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東村山 ふるさと昔語り その4

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通常 東村山 ふるさと昔語り その4

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/6/26 8:01
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 戦争の周辺

 久米川の古老に聞く

 陸軍の演習

○その鷹の道がね、雨でも降ると雨で掘られちゃって、肝心の人間の通るところもなくなっちまうんですよ。御成橋があんな状態だったから。兵隊が演習に来た時があったでしょう。鷹の道は困っちゃってね。丸木じゃ、歩兵なら通れるけど野砲なんか通ることができない。大正元年(一丸一二)秋に川越や飯能方面に大演習があったけど、それより後の、昭和二年十一月、この辺一帯で陸軍演習があって、各農家へ二人か三人ぐらい兵隊が泊まっただがね。
○そんでもって、男の子らは、兵隊の後をくっついちゃって、兵隊が進むその先へ、その先へついていって、帰りにはもう腹はへるし、疲れて帰って来るだからね。
○その演習の時に秩父宮殿下がお出でになって、久米川辻の当間要作さん、元年さんの家にお泊まりになってね。お付きの将校も泊まったったんですね。そしてその時、うちみたいなところに泊まったのは下士官かな。
○野際、江戸道と久米川中はほとんど、ちょっと広い農家では二、三人割りあてとなって、兵隊が泊まったんだね。
○その当間さんところには、秩父官付の武官からの、演習も無事終わったし、お世話になったという礼状があるというがね。
Oこのころの戸数というと野際組は三十七戸、野行は三十戸たったね


 八坂付近の古老に聞く

○正視寺の庭では、徴兵検査(※)に合格し、翌年入営する人の予習教育が行われたもので、清瀬、小平、犬和、東村山の四か村連合で訓練をしました。

  ※徴兵検査…男子は二十歳になれば兵役に服す
   義務があり、軍の検査を受けた


 飛行機

 秋津の古老に聞く

 所沢街道

O戦時中、所沢の飛行場へ、中島製作所から飛行機の胴体など大きな荷車を積んで馬や牛で運ぶんだが、その坂が大変なものだったから、新道を作って真っ直ぐにしたんだな。それが新道の坂だ。
 旧所沢街道は空堀の方から浜の台へ、比留間信春さん(秋津町3-4)の西側を通って柳瀬の橋を経て、そこから曲ってタッチュード坂から所沢へぬけたんだな。旧坂は牛車などで登ったり曲ったりで、それこそ大変だったんだ。

  ※中島飛行機製作所…実業家中島知久平が大正六
   年、現、武蔵野市に設置した一大飛行機工場。重
   要施設ということで昭和十九年十一月以降、頻繁
   にB29編隊の爆撃を受けた


 秋津の古老に聞く

 飛行場見物

○わたしが高等二年《注》の時に所沢に飛行場ができた。うちの親戚の者が飛行場の入場券があるから、明日早く行くので、というので、朝早く起き、仕度をして一緒に見に行った。飛行機を見るのは葦の茎で編んだ例の葦簾張りの中ですよ。「ただ今、飛行機が出てきました。出てきました。」といった調子でね。
 格納庫から出てきたが、見ていると、いくらかあがって飛んだが、まあ-いくらでもなかったな。
風が吹くと今日は駄目ですなんてことがあった。パイロットは徳川大尉といった。
○大正半ば、陸軍航空学校ができたが、所沢の街も兵隊さんが往来したな。
O昭和十年ごろまでかな、もっとかな、桜の花の咲くとき飛行学校内をみせてくれたな。所沢の街には「飛行機せんべい」も売っていた。

注.
当時は小学校では尋常科6年間(義務教育)高等科2年間(自由入学)の制度があった

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