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敗戦の技師(1) (LIPTONE)

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通常 敗戦の技師(1) (LIPTONE)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/3/18 9:29
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 敗戦の技師(1)93/08/11 13:18

 『廃戦・排戦・背戦・敗戦の技術者』(その1)

 昼寝から目を覚まし、冷たいシャワーを浴びていると、いつもより早く午後の作業の連絡電話が入ってきた。
 パンツを履いて電話に出ると、当番の連絡下仕官から、16時から、空中線(アンテナ)作業について緊急打ち合わせたいことがある。 司令部通信室へ出頭せよ・・・とのこと。

 司令部とは、当時のセレベス島マカッサル市へ、ボルネオからやって来た豪州《=オーストラリア》軍と入れ替わりに上陸してきた英印《=イギリス領インド》軍の〈クマオン〉地域占領軍部隊司令部の事である。200名程の小部隊で、当時我々(国際電気通信株式会社)技術者がみて、かなり貧弱な通信機しか持っていなかった。
 熱帯地方特有の空電(カミナリなどによる雑音電波)と元来貧弱な装備のため、当時の昭南島《=シンガポール》或は更に遠くインド本国との無線通信がなかなか思うように出来なかったらしい。

 16時キッカリに通信室へ行くと、技術准尉《じゅんい=准士官》と2~3名の下士官達が私の来るのを待っていた。日本の神戸市にしばらく住んでいたと言うこの准尉から、『これから、君に話す事は他言してはならぬ。じつは、ここ1~2日特に雑音が激しくて、反復・確認のため通信作業が、進捗《しんちょく=物事がはかどる》しない。 まともなアンテナを設立すれば状態が改善されるかも知れない。 
 これは、ただ1冊の参考書(手引書)だが
 アンテナの張り方が図入りで説明されている。 
 出来るなら、今夜このようなアンテナを立ててしまい度い。 
 問題はアンテナ線を張る方向である。 磁石や地図は有るが、星座はない。
 また、周波数がおなじで、一つのアンテナでマウントバッテンの司令部(インド)と、昭南島(いまのシンガポール)の2方向に通信したい。作業兵なら、下仕官付きで10名位なら都合つく。 どうだ、やれるか?』 と丁寧に頼まれた。

 知人に帝国海軍の掌通信が居るが、彼に「方角」の事を尋ねてよいものかどうか一寸と迷ったが意を決して尋ねてみた。

 帝国海軍でもスラバヤ(ジャワ島)の他に昭南島とのネット(通信網)を持っていたので事は思ったよりも簡単に済んだ。
 兵器引き渡しの際、アンテナやトーチカなどの地上施設は、すでに最初にやって来た豪(オーストラリア)軍に見取図と共に引き渡し済み・・・・とのことを掌通信長から知り得たので英印軍情報部がアンテナ設備図面を捜し出すことになった。

 目的の図面が入手出来たのは夜明け少し前であった。「星」を観測する必要がなくなったので、夜が完全に明けても差し支えなく、そこで一先ず睡眠を取ることにした。コーヒーで腹がジャブジャブだったが、蚊よけのクリームを顔面、首回り、手等に塗り付けて直ぐ机の上で眠って仕舞った。

 寝苦しいので向きを変えたら眼鏡が押されて鼻筋が痛くて、目が覚めた。 
 天井灯の形が違うので自室で無いことがすぐに分かった。英印軍の通信室に居る事に気付いたのはその直後で、これから司令部裏にある日本軍が造った通信壕で空中線工事を始めなければならないのだ・・・と意識も正常に戻った。 
 微かに睡眠不足を感じたが、「きのうの敵」の為に協力しなければならないと言う一種の責任感を覚えたのか、意外に元気な夜明けだった。

 トイレから室へ戻ると、例の神戸に居たことのある准尉と彼の当番兵がやって来た。彼らは徹夜のまま一睡もしていなかった。
 『オ早う。今から30分したら、送信壕の方へ行く。作業兵4名と下仕官1名が待って居る筈《はず》。現場で作業の説明と打ち合わせが終わったら朝食のため食堂へ案内する。それまでここを離れぬ様に。 取り敢《あ》えずこれでも飲んで・・・』と当番兵の手から取り上げた水筒にいれたコーヒーを渡してくれた。

 英語の話せぬ通信兵が手真似で「電話に出る様に」合図するので彼の机に行って電話に出ると、准尉からだ。作業兵も、准尉もこれから2時間休憩に入る。休憩後朝食を済ませてから送信壕の方へ行って、説明や打ち合わせを始める、以上。 との要旨だった。

 2時間もあるので、自分のキャンプ(マカッサル終戦連絡事務所)に戻る事の許可を貰い、車側に、郵便切手大の「日の丸」を描いた司令部貸与のフィアットに乗ってキャンプへ飛んで帰った。
 念のため、もう一度、無線工学ポケットブックの空中線(アンテナ)整合(マッチング)の頁を読み返したり、キャンプで少し時間遅れの朝食を済ませて通信室へ取って帰した。

 間もなく空中線作業の説明・打ち合わせがはじまるから・・と迎えの連絡兵が来た。この通信室から徒歩3分の所に送信壕が、更に徒歩3分行った所の広場に沢山の木柱があり、アンテナやフイダーの支柱群であった。
 送・受信壕を含めてこんな場所に多くのアンテナ施設があることは全然知らなかった。元日本海軍第102根拠地司令部の中庭に柱の森があったなんて・・・

 英印軍が入手した引き渡し書類は英文で、タイプライターで書かれていた。
 かなり分厚い書類で、中には発電気や蓄電池、受信器類の手書きスケッチもあった。 
 あの終戦のドサクサの大混乱の裡《うら》で、誰がいつこの様な(戦に負けた場合の)用意をしていたのか悲しさと驚きに胸が痛かった。
 准尉と下仕官はピンとした英文書類を私はやゃクシャクシャの日本語の書類をもち、大地を黒板代わりにして、説明を始めた。
 下仕官は英語の説明をインド語に通訳して部下に長々と説明した。 
 暫くするとアメリカ製ジープが線材料や絶縁碍子《がいし=絶縁器具》や工具などをトレーラーに入れて届けて来た。

 下仕官の命令一下、アッと言う間にトレーラヘから荷物が降ろされて、工具が分配された。 材料の点検が終わるといよいよ私の出番が来た。 
 半ばボロボロになった青焼き《=青写真》の配線図を辿《たど》りながら、昭南島方面へ指向した空中線へのフイーダを見つけ出した。  
 平行2線式のもので、地上3メートルぐらいの高さで、指向性アンテナに接続されている。  
 送信波長が日本軍の使用波長と異なるので調整が必要であった。  
 英印軍のほうが波長が短いので既存のアンテナ素子を短くして、其《そ》の分途中に碍子をいれてピーンと張り直した。
 10インチの計算尺《=物差し型の計算機、スライドルール》を使って短縮すべき長さを算出した。すべての作業は敗戦国の一技師が指示し、(中間にインド語への通訳付き)地域占領軍の兵を駆使(?)して遂行されたのだ。

 一応完成したところで休憩する。  
 イギリス製の送信機からフィーダ端への接続が終わった時、自分も休憩した。  
 我々が休憩している間に実際に送信電波を試験発射した。
 シンガポールから「受信状態」に関する折り返しの報告を待ち受けた。

 任務から解放された兵士達が、三々五々集まって来出した。
 がやがや騒がしくなりかけた時、一瞬静かになった。情報部(らしい?)の将校と通信の准尉が足早にやってきて、准尉が私を指差しながら何か将校に告げ口をした。
 将校がキッとなったのが良く分かった。私の体中に悪い予感がよぎり頭の中が冷たくなった。
   
 “私は全通信の責任将校で、中尉である。 
 只今受けた報告によると、当方の通信電波の状態は非常に改善され、相手方での受信は(メリット)5乃至4だと言うことである。貴方《あなた》の協力に感謝する・・・”を聞いて、今引いて行った血液が正常に戻った。
 特に意味が有る訳でも無いのに、何だかこの中尉に敬礼し度い気持ちになった。同時に心の底で、それとなく〈やましい〉気もした。「へつらい」の敬礼なのか、それとも人間として極く自然の行為と言えるのか・・?
   
 さて、昭南方向のアンテナ工事に成功したところで昼食になって、この将校が仕官食堂(と言っても板張りのギシギシ音がする薄暗い部屋)へ誘ってくれた。 
 舌がちぎれる様にピリピリ辛い、まっ黒なカレーライスと(今思えば)ヨーグルトとバナナとお茶のランチだった。まっ白いテーブルナフキンが目に痛かった。
 中尉は無口で食べている自分に向かって盛んにカレーライスの説明をしてくれたが、インドの地方名が次々に出て来て退屈した。 
 彼は何を考え乍《なが》ら、この敗戦国の男をもてなして居るのだろうか?

 『午前中の作業結果が満足なものだったので、同様な方法で本国向けアンテナの建設を午後行う。要員は午前中と同じだが材料は・・・』などの話しも出た。

 退屈な昼食が済んだ。 
 私は中尉を残して暗い食堂を出た。
 勝手に司令部内を歩いても良いのか。とがめられるのでは?
 心配し乍ら来た道を通って現場へ戻った。小型のドラム缶に金属コップを4~5個引っかけて置いてある。 
 中を覗《のぞ》いて見ると紅茶が入っていた。 
 靴下に紅茶の葉を詰めたものが2個投げ込まれていたが少しも不潔と言う感じがしない。
 むしろ、臨機応変の頭の良さに敬服した。 
 兵の一人が無言で紅茶をすくって目のまえに持って来てくれた。 
 砂糖は無かったが温かい心とミルクがあった。

 熱帯の太陽が照り付くこの空中線広場の事を「アンテナ・ヤード」と彼らは呼んでいた。 
 だいぶん渋い紅茶を飲んだが眠たくてたまらない。 
 昼寝の時間は有るのかなあ・・あれば良いが・・と、満腹も手伝ってぼんやりしていた。 
 暫らくすると兵士達が靴を脱ぎ始めた。 
 しめたっ! 昼寝の時間なのだ!

 戦に負けても大日ッ本帝国の技師である。奏任官《そうにんかん=官吏の身分の一、3等高等官》待遇の者がこんな軒先で寝ころんで昼寝ができるかッ!  
 キャンプに帰って少し休んで、また戻って来る時間は有るのだが・・・
 やせ我慢を張って、しばらく座して目を開けていた。

 遂に文字通り不眠不休(時々やすんだが)で頑張った。午後の作業はインド本国と直接通信する為のアンテナ造りである。午前中の作業で要領が掴《つか》めているので、通訳時間も短く、兵士の動きも活発で、跡片ずけを含めて、ほぼ2時間で作業は終了した。

 空中線作業のため特別に編成した分隊は解散になったが自分の身柄はまだ解放されない。 
 定時の通信時刻になるまで、通信室で時間待ちをする事になった。通信准尉もやって来た。
 准尉の語るところに依れば、明日から[現地部隊報]とでも称するガリ版新聞を出す・・・との事。 
 シンガポールとの連絡がスムーズになり各種のニュースが得られる様になったからだった。

 室の一郭《いっかく=一隅》からざわめき声が聞こえた。准尉がサッと立ち上がって声の方へ行った。 彼は、すぐ引き返して来て、嬉《うれ》しそうに、『届いた! シンガポール程良くはないが今迄届かなかった
当方からの無線通信が上陸以来初めて届いた。 
 アンテナは成功したのだ。 
 あとは、異なった時刻のテストだけ・・・』と言った。
     
 交代要員が入ってきて、今まで居た通信兵が出て行く。
 私の傍を通って行く兵士の一人が私に向かって拝む様に手を合わせた。
 すると、次の兵士も同じ様に手を合わせて通り過ぎた。
 「どう言う意味だろう?」、「私も手を合わせ返す必要があるのでは・・・」、「彼らは日本人に好意を示しているのだ!」、「それとも私の身に何かが起きるので・・・」と考え始めた。

 大分時間が経った。近くの兵員食堂から食器を配列する音が聞こえて来る。やがて夕食の臭い(香りではない)もして来る事だろう。
 早く自由な身にして欲しい。  
 粗末でも自分のキャンプにかえって、下帯一丁になり度い。 
 「もう帰っても宜しいか?」と誰に尋ねれば良いのか? 
 こんな事言い出すと叱《しか》られるのでは・・
 とにかく、体は疲れているし眠たいのだ。 帰り度い。
 こんな時准尉に電話がはいった。
 『そこに居る日本人の技術者を連れてこい。』 と中尉から掛かって来たらしい。 
 准尉は交換台の横を通ってドアーに近付きながら、手招きで私を呼んでいる。
 何だか急いで居る様子だ。
 足早に通信室を出て、番兵の立っている階段を上がって二階へ。
 上がった所のドアー解放の小部屋に入ると准尉は中尉に敬礼し静かに私を突き出した。 
 自分もこの中尉に敬礼すべきものか一瞬迷よったが、結局敬礼はしなかった。 
 しかし、直立不動の姿勢をとった様に覚えている。
 大体「帽子も被らずに挙手」は不格好だ。

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