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あの戦争の御話 (変蝙林(1917-))

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変蝠林

通常 あの戦争の御話 (変蝙林(1917-))

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/2/22 0:31
変蝠林  半人前 居住地: 横浜市 オオクラヤマ  投稿数: 22
 1945:08:15・・・あの日からもう 60年が過ぎ去った !!
 60年も経《た》ったのだから戦争を知ってるのは70歳前後の人々だけ ??

 私が少年の頃に日露《=日本とロシア》戦争《1904~5》を知ってる大人と言えば40歳前後の年配だった。
 その戦争は勝った勝ったで国内に戦災は無かったから戦禍《せんか=戦争によるわざわい》談も少なかった。

 我々が三八銃《さんぱちじゅう=旧日本陸軍が使った小銃》で戦ったあの戦争《=第2次世界大戦》は国内の戦災の方が大きかったので自慢話どころではなかった。生き残った連中は無我夢中で我武者羅《がむしゃら》に只管《ひたすら》働いた。

 20年経って新幹線オリンピックとなった頃に漸く腰を下ろした大人達は子供に戦争の話を語り聞かす時期を失って戦争を知らない子が世に満ちた。

 親共が馬鹿《ばか》な戦争を始めて勝手に苦しんだのだと言う教員が平和を語った。平和の言葉を因果《いんが=原因と結果》も弁《わきま》えず闊歩《かっぽ=いばって歩く》させる世界に稀《まれ》な日本国民が出来上がった。

 堪え難きを忍びと天皇が語られた言葉は本当は開戦の時に使うべきだった。ABCDの締め付けを許したら今のASEANは無かった事は確実だった。
                                   
(注)此《こ》の話を続ける意義を高齢者に訴え度《た》く・・・・・・・・・・・続く。
                                   
                           変蝠林(1917-)。

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変蝠林

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