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Re: あの戦争の御話(7) (変蝙林(1917-))

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変蝠林

通常 Re: あの戦争の御話(7) (変蝙林(1917-))

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/22 0:53
変蝠林  半人前 居住地: 横浜市 オオクラヤマ  投稿数: 22
暗号班配属は昭和19年9月10日からで大同での密室勤務の安逸《あんいつ》兵士体験は翌年の4月に上海近郊の大倉鎭に南進する迄の半年余《よ=あまり》だから蒙彊《もうきょう》での体験談を少し書き残して置かねばならないが、夏の話、冬の、春のと語り切れないので自然断片的になる事を御許し願うが場所も時期もアチコチ飛ぶかも知れない。
                                     
 夏 の 部:                              
蒙彊に着いて一番驚いたのは空の高さと地平の広さだった。あの頃は静岡でも星座が数えられたし、空気も不味《まず》くなかった。然《し》かしフホホトの夜空と空気の美味《おい》しさは愕然《がくぜん》に値した。平地泉の水の清冽《せいれつ》も味と共に記憶に深く刻まれた。湿度が低いので汗の苦も無い。城壁上の哨戒《しょうかい=見張り》時に輝いた月の光も忘れられない

 秋 の 部 と 冬 の 部:

秋は短いのでアッと言う間に冬が日々目に見えて迫って来る。雪は粉雪と言う表現が当て嵌《は》まらない。朝起きると二重窓を通し内務班の床に堆《うずたか》く溜《た》まってる積もった雪は雑巾《ぞうきん》で押し広げ床掃除に水が不要。真冬になると厠《かわや=トイレ》掃除が大変。鶴嘴《つるはし》とバケツで氷結の掻《か》き集め。固体物は尖塔《せんとう=頂きがとがった塔》を造るので折り取りに苦労する 当番兵が帰って来ると異臭が暫《しば》し充満する。破片が時間と共に融解する結果だ 暗号兵にも夜間歩哨《ほしょう=警戒の任務》勤務は回って来る。鼻の下に白い氷を着けての二時間だが一寸《ちょっと》痛いなと思う丈《だ》けで寒さは感じない。寒暖計は零下《れいか》30度を指してるのに

雪の進軍は無かったが毛皮入り長靴での雪中行軍演習は矢張り相当に辛かった

 冬 の 討 伐 行:

最初の渾源作戦は夏だったが、秋冬にも朔縣、應縣などから半月程度の討伐行に参加した。谷川は氷結してるが重装備の兵隊だから時々踏み抜く兵隊が居る

その河岸で野営した時は流石《さすが》に応《こた》えた。前述の如く実弾発射は一発丈《だ》けの変な兵隊だったが夜間の敵襲は二度程経験した。パシッと至近弾を聞いたのは一度

今だからの話だが思い出しても可笑《おか》しかったのは清水河作戦の時。八路《はちろ=八路軍(中国共産党軍)》の拠点に迫って日暮となり、大休止で焚火《たきび》用に調達《ちょうたつ=物資を入手する》の兵士が抱えて来た薪《たきぎ》束から何か
ぶらぶら下がってる。待て!っと良く見れば手榴弾《しゅりゅうだん》である。敵も然《さ》る者である 其《そ》の内に先方から機関銃で撃《う》って来た。河原の小石に弾《はじ》けて流れ弾が飛び交《か》

敵陣中、地の利悪しと見て急遽《きゅうきょ=大急ぎ》反転の命令が出た。一日中歩き続けて疲労困憊《ひろうこんぱい=疲れ果てる》の兵隊が休憩も無く暗夜の転進《=進路を変える》である。真暗闇《まっくらやみ》な山道の夜行軍は睡魔《すいま》も加えて命賭《いのちがけ》に近い。前の兵の裾《すそ》、馬の尾に縋《すが》っての暗夜行はゾッとする思い出である 討伐行の苦楽談は切りが無いが時間を追う必要から次は翌年四月に飛ぶとする

              変蝠林(1917-)。


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変蝠林

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