争が起こるのかという疑問をもって暮らしてきた。戦争への足音が聞えそうな今、憲法九条を死守しなければとの思いと、朝鮮半島の南北統一を願ってやまない。

                            斉藤 絹子_1931

注1 進駐=軍隊が他国の領土に進軍しとどまっている
注2 接収==権力が強制的に人民の所有物を奪うこと

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