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東村山 ふるさと昔語り その2

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通常 東村山 ふるさと昔語り その2

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/6/24 8:02
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 空襲 (2)

 秋津の古老に聞く

 空  襲

O秋津方面は空襲がひどかったな。昭和二十年の四月二日は忘れられないな。B29がやってきて。一機が撃墜されたわな。くるくると回りながら落下してくるんだ。小俣権太郎さん(秋津町1-4)の前の畑に落ちてね。あん時(あの時)は民家一戸が焼け二十三戸が破壊されたんだから。米兵は十一人乗っていたんだ。米兵の死体をとりあげ、それを花見堂の共同基地に埋めたんだからね。
○家の庭には手と足が落ちたんですよ。
○小俣さんのところでは三十五年七月にアメリカ兵の戦没《戦争で亡くなった人》供養をして、墜落したところに平和観音像を建ててね。アメリカの方から感謝されたね。
Oそれから四月二十四日の朝、B29の編隊《二機以上の飛行機がある形になって飛行する様》の(※)空襲があってね。柳瀬橋のところの肥沼武比古さん(秋津町3-21)辺りがひどかった。爆弾で橋付近一帯二十数戸が吹さとばされ、武比古さんの庭に死者が並びきれなかった。五十数人とかいったね。みんな爆撃でやられたんだから。怪我人も多く、全くひどかった。悲惨なものよ。
O敵機が錫《すず=注》のようなひらひらした長いものをたくさん撒いたな。久米川の方も大分爆撃にあって死者三人とか、怪我人も多かったといわれる。毎日毎日空襲警報でな。アメリカが宣伝のビラをまいたな。
○とにかくこんな悲惨なことは二度とあってほしくないね。

 (※)「東村山の空襲」参照

米軍機が各地にまいたビラ
内地決戦という軍部の勇ましいかけ声をよそに国民は連日の空襲に追われっづけ絶望していた。アメリカ軍機は各地に戦意そう失のビラを投下した。



注1.
銀白色の固体金属で 有史以来知られる金属 延性 展性に富み スズ泊等に用いられる



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