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陸軍登戸研究所:墜ちた宝物

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かんぶりあ

通常 陸軍登戸研究所:墜ちた宝物

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/2/6 7:46
かんぶりあ  新米   投稿数: 11
【登戸研究所の思い出(8)】

 今日はB29の調査です。
 別にサイパン島まで出掛けるわけではありません。

 撃墜した残骸を集めたものが、九段に保管してあるのです。
 複数の機体から部分々々を集めて来て、並べてあるらしい。

 B29もよく堕ちました。こっちも随分やられたけど、お互いに大変だ!
 撃墜機数はけっこう多くて、二百機とか三百機とか言う話。

 それだけ多く飛んで来た、と言うことでもありますが。
 だから残骸の資料には事欠きません。とても良い研究材料になるのです。

 どうしても先方の科学技術の方がまさっているので、神州日本の民草どもは鬼畜米英様の落とし物を漁って彼等から学ばねばなりません。

 三科のA君、例のマイダー(米軍の瞬発信管)の仕事を手伝ったのが縁になって、その後は友人になったけど、今日は彼と同行します。

 調査要員として精密機械と電気出身を組合わせたのでしょうが、東京からの通勤経路も大きな理由らしいです。

 特に小生は、学徒動員が飛行機の組立工場だった関係で第一候補。
 陸軍の百式新司偵が展示してある前で待ち合わせます。

 待ってる間、新司偵のリベットの打ち方が丁寧なのに感心しました。
 こうでなくちゃいけないな。天山の場合は素人の学徒だから無理もない。

 あれだって平和時に丁寧に作れば素晴らしい飛行機なんだと聞きました。
 B29の尾翼の前で、思わず、でっけえなあ! と舌を捲きます。

 感心したのは、後で言うマイクロスイッチ。日本には未だありません。
 接点一つに大げさな、と言う気もしますが、物の考え方が違うのですね。

 彼はベアリングに取り憑かれています。
 何でも、使われているグリスが日本には無いものだとか。

 日本のグリスではB29ほど長時間は持たないらしいです。
 一時間ほど紙に塗ったり火を点けたりして、結論は「わからん」でした。

 これはシリコングリスだったのですが当時はまるで正体がわかりません。
 私が一番不可解だったのは、アルミに半田付けがしてあること。

 色々な物を持ち帰ります。まさかエンジンは無理。主に小物を選びます。
 技術畑の人間にとって、これらのものは、まさに天から降った宝物!

 マイクロスイッチは戦後立石電機が国産化、今のオムロンになりました。
 A君は後に教授になり、多くの功績を残しますが今はそれを知りません。

 仕事は予定より捗って、午前中に終わりました。
 二人で相談して、エビガニを採りに行くことにしました。

 ザリガニのことを当時そう呼んでいましたが、知人の家が新小岩にあって戦前に訪ねたとき、あの辺り一帯は家も少なく、殆ど沼地だったのです。

 子供達が良くエビガニを取っていました。ふとそれを思い出したのです。
 これは結構な蛋白質の補給源。公用の腕章を巻き総武線に乗込みました。

 御茶ノ水から秋葉原へさし掛かると、万世橋の駅の前に広瀬中佐の銅像が見えます。ここは懐かしい所です。5年前を思い出しました。

 あの頃は良かったなあ … 銀座にムーランルージュの風車がありました。

 「ほら、あの銅像の前。あそこでスキヤキの肉を買ったことがある」

 「俺もだ」とA君も感慨深げである。そりゃそうだ。彼は地元の人間だ。

 その頃は、神田、万世橋、秋葉原一帯は食品やお惣菜のメッカでした。
 安いので、奥様方は省線に乗って神田に夕食の支度に出掛けたものです。

 五十年後は電気街からパソコンの街になりましたが、「肉の万世」としてその名残りをとどめています。

 両国の国技館の周囲は焼けて居ましたが、国技館の風下に当たった所だけが残っていました。運も不運も、単なる物理現象で決まってしまうのか …

 沼では疎開で子供達が居ない所為か、エビガニが繁殖していて豊漁です。
 お婆さんがやって来て、

 「兵隊さん、荷物になるかも知れないけど、よろしければどうぞ …」

 と、新聞紙に包んだ蓮根を呉れました。双方でかなり栄養が得られます。
 戦闘帽と腕章で軍人と思ったらしいがエビガニを漁る軍人は余り見ない。

 近くの鉄道の操車場の上に鉄橋がありました。

 その上で遠く富士を眺めながら、蒸し芋と玉蜀黍の粉で作った蒸しパンを交換して食べました。喉に詰る以外は満足でした。

 「富士ってえのは、どうしてあんなに美しいのだろう」

 A君は西の空をじっと見据えて語ります。

 「自然だからだろう。あの曲線は自然が作り出すものだ」

 「昔からそのままあるんだなあ … 人間は千変万化するのにねえ」

 「それはそうと、講和は進展してるのだろうか」

 「一進一退らしい。でも、一般の人は何も知らされて居ないんだなあ」

 当時、本土決戦を唱える人と、講和を進めようとする人達の間で、暗黙の戦いが始っていました。

 本土決戦に突入すると、講和派はクーデターを興すことを考えて居たし、講和が実現すると、決戦派がクーデターを興そうとして居りました。

 宮様方まで、意見が二つに別れていました。
 でも訪れたのは本土決戦でもなく、講和でもなく、無条件の降伏でした。

 暫しの沈黙の後、A君はこちらを真剣な顔で向き直り、

 「講和派のクーデターになったら、俺はそちらに加わりたいと思ってる」

 「俺はもうここに居ないが、同じ気持ちだ。とにかく生きていて欲しい」

 「死ぬかも知れん。特攻隊の死は敵艦一隻。この死は一国を救うのだ」

 登戸研究所の戦研委託の大学側移管の仕事も終り、あと二、三日でお別れの日が迫っています。

 「どう言う形にしろ戦争はいつかは終る。そしたらきっと、また会おう」

 「君は京都に戻るんだね。いいとこだろうな。焼けてないのが羨ましい」

 「学校が京都で郷里は広島だ。広島も焼けてないが、この先はどうかな」

 「君!十年後にここで会おうよ。日本がどうなってるかこの目で見よう」

 橋の下を貨車が走っていますが、上りにも下りにも石炭を積んで居ます。
 不合理だ!と、A君が怒ります。もう、何もかも、目茶苦茶な感じです。

 今の日本が誇れるのは、あの富士だけか … 突然、警戒警報のサイレンがひとしきり鳴り響き、二人は鉄橋を去りました。なにせここは目立ちます。

 空襲になると省線が止まるかも知れません。とても歩いては帰れない。
 さて野宿するとなると、どこがいいかな? 新小岩の駅にしましょうか。

 あ、今日は思わぬ収穫がある。そうだ、駅長さんにエビガニと蓮根を進呈して、どこかに泊めて貰いましょう。

 「ビーッ!… 空襲警報発令!空襲警報発令!」どこかのラジオが叫ぶと、
やがて方々から重々しいサイレンの唸りが … 巨大な悲鳴の響きのように。

       … 終戦の1月前のことでした …


       絶対に春が来ないと言う冬はなく
         いつまでも明けない夜もない …

          さあ! 希望に溢れて用意をしよう

         いつか来る その日のために
           きっと来る その日のために …


         == 新多 昭二(Shinta Shoji)記 ===

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