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陸軍登戸研究所:列車、銃撃さる

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かんぶりあ

通常 陸軍登戸研究所:列車、銃撃さる

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/2/6 7:48
かんぶりあ  新米   投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(9)】

 登戸研究所の機能が殆ど停止しました。
 梱包された設備は、順次移送を待っています。

 天皇や大本営は信州松代へ、登戸研究所は小諸へ疎開するのです。
 こちらへ残る者と、信州へ行く希望者の最終仕分けが始まりました。

 そんな中で、一通の回覧が回って来ました。

 「軍用トラックの将校用の荷物から赤いパラソルが覗いている旨、地方人から批判が出ている。私物は人目に付かぬよう、充分注意するように」

 またか! 何度もこの種の回覧が回って来ます。

 もはや末期的症状だ。当時は民間のことを「地方」と称して居りました。
 私共は各大学の研究室に戻り、そこで戦時研究を続ける、と言う手筈。

 A君及びここで知り合った人々と、最後の打ち合せと最後の別れ。
 後は、ただただ、終戦工作派の成功を祈るのみ。

 研究所を辞して汽車に乗るまで、3日間の猶予が与えられました。
 切符の購入と、荷物を纏めたり送ったりするためです。

 東京駅は正面が焼けたので、八重洲口の広場に堀立て小屋のような臨時の切符売場が設けられ、長い列が20列くらい出来ていました。

 勿論、証明書が無いと買えません。証明書の吟味と、乗車目的を一々確認されるので、半日仕事です。皆、仲良くなり情報交換の場になりました。

 米軍が撒いた宣伝ビラをお互いに見せあったりしています。

 実は私も簡単な短波受信機を組み立てて持って来てるのですが、いつもは通勤で疲れ果て、帰ったら聞くどころか、バタンキューとぶっ倒れたまま、気が付いたらもう朝!と言う状態が続いていました。

 しかし、やっとゆっくり聞ける機会がやって来たのです。
 短波と言うのは、送信側と受信側が、共に夜間になると良く聞こえます。

 ホノルル放送が、よくサンフランシスコからの中継番組を流します。
 やがていつものように、

  This is a Voice of America, absorbed by National Broadcasting Company …

 と始りました。

 しかし、何となく気になる箇所があります。実に妙に気になる言葉が …

 … Now we have a Big News … New Mexico … fifteen thousands tons
 TNT … atom … atomic weapon … … K C B I … Honolulu Hawaii …

 フェーディング(声が大きくなったり小さくなったりする現象)の合間にとぎれとぎれにアトミック何とか、かんとか …

 何か、原子兵器の可能性の解説でもしているのでしょうか。
 原子がエネルギーに変わると、凄い兵器になると言うことはよく聞く話。

 それとも、出来たのか? … いや、まさかそんなことはないだろう!
 いくらなんでも … 空想科学小説の番組ってこともあるしな …

 かってオーソンウェルズの火星人襲来のラジオ放送で、パニックになったと言う例もあったとか。おそらくその種の娯楽番組でしょう。

 とにかく夏期は電離層がフワフワしてるから、良く聞き取れません。
 研究室に戻ったら、もっと本格的な短波受信機を作って聞きましょう。

 荷物を駅止めで発送し、やがて出発の時が来ました。

 列車は青切符。超満員で窓から出入りしている三等車を尻目に掛けて、柔らかいクッションの効いた座席に悠然と座ります。少々申し訳ない感じ。

 車内では陸軍大佐と向いあいました。堂々としてるが温厚な感じです。
 やがて「飲みたまえ」と水筒の茶を勧められ畏まって有難く頂戴します。

 列車が川崎に入る頃、米軍の捕虜が帽子のひさしに手を翳して空を眺めて居りました。空には無数の飛行機雲が … 捕虜は如何にも嬉しそう!

 うん? 警報が鳴ってたかなあ。
 慣れとは恂に恐ろしいもので、警報中かどうか分らなくなって居ります。

 「随分自由にさせて居りますね。服装も米空軍の服の侭を着て居ります」

 「あれは君、ああやって米軍からの攻撃を避けて居るのだよ」

 なるほど、そう言うことなのか。この辺りは軍需工場の多いところだ。
 熱海附近では海の波がきらめいて、平和な時と同じ様相を見せています。

 ここは「貫一お宮」の舞台なんだなあ、と戦争が無かった頃を偲びます。
 突如、バババッ、と車内が揺れて、天井からホコリが舞い降りました。

 "グォ~ン" … と艦載機が超低空で海の方に飛び去ります。
 また一機、続いてやって来ました。もう貫一お宮どころじゃありません。

 ダダッ!パシッ、どかん!ガンガラガンと、もういろんな音が致します。
 跳弾が砂利や小石を巻上げ車体に当たる音でしょう。床がビリビリッと。

 「君、座席を外して被り給え」

 え? この座席、外れるの? 初めて知った!

 「効果、ありますかねえ …」 何とも心許ない …

 「直撃は無理だが、上からランプの破片とか、色々なものが落ちてくる」

 大佐殿、経験が豊富らしい。言う通り従って居れば間違いなさそうだ。
 あ!前の車両が燃えている!車両の間の刷りガラスの扉がオレンジ色に!

 火はすぐ消えたようですが、何やら騒ぎが大きくなって参りました。
 列車は猛烈にスピードを上げて居ります。大佐が扉を開けました。
 
 「君達、こっちへ入り給え」

 「怪我人をお願いします」 扉のそばの人が言う。

 下士官らしい人が、足を打ち抜かれてぐったりしている女の人を抱えて来ました。大佐を見て「あっ!」と怪我人を下ろして敬礼しようとします。

 「いいから、入れ」

 ハッ! と言って怪我人を抱え直して入って来ました。

 女の人は腿の下部から出血して顔面蒼白、殆ど失神状態です。

 「医者は居らんのか」

 「自分がやります。戦地から戻ったばかりであります」

 「戦地はどこか」

 「中支派遣軍であります」

 そんなこたあ、いいから、早くやれっちゅうに …
 殆ど全員が救急薬品や止血道具、三角巾等を携帯して居ります。

 そのとき「退け退け!」と向うの客車がまた騒がしくなりました。

 まだ怪我人が居たのか? 人垣を掻き分けて連れて来られた人は赤十字の帽子を被っていました。おお、従軍看護婦!こんなときは輝いて見えます。

 全員が「医者は居ないか!」と、ずっと先の車輌まで声を掛け合って探したらしい。まさに一蓮托生、運命共同体そのものです。

 皆は一斉に安堵の色を浮かべます。

 下士官と一緒に、テキパキと処置をしてると、列車はやっとトンネルの中に逃げ込みました。皆は懐中電灯の光を一点に集中します。

 「すぐ出発する筈だ。艦載機は長居が出来ん。三島で降ろしてやれ」

 「はっ、医者へ運ぶよう手配します。貫通銃愴で骨を外れて居ります」

 「そうか」

 従軍看護婦に戦地帰りの下士官か … 本当に頼りになるよ!
 とにかく出血を止めさえすれば、助かる見込みが大きいそうです。

 三島で罹災者用のパンが配られました。色こそ黒いが、とても美味です。
 列車の銃撃で罹災者になるの? 規則ではそう言うことになるらしい。

 お役所仕事の感じがしないでもないが、鉄道省 … じゃない、運通省は確かに役所。このところ、やたら役所の名前が変わってややこしい。

 そんなことより食う方が先。と、ガツガツ食べて居ります。
 なにしろ、最近食べたものの中では、飛び切り一番の御馳走でした。

 「うまいか?」

 「はい。でも、藁が出て来ました」

 「それは君、芋の茎だ。罹災者用の配給は受けたことが無いのかね」

 「まだです。でも早く罹災して、こう言うのをふんだんに食べたいです」

 「あはは! 面白いことを言うやつだ」

 打ち解けて話題が弾むうち、大佐はどうも講和賛成派らしいと分る。
 惨禍を防ぐ方に一命を捧げる、と言う覚悟の友人がいることも話します。

 色んな貴重なお話しを伺いました。もう講和は無理で降伏は免れないが、それでも天皇は戦争終結に傾いて居られるらしい。本当ならいいのだが …

 大佐は大阪で降り、私は戸籍謄本を取りに広島に直行です。
 勤務先の変更に必要なのです。

 別れ際に、たとえこの先何があろうと、君達のような若い者は決して軽挙妄動に走らず、絶対に生き残らねばならん、と悟されました。

 広島では比治山の麓の親戚に寄り、そのまま市役所へ行きます。
 市電の運転手は、皆、キリリと鉢巻きをした女性でした。

 帰りに産業奨励館の前を通り、太田川の上流に向って散歩をします。
 美しい緑の丸い屋根が、ふと焼ける前の東京駅を思い出させました。

 父親が京都の小学校に勤務してますが、夏、冬、春、と休みが多いので、子供の頃、休みはいつも郷里の広島で過ごすことになって居りました。

 京都の岡崎の疎水と美術館、東京の神田川に架かる聖橋とニコライ堂、そしてこの産業奨励館と太田川、それぞれ散歩に一番適したところです。

 京都と広島が選りによって双方とも戦災を免れるとは … 有難いことだ。
 東京で散々な思いをして来ただけに、ほっと心が和むひとときでした。

 子供のころ、しじみを良く採りに来た川面を眺めながら、このまま戦争が終わってくれればいいのだが、と思いつつ、ちょっと不思議な気もします。

 ここは全国から軍隊が集合、宇品から大陸や南方に向け出て征くところ。
 日清・日露の戦役には、大本営が置かれたところです。

 自らを軍都と称し、謂わば戦争の根拠地みたいなところですから、真っ先に空襲に遭ってもおかしくないのに … でも、そろそろ分らんぞ!

 そうなれば、この美しい、まるで外国の風景に出てくるような緑の丸屋根が水面に揺れる情景も、いつか東京駅のような姿になるのだろうか …

 ま、余計な心配をしている暇はない。夜行で京都に行かねばならない。


      … 原爆が投下される半月前のことでした …

        == 新多 昭二(Shinta Shoji)記 ===

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