陸軍登戸研究所:東京駅にただ一人!
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かんぶりあ
投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(7)】
終戦前の数カ月、東京は戦場でした。
このところ、とみに空襲が激しくなって参ります。
昼も夜も来るんだもんなあ …
昼なら昼、夜なら夜と、どっちかにして貰えんかね!
そうすりゃ、こっちも心積もりがあるってものよ。
五月の末なんか、五百機も来るんだもの。
三月から四月は精々三百機台だったのに … それでも大変だったのだ。
数日置いて横浜だ!今度は五百機を超えてたらしい。
段々多くなるじゃないか!
陸鷲とか海鷲ってえのは、どうなってんの?
居るなら居るで、なんとかしろよ!
東京と神奈川を往復している吾輩なんか、気が気じゃないよ、全く。
まるで往復ビンタだ。大空襲の合間にも中小あるしな。毎日何か来る。
紙に五百の点を書いて見ても結構大変だ。もう空一面、飛行機だらけだ。
七月に入ったら、艦載機がなんと千二百機も来たね。
こんなのが海を越えてワーッと来るんだもの。まるでバッタの異常発生。
見物に来てるんじゃないからね、それぞれ一斉に弾を射つよ。
もし当たったら人間辞めなきゃならん。
もうやめようよ!と言ったって、やまるもんでもないしなあ …
そんな中を「あした参謀本部に寄って来てくれ」、だとさ。
簡単に言うねえ … 大林曹長なんか、昼休みにカボチャに水をやりながら「東京はどうだい」だもの。まるでよそ事だ。川向こうの出来事なのに。
「なんにも無くなりますね、そのうちに」と言ったら「へえ」だとさ。
俺も近在に下宿探せば良かった。そうすりゃこんな苦労は無かったのに。
ぶつぶつ言いながら焼け焦げの道を歩いて居ります。
山の手線はなかなか来ません。
動いているのは、どうも中央線だけのようです。
どこかの変電所がやられたのかも知れません。
都電も来ないので歩きます。ところどころ道が熱くて、熱が靴の革底から足の裏に伝って来ます。
もうその辺は慣れたもの。つま先を上に踵で、コツ、コツ、と歩きます。
冷めたらまた普通の歩き方に戻します。
そんなことを繰り返えしていると、ときどきコブラ返えりが起こります。
虎の門がもう目の前になりました。文部省にもちょっと寄ります。
我々は文部省から陸軍省に派遣されてる立場です。
日比谷公園で朝昼兼用の蒸し芋を食べ、宮城の前に出ました。
二重橋で取りあえず最敬礼。しないといけないことになって居ります。
宮城前の広場をオートバイに乗った憲兵がダダダーッ、と凄いスピードで端から端まで折り返えしながら往復して走って居ります。
ガソリンの無駄使いじゃないのかなあ … あんなに埃を巻き上げて …
任務にかこつけて愉しんでるんじゃないの?血の一滴のガソリン使って。
まあ吾輩も似たようなところがあるが。研究とは言え、けっこう好き勝手なことをやって居ります。砂煙りを横目に見ながら東京駅に向います。
東京駅まで行けば運行状況が分るでしょう。指令所もあるだろうし。
それにしても良く歩きました!
淀橋区、牛込区、四谷区、赤坂区、麹町区 … なんと、実に5つの区を股に掛けて居ります。それに芝区も少し掠めているし。
うん? 近づくにつれ、東京駅の様子がいつもと違うようです。
ありゃりゃあ! 焼けてるよ! 山の手線が来ないのは、この所為か …
赤煉瓦の壁は何とか残って居りますが、あの緑の丸屋根は、曲りくねった鉄骨を晒して無残な有様。銅板は融けて無くなってしまったのでしょう。
それより小生、いささか小さい方を催して参りました。
どうせその辺り、焼け跡だらけなのだから、どこで放なっても良さそうなものですが、そこはやはり紳士の端くれ、多少躊躇を覚えます。
焼け跡にだって、何人かの人は歩いて居ります。
決して見せびらかして自慢するようなものでもありませんし。
駅の中に飛び込むと、むっと熱気が迫ります。
天井から日が射して、以前にもこんなことがあったような不思議な感じ。
トイレだったところの壁が、もうボロボロです。
アチッ!手で触れると火傷します。まだ冷めてないから昨夜の事らしい。
取り敢えず自前のホースを引っぱり出し、体内の保存袋より一条の水流を放出すると、ひっかけた壁から、じゅん!と湯気が立ち昇ります。
本来の湯気と、壁からの蒸発とが重なりあって目の前に立ち上ります。
ん?どうも後ろから見られているような … 誰か来たのかも知れません。
用を足してホールの真ん中に立って見ます。
誰も居らず、どこからも音がしません。これではまるで無響室。
手を叩くと、パシーン、パシーンと木霊します。無響状態ではない模様。
歩くと自分の靴音だけが、ざくっ、ざくっ、と響きます。
一面の白い灰 … じゃないな、これは … どうも骨のようですね。
誰かここで死んだかな? ふとそんな気がします。
回りから何やら見られているような気がして、ちょっと怖くなりました。
何となく霊気のようなものを感じます。ぞっとするような気配があって。
でも、これは実に貴重な体験です。後にも先にも二度とないでしょう。
なにせこの瞬間、広い東京駅に自分一人!自分だけしか居ないのです。
" そうでもないよ " … 何だか、どこからか声なき声がしたような …
折角の体験だが、言い知れぬ恐怖の方が先に立ちます。
慌てて出口に急ぎます。
突然、キィーン! と言う音がして、ドームの鉄骨の空に影が走ります。
出て見ると数機のP-51が、宮城の方向に飛び去りました。
道を歩く人は見上げもしません。よほど身に危険が迫らぬ以上は無関心。
先刻のオートバイの憲兵はどうなったかな … ま、適当にやってるさ。
パン、パン、パン、と、パリパリパリ、が、立体音で交錯します。
でも振り返る人は居ません。自分に向って来ない限り何事もないのです。
もう、こんなことなんか、ごく普通のことになって居りました。
ただ艦載機が飛んだ後は、落ちてる万年筆や筆箱を拾ってはいけません。
キャップを取ったり、蓋を開けた途端、爆発するのです。
どんな油断も死を招きます。そう、ここは帝都と言う名の戦場だから。
***************************************
五十年後のある春の日に、運動がてら同じ道を辿って見ました。
爆撃機や艦載機こそ来ませんが、交通戦争の名誉にならないな戦死者が、戦時を上回る勢いで続いています。そして毎日の嘆かわしい報道の数々 …
私の心情に関する限り、現在の日本が格段に幸せでもなく、必ずしも過去の日本の全てが不幸とは言い切れません。所詮は相対価値なのでしょう。
小学生の頃、壁に貼られた大東亜圏の地図に書き込まれる日の丸を見て、ああ日本人で良かったなあ、と、しみじみ思ったあの誇らしさは、もう体験出来ないことでしょう。でも、それに代る誇りは作り出したいものですね。
幸せにも 不幸にも 「絶対」はない …
それは 人それぞれの心が作る ものだから
== 新多 昭二(Shinta Shoji)記 ===
終戦前の数カ月、東京は戦場でした。
このところ、とみに空襲が激しくなって参ります。
昼も夜も来るんだもんなあ …
昼なら昼、夜なら夜と、どっちかにして貰えんかね!
そうすりゃ、こっちも心積もりがあるってものよ。
五月の末なんか、五百機も来るんだもの。
三月から四月は精々三百機台だったのに … それでも大変だったのだ。
数日置いて横浜だ!今度は五百機を超えてたらしい。
段々多くなるじゃないか!
陸鷲とか海鷲ってえのは、どうなってんの?
居るなら居るで、なんとかしろよ!
東京と神奈川を往復している吾輩なんか、気が気じゃないよ、全く。
まるで往復ビンタだ。大空襲の合間にも中小あるしな。毎日何か来る。
紙に五百の点を書いて見ても結構大変だ。もう空一面、飛行機だらけだ。
七月に入ったら、艦載機がなんと千二百機も来たね。
こんなのが海を越えてワーッと来るんだもの。まるでバッタの異常発生。
見物に来てるんじゃないからね、それぞれ一斉に弾を射つよ。
もし当たったら人間辞めなきゃならん。
もうやめようよ!と言ったって、やまるもんでもないしなあ …
そんな中を「あした参謀本部に寄って来てくれ」、だとさ。
簡単に言うねえ … 大林曹長なんか、昼休みにカボチャに水をやりながら「東京はどうだい」だもの。まるでよそ事だ。川向こうの出来事なのに。
「なんにも無くなりますね、そのうちに」と言ったら「へえ」だとさ。
俺も近在に下宿探せば良かった。そうすりゃこんな苦労は無かったのに。
ぶつぶつ言いながら焼け焦げの道を歩いて居ります。
山の手線はなかなか来ません。
動いているのは、どうも中央線だけのようです。
どこかの変電所がやられたのかも知れません。
都電も来ないので歩きます。ところどころ道が熱くて、熱が靴の革底から足の裏に伝って来ます。
もうその辺は慣れたもの。つま先を上に踵で、コツ、コツ、と歩きます。
冷めたらまた普通の歩き方に戻します。
そんなことを繰り返えしていると、ときどきコブラ返えりが起こります。
虎の門がもう目の前になりました。文部省にもちょっと寄ります。
我々は文部省から陸軍省に派遣されてる立場です。
日比谷公園で朝昼兼用の蒸し芋を食べ、宮城の前に出ました。
二重橋で取りあえず最敬礼。しないといけないことになって居ります。
宮城前の広場をオートバイに乗った憲兵がダダダーッ、と凄いスピードで端から端まで折り返えしながら往復して走って居ります。
ガソリンの無駄使いじゃないのかなあ … あんなに埃を巻き上げて …
任務にかこつけて愉しんでるんじゃないの?血の一滴のガソリン使って。
まあ吾輩も似たようなところがあるが。研究とは言え、けっこう好き勝手なことをやって居ります。砂煙りを横目に見ながら東京駅に向います。
東京駅まで行けば運行状況が分るでしょう。指令所もあるだろうし。
それにしても良く歩きました!
淀橋区、牛込区、四谷区、赤坂区、麹町区 … なんと、実に5つの区を股に掛けて居ります。それに芝区も少し掠めているし。
うん? 近づくにつれ、東京駅の様子がいつもと違うようです。
ありゃりゃあ! 焼けてるよ! 山の手線が来ないのは、この所為か …
赤煉瓦の壁は何とか残って居りますが、あの緑の丸屋根は、曲りくねった鉄骨を晒して無残な有様。銅板は融けて無くなってしまったのでしょう。
それより小生、いささか小さい方を催して参りました。
どうせその辺り、焼け跡だらけなのだから、どこで放なっても良さそうなものですが、そこはやはり紳士の端くれ、多少躊躇を覚えます。
焼け跡にだって、何人かの人は歩いて居ります。
決して見せびらかして自慢するようなものでもありませんし。
駅の中に飛び込むと、むっと熱気が迫ります。
天井から日が射して、以前にもこんなことがあったような不思議な感じ。
トイレだったところの壁が、もうボロボロです。
アチッ!手で触れると火傷します。まだ冷めてないから昨夜の事らしい。
取り敢えず自前のホースを引っぱり出し、体内の保存袋より一条の水流を放出すると、ひっかけた壁から、じゅん!と湯気が立ち昇ります。
本来の湯気と、壁からの蒸発とが重なりあって目の前に立ち上ります。
ん?どうも後ろから見られているような … 誰か来たのかも知れません。
用を足してホールの真ん中に立って見ます。
誰も居らず、どこからも音がしません。これではまるで無響室。
手を叩くと、パシーン、パシーンと木霊します。無響状態ではない模様。
歩くと自分の靴音だけが、ざくっ、ざくっ、と響きます。
一面の白い灰 … じゃないな、これは … どうも骨のようですね。
誰かここで死んだかな? ふとそんな気がします。
回りから何やら見られているような気がして、ちょっと怖くなりました。
何となく霊気のようなものを感じます。ぞっとするような気配があって。
でも、これは実に貴重な体験です。後にも先にも二度とないでしょう。
なにせこの瞬間、広い東京駅に自分一人!自分だけしか居ないのです。
" そうでもないよ " … 何だか、どこからか声なき声がしたような …
折角の体験だが、言い知れぬ恐怖の方が先に立ちます。
慌てて出口に急ぎます。
突然、キィーン! と言う音がして、ドームの鉄骨の空に影が走ります。
出て見ると数機のP-51が、宮城の方向に飛び去りました。
道を歩く人は見上げもしません。よほど身に危険が迫らぬ以上は無関心。
先刻のオートバイの憲兵はどうなったかな … ま、適当にやってるさ。
パン、パン、パン、と、パリパリパリ、が、立体音で交錯します。
でも振り返る人は居ません。自分に向って来ない限り何事もないのです。
もう、こんなことなんか、ごく普通のことになって居りました。
ただ艦載機が飛んだ後は、落ちてる万年筆や筆箱を拾ってはいけません。
キャップを取ったり、蓋を開けた途端、爆発するのです。
どんな油断も死を招きます。そう、ここは帝都と言う名の戦場だから。
***************************************
五十年後のある春の日に、運動がてら同じ道を辿って見ました。
爆撃機や艦載機こそ来ませんが、交通戦争の名誉にならないな戦死者が、戦時を上回る勢いで続いています。そして毎日の嘆かわしい報道の数々 …
私の心情に関する限り、現在の日本が格段に幸せでもなく、必ずしも過去の日本の全てが不幸とは言い切れません。所詮は相対価値なのでしょう。
小学生の頃、壁に貼られた大東亜圏の地図に書き込まれる日の丸を見て、ああ日本人で良かったなあ、と、しみじみ思ったあの誇らしさは、もう体験出来ないことでしょう。でも、それに代る誇りは作り出したいものですね。
幸せにも 不幸にも 「絶対」はない …
それは 人それぞれの心が作る ものだから
== 新多 昭二(Shinta Shoji)記 ===