@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

東村山 ふるさと昔語り その3

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 東村山 ふるさと昔語り その3

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/6/25 7:28
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 空襲(3)

 久米川の古老に聞く

 爆撃の戦禍《せんか=戦いによる被害》

○四十年前のあの戦争。日本全土が空襲に遭いましたがこの辺も度々B29がね。久米川にご承
知のように爆弾が落ちてね。うちなんか、えらいことになりましたよ。私なんか、えら(たくさん)畑をやっていたが、爆弾が落ちて何もかもいっべんにふっとんじゃってね。終戦の年の四月だね。
空襲が続いてね。全くひどかったな。
Oこの辺で爆撃で亡くなったのは桜井喜三さんの長女であの若いおていちゃんと、家じゃ二人(榎本孫一さんの奥さんとお父さん)そして小林さんという人と町田伝八さんと五人だね。
O四月二日の未明。そのときは当間隼人さんの奥さん、おばあちゃんだね。家なんかは四月二目の空襲でね。二目には焼夷弾が落ちてね。で町田さんところに落ちて火事になっちゃってね。それから井戸水を汲もうと思ったら井戸に爆弾が落っこってて、汲めなくなっちゃったんです。
Oあん時じゃないの、あの秋津に落っこたのは、二目と二十四日にね。四月二日の時には敵機が1機墜落してね。小俣さんの所だね。時限爆弾《一定の時間経過後爆発する爆弾》を積んでありやがって、次々に爆裂して庭前の所に直径二十メートルもの大穴が掘られ、米兵の遺体が散乱し、すごかったね。現在、そこのところに供養と平和祈願として小俣さんが観音様を祀《まつ》ってあるがね(秋津町1-4)。
O私の家なんかへ落ちたのは瞬発っていうもの。当たればすぐ跳ねるやつ。それから焼夷弾のときのは時限爆弾。それがあの町田さんの屋敷へ落っこたんだからね。

**********************************************************
 「参考」 私の日記から  立河光子(たちかわみつこ)

 四月二十四目 B29の二編隊が行き過ぎるころ、北の空が真赤な土煙りだった。すぐ後続部隊が来る。お腹の底までしみこむようなあの爆弾の音、忘れられない音だ。農家らしく屋根の藁か?・真っ黒になって雪みたいに降っている。電波をさえぎる錫のビラ《注1》も百ぐらい、次から次から落ちてくる。今日は一番きもをつぶした。
**********************************************************

O爆弾くらって人手はなくなるし、百姓の道具、脱穀機だとか、唐箕《とうみ=注2》、鍬、何にもなくなっちゃってね。
○お宅の奥さん、大怪我をしちゃってね。その時即死ではなかったんですか。
○隣家の人がリヤカーに乗せて、駅の所の佐野医院(野口町一丁目)へ連れていってくれたが、ここじゃどうしようもなくって、応急の包帯ぐらいしてね。新井さんに行ってくれといわれ、すぐ新井病院(所沢市)へ曳いて行ったというわけでね。
それからやがて一時間ぐらいしたら、いま息をひきとったなんてね。その時にこんなことがあったんですよ。新井病院へ医療費の払いを申出たら健康保険出してあるかっていうんですよ。冗談じゃない、家がふっとんじゃってハガキー枚ぐらいの保険証が出せるわけがねえじゃないの。健康保険っていうのをやっていたわけだがね。それで東村山の町役場へ連絡して入っているかないか聞いて、と言ったんですが駄目だって。出してないから一般治療費だっていうわけ。まあ、しょうがないから払ったけど、あの当時、小池町長(※)だったが、肝心な時に使えねえものは保険に入る必要もないって、私しゃ幾年も保険を休んだんですよ。

 ※小池町長:小池喜八。明治四十三年、三十歳で化成小学校長に着任、化成小学校を府中小学校と並ぶ北多摩の中心校に盛り上げ、大規模校(一時は一九九三名)の経営に手腕を発揮した。青年教育にも力を入れ、北多摩連合青年団長も務めた。昭和十七年九月から二十一年十一月まで町長。

○緊急の時だけに大変でしたね。ところであの時分は何かあると新井病院だったね。盲腸だ、
怪我だとかね。


「参考」 東村山の空襲

昭和二十年一月九日 B29 保生園前北川付近に爆撃投下、人的破害なし。
昭和二十年四月二日 久米川・大俗方面 B29の爆撃で数棟破壊される。
  ・南秋津一棟焼失、二三戸破壊、死者三名
  ・大岱では死者二名、家屋の被害は記録がないため不明。
  ※B29一枚撃墜さる(米兵死者一一名)。
昭和二十年四月四目 東村山も空襲を受けたが人的被害なし。
昭和二十年四月二十四目 南秋津・野口・久米川B29による爆撃。
  ・南秋津には約一〇発の爆弾投下され四〇戸全壊、火災発生、死者三五名、負傷者二五
   名。
  ・久米川に爆弾二個投下、民家三戸全壊、死者六名。
  ・野口の役場付近に爆弾一個投下、民家三戸全壊。

※ 町役場では、二十四日の被害を最終的に全体で死者四六名、負傷者二五名と記録している。


 八坂付近の古老に聞く

 九道の辻とその周辺

○辻近く(現在のブリジストンエ場敷地内)には、戦争中、板橋兵器廠の分廠があり、自動車・戦車が山林の中に隠されていたため、アメリカ空軍機の爆撃の目標となって、付近には相当量の爆弾が落とされ、死亡者も出たり、また西武国分寺線の線路のレールが長いままに宙に飛ぶなどの被害があった。

注1.
電波を遮るため 飛行機から撒くスグ片で 電探欺瞞紙と呼ばれ
現在でも 軍事用に使用されている
注2.
塵や籾殻などを選別する 農機具

  条件検索へ