Re: あの戦争の御話(2) (変蝙林(1917ー))
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あの戦争の御話 (変蝙林(1917-)) (変蝠林, 2004/2/22 0:31)
- Re: あの戦争の御話(2) (変蝙林(1917ー)) (変蝠林, 2004/2/22 0:34)
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- Re: あの戦争の御話(6) (変蝙林(1917-)) (変蝠林, 2004/2/22 0:52)
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- Re: あの戦争の御話(9 了) (変蝙林(1917-)) (変蝠林, 2004/2/22 0:57)
変蝠林
居住地: 横浜市 オオクラヤマ
投稿数: 22
あの戦争・・・・実は1931/09/18から始まって居るのですね。
昭和6年の事です。柳条湖の満鉄《まんてつ=南満州鉄道の略》線路爆破さる!支那《しな=中国》軍って仕様の無い 奴っちゃなんて思ってた14歳の少年は帝国陸軍と言うよりも関東軍《=満州に駐屯した日本の軍隊》の果敢《かかん=大胆に物事をおこなうさま》な行動に拍手して居た筈《はず》です。兵隊さんを軍隊なんて呼ばなかった。
翌7年3月には早くも満州国《日本が中国東北部に作り上げた国、終戦で消滅》の建国宣言。9年には執政《しっせい=政務を執る人》の溥儀《ふぎ》が皇帝に。11年2月26日皇道派《こうどうは=旧陸軍内の派ばつの一つ、天皇中心の国体至上主義を掲げた》青年将校が決起したが《=2・26事件》勅命に逆らえず日本軍隊は統制派(ナチ流)に牛耳られる《ぎゅうじられる=意のままに操縦される》事になる。《こ》の時から「皇軍」の實《じつ=中身》は消えたのだったが 凡なる《=普通の》平民《=庶民》は依然として支那人の言う「光軍」の實を履《は》き違えて過ぎた。12年の7月7日盧溝橋《ろこうきょう》での戦闘からが第二幕です。
当時中野正剛、緒方竹虎ら木鐸を叩く《ぼくたくをたたく=世人を目覚めさせ教え導くこと》精鋭記者が残っては居たのだけれど 其《そ》の警告は未然《=事が起こる前》に抹殺《まっさつ=消し去ること》をされた。馬来《マレー》沖真珠湾の時《=太平洋戦争開戦時》には流石《さすが》に南京《なんきん》陥落時の提灯《ちょうちん》行列や旗行列の様な事はしなかったがあの結末《=敗戦》を予想する事は出来なかった。弩級艦《どきゅうかん=怖いものなしの大型戦艦》大和《やまと》に対する期待が並でなかったのは確かでした。
トントントンカラリ《トントントンカラリと隣組、と言う歌が流行した》と隣組《となりぐみ=町内会》の人達は虚報《きょほう=うそのしらせ》の戦果に酔い空爆《くうばく=飛行機による爆撃》も艦砲射撃《かんぽうしゃげき=軍艦からの射撃》も勝つまではと頑張り通したのだが銃後《じゅうご=直接戦争に加わらない人・地域》の人達の戦禍は兵隊の比を超《こ》えた。然《し》かし私の個人例は他人様に晒《さら》すに忍びぬものだが運命の悪戯《いたずら》が如何《いか》に理屈を超える物かの実例として次回の話題にしませう《しょう》。乞《こう》御期待である。
変蝠林(1917-)。
昭和6年の事です。柳条湖の満鉄《まんてつ=南満州鉄道の略》線路爆破さる!支那《しな=中国》軍って仕様の無い 奴っちゃなんて思ってた14歳の少年は帝国陸軍と言うよりも関東軍《=満州に駐屯した日本の軍隊》の果敢《かかん=大胆に物事をおこなうさま》な行動に拍手して居た筈《はず》です。兵隊さんを軍隊なんて呼ばなかった。
翌7年3月には早くも満州国《日本が中国東北部に作り上げた国、終戦で消滅》の建国宣言。9年には執政《しっせい=政務を執る人》の溥儀《ふぎ》が皇帝に。11年2月26日皇道派《こうどうは=旧陸軍内の派ばつの一つ、天皇中心の国体至上主義を掲げた》青年将校が決起したが《=2・26事件》勅命に逆らえず日本軍隊は統制派(ナチ流)に牛耳られる《ぎゅうじられる=意のままに操縦される》事になる。《こ》の時から「皇軍」の實《じつ=中身》は消えたのだったが 凡なる《=普通の》平民《=庶民》は依然として支那人の言う「光軍」の實を履《は》き違えて過ぎた。12年の7月7日盧溝橋《ろこうきょう》での戦闘からが第二幕です。
当時中野正剛、緒方竹虎ら木鐸を叩く《ぼくたくをたたく=世人を目覚めさせ教え導くこと》精鋭記者が残っては居たのだけれど 其《そ》の警告は未然《=事が起こる前》に抹殺《まっさつ=消し去ること》をされた。馬来《マレー》沖真珠湾の時《=太平洋戦争開戦時》には流石《さすが》に南京《なんきん》陥落時の提灯《ちょうちん》行列や旗行列の様な事はしなかったがあの結末《=敗戦》を予想する事は出来なかった。弩級艦《どきゅうかん=怖いものなしの大型戦艦》大和《やまと》に対する期待が並でなかったのは確かでした。
トントントンカラリ《トントントンカラリと隣組、と言う歌が流行した》と隣組《となりぐみ=町内会》の人達は虚報《きょほう=うそのしらせ》の戦果に酔い空爆《くうばく=飛行機による爆撃》も艦砲射撃《かんぽうしゃげき=軍艦からの射撃》も勝つまではと頑張り通したのだが銃後《じゅうご=直接戦争に加わらない人・地域》の人達の戦禍は兵隊の比を超《こ》えた。然《し》かし私の個人例は他人様に晒《さら》すに忍びぬものだが運命の悪戯《いたずら》が如何《いか》に理屈を超える物かの実例として次回の話題にしませう《しょう》。乞《こう》御期待である。
変蝠林(1917-)。
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変蝠林