敗戦の技師(5) (LIPTONE)
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戦争の思い出をのこす (LIPTONE) <一部英訳あり> (編集者, 2007/3/4 20:50)
- 『奇遇』 (LIPTONE) (編集者, 2007/3/16 15:26)
- 『ジャゴン』 (LIPTONE) (編集者, 2007/3/17 8:12)
- 敗戦の技師(1) (LIPTONE) (編集者, 2007/3/18 9:29)
- 敗戦の技師(2) (LIPTONE) (編集者, 2007/3/19 8:35)
- 敗戦の技師(3) (LIPTONE) (編集者, 2007/3/20 9:53)
- 敗戦の技師(4) (LIPTONE) (編集者, 2007/3/21 8:31)
- 敗戦の技師(5) (LIPTONE) (編集者, 2007/3/22 8:11)
- 引き上げ(1) (LIPTONE) (編集者, 2007/3/23 8:31)
- 引き上げ(2) (LIPTONE) (編集者, 2007/3/24 8:01)
- ただ今帰りました! (LIPTONE) (編集者, 2007/3/25 8:42)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
敗戦の技師(5) 93/08/11 13:28
広い臨時病室では、ちゃんと並んだキャンバス・ベッドの間を裸足《はだし》で(スリッパは音をたてる)歩いている元気(?)な病人がいた。
少し涼しい空気を深呼吸しながら連絡所内を一巡して自分の部屋へもどる。
午前5時所長が気を効かせて全員を強引に起床させる。
直ぐ中庭に集合させ、所長としては多分最後の挨拶《あいさつ》的な訓辞を涙と共に行った。
今朝はラジオ体操は無く、海岸側の臨時増設便所の埋め立てをする。
いつもより少し早い最後の朝食を済ませると直ちに日本製の調理器具、あらゆる食器等を洗い直して整頓《せいとん》する。
中庭では、不用文書類や燃やす事の出来る私物やガラクタに油をかけて燃やし始めた。
嬉しくて楽しい煙りだった。
引き揚げ船が接岸完了し、これから給水を始める。
桟橋の事務所では、下船した軍医中将とマカッサル終戦連絡事務所長とが出会っている・・・との英印軍司令部からの電話連絡有り。
これが最後の連絡電話となる。
手回し式野戦電話機2セットの電話線を取り外し、忘れない内に・・・とジープに乗せる。
6個の停電灯、2台のタイプライターなど司令部へ返還するものをすべてジープに積み込んだ。
病院車と2.5トンのトラックがきて、病人、軍医、衛生兵及び応援に来ている者達の個人荷物を乗せて桟橋へ向かった。
事務所要員全部は服装検査、大声の点呼の後、有田小尉指揮下、手ぶらで桟橋広場へ出発した。
印軍の通信兵がやって来て、電話線の撤去を始めた。
何の事はない、自分だけほこりっぽい事務所から動けないで居る。
事務所の外周には申し訳的な鉄条網が張られているが、その外には、物見高い原住民が沢山集まって覗く様にしている。
連中の眼が自分に集中している様にも思える。
情報部から自分だけに足止めの命令(要請)が来ているのだ。
見物人の目の前で、ジープのエンジンを噴《ふ》かせたり止めたりしている苛《いら》立った自分が良く分かった。
NICAが私を引き留め度い(らしい)のだ。
丁度正午になってしまった。
引き揚げ者は既に乗船をしている筈だ。
置いてけ放りにされたら大変だ!
MPの腕章を付けた2名の兵がジープでふっ飛んで来た。
『早く其の車などを司令部へ返してくれ。
情報部では待つている。』との伝令だ。
とんぼ帰りのMPのジープと同時に指令部へ入る。
私物袋だけ取り出してジープと、それに積んだ返還物件を待ち受けていた将校に指で示めそうとしたら、その前に「OK」が出ていた。
すぐMPのジープに乗り換えると、ワーッと言う声。
ざわめきの声は司令部の兵達で、3~4名の通信兵が靴を履きながらジープに乗せられた私の所へ駆け足でやってくる。
2階の窓から2~3名の兵が、上半身裸で、草色の毛布を振ったり窓枠を叩《たた》いて私に(別れの)合図を送ってくれた。
MPのジープが発車する直前の瞬間の出来事で、私は、とっさに、白墨《はくぼく》で汚れを隠した白いヘルメットを大きく振った。
MPは私に「・・・サー」と言う敬語(?)を付けてくれた。波止場に近付くと、英印軍の車両とNICAの乗用車の群れが目に止まった。
桟橋広場には日本人の姿は無い。
私を乗せたジープに向かって見覚えのある情報部の将校が大きく手を振り回して「ここへ来い」と呼んでいる。
そこは、乗船する為に残された1本のタラップの地上位置であった。
将校の他にNICAの高級職員(らしい)や、白人の警官らしい男が立っている。
無言でジープのMPに片手で拝む格好をして車を飛び降りる。
『持ち物を全部ここへ置け。 帽子を取り、服を脱げ。靴も靴下も、シャツも「おしめ(ふんどし)」も全部脱ぎ捨てよ!』ポケットから、私の事が書いてある部隊新聞と、通信中尉のインドの住所を記した紙片を持ち帰る事の許可を(悔しいが)哀願したが聞き入れられなかった。
「ノー」と言いはなって威張ったオランダ人の職員をブン殴ってやりたい気持ちがして躯が震えた。
距離は有ったが、沢山な人々の見守るなかで本当の素っ裸になった。
頭から薬液の噴霧を受けた後、シャツ、パンツ、ズボン、靴下、靴、上着、帽子と順に英印軍の服装を身につける。
『行ってもよし』と、オランダの田舎者アクセント丸だしの英語でどなって、私の背中をグイと突き放す。タラップの下から上にむかって指差し、「早く登れ」と顎《あご》で命令する。
オーイ、完全な手ぶらだ。
他の乗船者は検査をうけて、2個までの私物袋を持ち帰る事が出来たのに、自分は「な~んにも」持ち帰れない。
差別待遇に腹がたつ。残念。悔しい。空袋も無い。
「おめでとう」、「早くあがってこ~い」と甲板から白衣の連中の声がする中を半ベソをかきながらタラップを駆け足で登る。
登り詰めたところに船の事務員(?)が机の前で私を待つていた。
下を見ると、もうタラップが引き上げられつつあった。
船上は戦場の様に騒がしくなった。笛がなる。ドラがなる。汽笛が鳴る。
突然桟橋事務所辺りからバリバリッとカービン銃の音がする
良くみると、10名ほどの英印軍の兵隊が、空へ向かって発砲し、他の兵達は軍帽をちぎれるほど振っている。
気が付くと、我らのLST船には大きい日章旗が翻《ひるがえ》り、滑るように、桟橋を離れていった。 訳も無く涙があふれた。
広い臨時病室では、ちゃんと並んだキャンバス・ベッドの間を裸足《はだし》で(スリッパは音をたてる)歩いている元気(?)な病人がいた。
少し涼しい空気を深呼吸しながら連絡所内を一巡して自分の部屋へもどる。
午前5時所長が気を効かせて全員を強引に起床させる。
直ぐ中庭に集合させ、所長としては多分最後の挨拶《あいさつ》的な訓辞を涙と共に行った。
今朝はラジオ体操は無く、海岸側の臨時増設便所の埋め立てをする。
いつもより少し早い最後の朝食を済ませると直ちに日本製の調理器具、あらゆる食器等を洗い直して整頓《せいとん》する。
中庭では、不用文書類や燃やす事の出来る私物やガラクタに油をかけて燃やし始めた。
嬉しくて楽しい煙りだった。
引き揚げ船が接岸完了し、これから給水を始める。
桟橋の事務所では、下船した軍医中将とマカッサル終戦連絡事務所長とが出会っている・・・との英印軍司令部からの電話連絡有り。
これが最後の連絡電話となる。
手回し式野戦電話機2セットの電話線を取り外し、忘れない内に・・・とジープに乗せる。
6個の停電灯、2台のタイプライターなど司令部へ返還するものをすべてジープに積み込んだ。
病院車と2.5トンのトラックがきて、病人、軍医、衛生兵及び応援に来ている者達の個人荷物を乗せて桟橋へ向かった。
事務所要員全部は服装検査、大声の点呼の後、有田小尉指揮下、手ぶらで桟橋広場へ出発した。
印軍の通信兵がやって来て、電話線の撤去を始めた。
何の事はない、自分だけほこりっぽい事務所から動けないで居る。
事務所の外周には申し訳的な鉄条網が張られているが、その外には、物見高い原住民が沢山集まって覗く様にしている。
連中の眼が自分に集中している様にも思える。
情報部から自分だけに足止めの命令(要請)が来ているのだ。
見物人の目の前で、ジープのエンジンを噴《ふ》かせたり止めたりしている苛《いら》立った自分が良く分かった。
NICAが私を引き留め度い(らしい)のだ。
丁度正午になってしまった。
引き揚げ者は既に乗船をしている筈だ。
置いてけ放りにされたら大変だ!
MPの腕章を付けた2名の兵がジープでふっ飛んで来た。
『早く其の車などを司令部へ返してくれ。
情報部では待つている。』との伝令だ。
とんぼ帰りのMPのジープと同時に指令部へ入る。
私物袋だけ取り出してジープと、それに積んだ返還物件を待ち受けていた将校に指で示めそうとしたら、その前に「OK」が出ていた。
すぐMPのジープに乗り換えると、ワーッと言う声。
ざわめきの声は司令部の兵達で、3~4名の通信兵が靴を履きながらジープに乗せられた私の所へ駆け足でやってくる。
2階の窓から2~3名の兵が、上半身裸で、草色の毛布を振ったり窓枠を叩《たた》いて私に(別れの)合図を送ってくれた。
MPのジープが発車する直前の瞬間の出来事で、私は、とっさに、白墨《はくぼく》で汚れを隠した白いヘルメットを大きく振った。
MPは私に「・・・サー」と言う敬語(?)を付けてくれた。波止場に近付くと、英印軍の車両とNICAの乗用車の群れが目に止まった。
桟橋広場には日本人の姿は無い。
私を乗せたジープに向かって見覚えのある情報部の将校が大きく手を振り回して「ここへ来い」と呼んでいる。
そこは、乗船する為に残された1本のタラップの地上位置であった。
将校の他にNICAの高級職員(らしい)や、白人の警官らしい男が立っている。
無言でジープのMPに片手で拝む格好をして車を飛び降りる。
『持ち物を全部ここへ置け。 帽子を取り、服を脱げ。靴も靴下も、シャツも「おしめ(ふんどし)」も全部脱ぎ捨てよ!』ポケットから、私の事が書いてある部隊新聞と、通信中尉のインドの住所を記した紙片を持ち帰る事の許可を(悔しいが)哀願したが聞き入れられなかった。
「ノー」と言いはなって威張ったオランダ人の職員をブン殴ってやりたい気持ちがして躯が震えた。
距離は有ったが、沢山な人々の見守るなかで本当の素っ裸になった。
頭から薬液の噴霧を受けた後、シャツ、パンツ、ズボン、靴下、靴、上着、帽子と順に英印軍の服装を身につける。
『行ってもよし』と、オランダの田舎者アクセント丸だしの英語でどなって、私の背中をグイと突き放す。タラップの下から上にむかって指差し、「早く登れ」と顎《あご》で命令する。
オーイ、完全な手ぶらだ。
他の乗船者は検査をうけて、2個までの私物袋を持ち帰る事が出来たのに、自分は「な~んにも」持ち帰れない。
差別待遇に腹がたつ。残念。悔しい。空袋も無い。
「おめでとう」、「早くあがってこ~い」と甲板から白衣の連中の声がする中を半ベソをかきながらタラップを駆け足で登る。
登り詰めたところに船の事務員(?)が机の前で私を待つていた。
下を見ると、もうタラップが引き上げられつつあった。
船上は戦場の様に騒がしくなった。笛がなる。ドラがなる。汽笛が鳴る。
突然桟橋事務所辺りからバリバリッとカービン銃の音がする
良くみると、10名ほどの英印軍の兵隊が、空へ向かって発砲し、他の兵達は軍帽をちぎれるほど振っている。
気が付くと、我らのLST船には大きい日章旗が翻《ひるがえ》り、滑るように、桟橋を離れていった。 訳も無く涙があふれた。