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陸軍登戸研究所:東京駅にただ一人!

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かんぶりあ

通常 陸軍登戸研究所:東京駅にただ一人!

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/2/6 7:43
かんぶりあ  新米   投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(7)】

 終戦前の数カ月、東京は戦場でした。

 このところ、とみに空襲が激しくなって参ります。
 昼も夜も来るんだもんなあ …

 昼なら昼、夜なら夜と、どっちかにして貰えんかね!
 そうすりゃ、こっちも心積もりがあるってものよ。

 五月の末なんか、五百機も来るんだもの。
 三月から四月は精々三百機台だったのに … それでも大変だったのだ。

 数日置いて横浜だ!今度は五百機を超えてたらしい。
 段々多くなるじゃないか!

 陸鷲とか海鷲ってえのは、どうなってんの?
 居るなら居るで、なんとかしろよ!

 東京と神奈川を往復している吾輩なんか、気が気じゃないよ、全く。
 まるで往復ビンタだ。大空襲の合間にも中小あるしな。毎日何か来る。

 紙に五百の点を書いて見ても結構大変だ。もう空一面、飛行機だらけだ。
 七月に入ったら、艦載機がなんと千二百機も来たね。
 こんなのが海を越えてワーッと来るんだもの。まるでバッタの異常発生。

 見物に来てるんじゃないからね、それぞれ一斉に弾を射つよ。
 もし当たったら人間辞めなきゃならん。

 もうやめようよ!と言ったって、やまるもんでもないしなあ …
 そんな中を「あした参謀本部に寄って来てくれ」、だとさ。

 簡単に言うねえ … 大林曹長なんか、昼休みにカボチャに水をやりながら「東京はどうだい」だもの。まるでよそ事だ。川向こうの出来事なのに。
 
 「なんにも無くなりますね、そのうちに」と言ったら「へえ」だとさ。
 俺も近在に下宿探せば良かった。そうすりゃこんな苦労は無かったのに。

 ぶつぶつ言いながら焼け焦げの道を歩いて居ります。
 山の手線はなかなか来ません。

 動いているのは、どうも中央線だけのようです。
 どこかの変電所がやられたのかも知れません。

 都電も来ないので歩きます。ところどころ道が熱くて、熱が靴の革底から足の裏に伝って来ます。

 もうその辺は慣れたもの。つま先を上に踵で、コツ、コツ、と歩きます。
 冷めたらまた普通の歩き方に戻します。

 そんなことを繰り返えしていると、ときどきコブラ返えりが起こります。
 虎の門がもう目の前になりました。文部省にもちょっと寄ります。
 我々は文部省から陸軍省に派遣されてる立場です。

 日比谷公園で朝昼兼用の蒸し芋を食べ、宮城の前に出ました。
 二重橋で取りあえず最敬礼。しないといけないことになって居ります。

 宮城前の広場をオートバイに乗った憲兵がダダダーッ、と凄いスピードで端から端まで折り返えしながら往復して走って居ります。

 ガソリンの無駄使いじゃないのかなあ … あんなに埃を巻き上げて …
 任務にかこつけて愉しんでるんじゃないの?血の一滴のガソリン使って。

 まあ吾輩も似たようなところがあるが。研究とは言え、けっこう好き勝手なことをやって居ります。砂煙りを横目に見ながら東京駅に向います。

 東京駅まで行けば運行状況が分るでしょう。指令所もあるだろうし。
 それにしても良く歩きました!

 淀橋区、牛込区、四谷区、赤坂区、麹町区 … なんと、実に5つの区を股に掛けて居ります。それに芝区も少し掠めているし。

 うん? 近づくにつれ、東京駅の様子がいつもと違うようです。
 ありゃりゃあ! 焼けてるよ! 山の手線が来ないのは、この所為か …

 赤煉瓦の壁は何とか残って居りますが、あの緑の丸屋根は、曲りくねった鉄骨を晒して無残な有様。銅板は融けて無くなってしまったのでしょう。

 それより小生、いささか小さい方を催して参りました。

 どうせその辺り、焼け跡だらけなのだから、どこで放なっても良さそうなものですが、そこはやはり紳士の端くれ、多少躊躇を覚えます。

 焼け跡にだって、何人かの人は歩いて居ります。
 決して見せびらかして自慢するようなものでもありませんし。

 駅の中に飛び込むと、むっと熱気が迫ります。
 天井から日が射して、以前にもこんなことがあったような不思議な感じ。

 トイレだったところの壁が、もうボロボロです。
 アチッ!手で触れると火傷します。まだ冷めてないから昨夜の事らしい。

 取り敢えず自前のホースを引っぱり出し、体内の保存袋より一条の水流を放出すると、ひっかけた壁から、じゅん!と湯気が立ち昇ります。

 本来の湯気と、壁からの蒸発とが重なりあって目の前に立ち上ります。
 ん?どうも後ろから見られているような … 誰か来たのかも知れません。

 用を足してホールの真ん中に立って見ます。
 誰も居らず、どこからも音がしません。これではまるで無響室。

 手を叩くと、パシーン、パシーンと木霊します。無響状態ではない模様。
 歩くと自分の靴音だけが、ざくっ、ざくっ、と響きます。

 一面の白い灰 … じゃないな、これは … どうも骨のようですね。
 誰かここで死んだかな? ふとそんな気がします。

 回りから何やら見られているような気がして、ちょっと怖くなりました。
 何となく霊気のようなものを感じます。ぞっとするような気配があって。

 でも、これは実に貴重な体験です。後にも先にも二度とないでしょう。
 なにせこの瞬間、広い東京駅に自分一人!自分だけしか居ないのです。

 " そうでもないよ " … 何だか、どこからか声なき声がしたような …
 折角の体験だが、言い知れぬ恐怖の方が先に立ちます。

 慌てて出口に急ぎます。
 突然、キィーン! と言う音がして、ドームの鉄骨の空に影が走ります。

 出て見ると数機のP-51が、宮城の方向に飛び去りました。
 道を歩く人は見上げもしません。よほど身に危険が迫らぬ以上は無関心。

 先刻のオートバイの憲兵はどうなったかな … ま、適当にやってるさ。
 パン、パン、パン、と、パリパリパリ、が、立体音で交錯します。

 でも振り返る人は居ません。自分に向って来ない限り何事もないのです。
 もう、こんなことなんか、ごく普通のことになって居りました。

 ただ艦載機が飛んだ後は、落ちてる万年筆や筆箱を拾ってはいけません。
 キャップを取ったり、蓋を開けた途端、爆発するのです。

 どんな油断も死を招きます。そう、ここは帝都と言う名の戦場だから。

***************************************

 五十年後のある春の日に、運動がてら同じ道を辿って見ました。

 爆撃機や艦載機こそ来ませんが、交通戦争の名誉にならないな戦死者が、戦時を上回る勢いで続いています。そして毎日の嘆かわしい報道の数々 …

 私の心情に関する限り、現在の日本が格段に幸せでもなく、必ずしも過去の日本の全てが不幸とは言い切れません。所詮は相対価値なのでしょう。

 小学生の頃、壁に貼られた大東亜圏の地図に書き込まれる日の丸を見て、ああ日本人で良かったなあ、と、しみじみ思ったあの誇らしさは、もう体験出来ないことでしょう。でも、それに代る誇りは作り出したいものですね。


       幸せにも 不幸にも 「絶対」はない …
        それは 人それぞれの心が作る ものだから


           == 新多 昭二(Shinta Shoji)記 ===

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