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東村山 ふるさと昔語り その8

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編集者

通常 東村山 ふるさと昔語り その8

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/7/3 8:55
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 青年団

 野口の古老に聞く

 青年団の活動

○青年団のことだが野口辺りは青年団の元祖ともいえると思うのだが。八坂神往を中心として青年団の活動が野□地区で盛んだった。
O八坂神社に対する信仰を、神輿《みこし》を担ぐということで、青年が主体にならなければなかった。
○それから、青年団活動の一つとして、大正十三年二月、雅楽《ががく=注》を導入し修得することになりました。総員十三名、うち代表二名で発足、楽器は土地の有志の寄付金により購入しました。
O雅楽を教える人は所沢の三芳さん(神明社社掌・三芳武磨氏)、下新井の三上さん(熊野神社社掌・三上嘉智氏)、それから入間川の青田さん(八幡神社社掌・青田義雄氏) の三名の神官の方にお願いしました。
 はじめ二週間ぐらいは毎日、午後七時から十時ごろまで練習しました。川越線の最終が十時半でしたのでそれに乗り遅れないよう、ぎりぎりの時間まで指導していただきました。
 現在で七代目になるかな。
 また「(※)浦安の舞」は。(※)皇紀二千六百年の昭和十五年に平和祈願の舞として導入、女子によって修得されました。府中の大国魂神社に習いに行って十一月十五目八坂神社での式典に舞われました。
 ※浦安の舞…市指定の無形民俗文化財。
浦安の舞の歌詞は、昭和天皇の御歌。
「天地の神にぞ析る朝なぎの海のごとくに波立たぬ世を」
 ※皇紀・・・『日本書紀』の紀年にもとづき、神武天皇即位の年を元年と定めた日本紀元。それによれば、西暦二〇〇〇年は日本紀元二六六〇年にあたる。


 西宿の古老に聞く

 青年団活動

○青年団になる前、女子は「処女会」という会で活動していました。
 私どもが若い時は男女が話をしても何だかんだと言われるような気がした。婚約するまで口を利かなかったもんだ。
「昔の恋愛結婚は」ってきかれても恋愛なんてもんじゃない。「なれあい」「くっつきあい」などと言ったもんか。


 野行・野際の古老に聞く

 青年団活動

 青年団活動は大変盛んで、十六歳から三十歳までが団員で、大正七、八年から十年ころが一番盛んであった。当時軍国調の訓練などを受けたが、それとは別に奉仕活動や運動(スポーツ)の合宿などもやり、郡下の青年団体育大会に出場したりした。久米川には団員が三百人もいた。こうして盛んだった青年団活動も戦後だんだん低調となり(全国的傾向)、それに取って代わり、婦人活動が盛んになって現在に至っている。

注.
奈良時代に 中国 朝鮮より渡来した音楽

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