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Re: あの戦争の御話(4) (変蝙林(1917-))

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変蝠林

通常 Re: あの戦争の御話(4) (変蝙林(1917-))

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/22 0:49
変蝠林  半人前 居住地: 横浜市 オオクラヤマ  投稿数: 22
内務班生活を一週間程夢中で過ごした後段々様子に慣《な》れて来ると種々な事が判《わか》って来た。到着配属されたのが6月21日(出征後10日間掛かって居る)駐蒙軍《ちゅうもうぐん》独立歩兵十三聨隊《れんたい》(呼称泉五三一六部隊)入隊となって居る。そして7月16日には厚和独立混成第三旅団《りょだん=連隊より上の大組織》独立歩兵第一大隊編入第七中隊配属となり翌17日には豊鎮まで列車で東上、其処《そこ》から自動車で東光火地警備隊に運ばれた。途中は漠々たる《ばくばくたる=果てしの無いさま》草原で野兎が何匹か見えては消え夕刻に到着した。

 着いた翌日は猛烈な雨で営舎(とは言っても上等な支那家屋)の前は黄色な泥水が流れをなして居る。其の中を河南作戦から泥まみれの古年兵達が帰還して来た。黄河の泥が生まれる現場を見て感慨《かんがい》があった。其処に三日程居たら命令が来て大同の特別訓練隊に行く事になった。行って見て驚いた。何と保養所である。三食後何もせず煙草《たばこ》を吹かして過ごす毎日。二十日位其処で遊んでから平地泉に集合させられた。冷たい清冽《せいれつ=清く冷たい》な水が豊富な兵営であった。

 8月15日を忘れてはならない。其の日は正装して全員が整列をさせられた。誰々《だれだれ》一歩前。長い点呼が終わると一歩前に出た兵士達は集合し何《いず》れかへ向けて溌剌《はつらつ》として営門を出て行った。私は残された口に入ったのだが選抜された連中は本国防衛要員で帰国だと言う噂《うわさ》が流れ残留組の悔しがる事頻《しき》りが数日。

 所が豈《あに》《はか》らんや、一ヵ月程して先発の彼等は釜山からレイテ島へ向かい更に殆《ほとん》どが戦う事も無く魚雷の餌食《えじき》になったとの噂《うわさ》。噂は直ぐに真実と知られた。一瞬の差が運命を分ける。兵隊のと言うより人間の糾なう《あざなう=なわなどをよる》《なわ》の末は誰の手に

 私の禍福を綴《つづ》る塞翁《さいおう》が馬《幸、不幸は予測がつかないということわざ》の阿弥陀籤《あみだくじ》罫線《けいせん》に就《つ》いては稿を改めて何《いず》れ近日中に。
                                    
                            変蝠林(1917-)。

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