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陸軍登戸研究所:消えた新宿駅

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かんぶりあ

通常 陸軍登戸研究所:消えた新宿駅

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/2/6 0:32
かんぶりあ  新米   投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(2)】

 色んな戦争の書物を拝見して居りますと、どうしても特殊な事態のみが強く抽出され、背景の日常性がそのハレーションの中に埋没してしまう傾向になり勝ちです。

 これまた恂に止むを得ざるところではありますが …

 しかるに後世の人々は、拠って来たるその日常のバックグラウンドを同時に知りたい、と願うのも自然の希求と申せましょう。

 されば縦横の糸を織りなすが如く、背景の情景を同時記録するように心得たいとは思うのですが、その日常性もタイムトンネルを抜けると姿を変えてしまいます。

 … そう … まるで日常ではないかの如く …
 なあんて気取ってないで、ここは一つ、ありの侭を書きませう。

 まあ、何とか下宿先も西荻窪に決まり、通常の勤務体制に入ることになりました。

 準備期間を三日も呉れるし、全般にのんびりムードで、こんなことでいいのかなあ、と逆に不安になって行きます。

 とにかく小田原駅止めにした手荷物を取りに行き、新宿駅で定期を買いました。当時は、省線と小田急は別々に定期を買わねばなりません。

 相互連絡という概念は全くありません。

 「省線」と言えば、後世の国電だの、ましてJRだのとは違って国家そのもの、一段と偉いのです。

 定期券どころか山の手線の普通の切符さえ証明書がないと買えなくなって居りました。

 でも一応都電が網の目のように走っているし、一般の人は省線に乗れなくても一向に平気です。

 それに何分にも当時の銃後の戦士。10Km位歩るくのは極く当たり前。
 何の苦もない。(でも腹が減るんだな、これが …)

 武士は喰わねど高揚子 … と、武士でなくても痩せ我慢。
 取り敢えずは「大日本帝国臣民」だもんね。

 ともあれ拙者の懐中には「登戸研究所の身分証明」という強い味方が居りました。

 参謀本部でも陸軍省でも、入り口で鷹揚にこれを見せれば、衛兵が敬礼して「どうぞ!」と言うのだ。( … 威張ってどうする … )

 切符売場の料金表には、新義州だの、奉天、新京、ハルビン、なんてのがありました。戦争に勝ったら一度ゆっくり遊びに行こう、どこがいいかな、と暫し眺める。

 勝てない? いや、ここ一番と言う時は、神州日本には神風が吹くのだぞ、と、最後の切り札は一億総神頼み。

 それにしても「八紘一宇」はどうなったんだ!
だんだん萎んで行くじゃあねぇか。

 登戸研究所の表門に近いのは「稲田登戸」、裏門は「東生田」です。
 両方に使えるように、と一つ遠い「東生田」にしましたが、今の駅名とは違いますね。

 新宿界隈は駅も町並みも現在とは全く異なり似た所は微塵もありません。
連絡通路は暗くて長い回廊でした。

 駅舎の東口の2階に大きく出っ張った「ひさし」があって、毎朝その上に軍楽隊が乗っかって、勇ましい吹奏楽を奏でます。

 愛国行進曲 … 軍艦マーチ … etc. etc … と、戦意高揚の曲の数々 …

 途行く人の感想は、「空きっ腹にこたえるなあ」、でしたけど。
それは毎朝、街並みの隅々と、人々の頭上に響きわたって居りました。

 そんなある日 … 突如、駅が消え去りました。

 昨夜、空襲警報に続いて東の空が真っ赤になっていたが、あれは新宿方面だったのか、と初めて知りました。

 何も知らずに寝て居りましたから、東京は広いです。

 省線は阿佐谷駅の近くから、ゆっくり、ゆっくり、徐行して居ましたが、新宿に近付くに従って建物が徐々になくなり、駅はコンクリートのホームだけ、と言う、何とも情けない情景になって居りました。
 
 土手は一面真っ黒。焼夷弾がいっぱい突き刺り、その中に黒焦げの死体が一つ転がって、駅員が「男か女か分んねえや」、と足でつついています。

 土手の下や、上の電線に、アルミ箔のリボンが引っ掛かって風にさらさら靡いています。電探の撹乱用にB29が撒くのです。

 こちらの電波標定機の波長を知って、四分の一波長より長目にカットしています。そのため全反射してしまうので、B29はノイズに埋もれます。

 当時、電波標定機(ラジオロケーター)は近距離で諸元を測定します。

 他に電波警戒機(ラジオデテクター)と言うのがあって、これは遠距離を主に受け持ち、その情報で警戒警報や空襲警報を出して居りました。

 その警戒機も、富士山を背景にされると、富士山からの反射波と重なって見難くなります。

 そして夜はいつも、西方から高度3千メートルでやって来るし、帝都の近くではアルミ箔を撒きますから、警戒機も標定機も機能しません。

 そして次々と、街も駅も焼けて行きます。

 ふと見上げると、異様に赤い太陽が黒い霧の中に見え隠れしていました。
 そんな中でも人々は、明るい足取りで職場に急いで居りました。

 神風はきっと吹く、蒙古来襲のときもそうだった。
 だから吹かない筈がない、と堅く信じて …

                         (つづく)

    ==== Pre Cambrian 新多 昭二 (S.Shinta) ====

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