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Re: あの戦争の御話(3) (変蝙林(1917-))

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変蝠林

通常 Re: あの戦争の御話(3) (変蝙林(1917-))

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/22 0:47
変蝠林  半人前 居住地: 横浜市 オオクラヤマ  投稿数: 22
「私 の 戦 争」                    

 恥ずかし乍《なが》ら (心底) 此処《ここ》で申告をさせて頂きます。自分は十二年兵(昭和十二年徴兵《ちょうへい=義務として兵役につくこと》)でありまして十九年召集兵であります。

 偏平胸《へんぺいきょう》の故に第二乙種《徴兵検査の結果は甲種、第1乙種、第2乙種、丙種に分類された》と合格され、爾後《じご=その後》三回の召集令状を賜りましたが都度《つど=毎回》即日帰郷《直ちに帰郷する》の憂き目を見て居りました処《ところ》昭和十九年六月十一日の第四回召集にて家人の期待に背《そむ》き静岡歩兵第三十四聨隊《れんたい》に入営する羽目と相成り《あいなり》ました。《=留守家族は今回も即日帰郷するものとひそかに期待したが、第2次世界大戦末期のため兵士不足で第2乙の弱者まで召集された》


 聨隊は駿府《すんぷ=現在静岡市》城内に所在し橘中佐《日露戦争で軍功があり軍神とされた》の銅像を営門に見上げる由緒《ゆいしょ》ある隊でしたが 当時は中部第三部隊と呼称されて居ました。営内滞在は僅か二日、十三日の午後十時には完全軍装にて(当時としては珍しかった)灯火管制《とうかかんせい=空襲の目標となる灯火は洩れぬよう覆い、または消灯した》下の一粁《キロ》を静岡駅まで駆け足行進 秘匿《ひとく=秘密に隠す》は洩《も》れるで沿道には親族の見送りが一杯でした。

 私は駆けるのが精一杯でしたが家内は暗闇《くらやみ》に私を見つけたらしく無事凱旋《がいせん》?後の話では僅《わず》か十一貫九百匁《約45キログラム》の痩躯《そうく=やせた体》を今生《こんじょう》の別れとして見送った由でした。

 鎧戸《よろいど=シャッター》を下ろした客車(貨車ではなかった)は一路西下、外から見えない為の措置は当然外景も見えない儘《まま》走りに走って停車した所は後から考えれば博多らしく直ちに乗船、船倉内からは発進地も行き先も判らない。下船したのは釜山らしいが待機の貨物有蓋車《ゆうがいしゃ=屋根のある貨車》に直行直ちに発車、鴨緑江?山海関?北京?何日走ったか記憶に無いが降ろされて真っ青な大空を見た所は呼和豪得駅!

 なんと内蒙古《ないもうこ=モンゴル》である。駿府城内とは比較にならぬ広大な兵営兵舎に驚く間も無く広い部屋に座らされ次々に所属中隊指名、その間知らぬ古兵殿が現れて私物徴収、腕時計を取られて仕舞《しま》ったが総《すべ》てアレヨアレヨの間。小隊内務班に連行されて何をして就床したのか全く記憶が無い儘《まま》空白の第一日が過ぎた。                                    
 長くなるので本日は之《こ》れまで。         変蝠林(1917-)。

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