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Re: あの戦争の御話(8) (変蝙林(1917-))

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変蝠林

通常 Re: あの戦争の御話(8) (変蝙林(1917-))

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/22 0:55
変蝠林  半人前 居住地: 横浜市 オオクラヤマ  投稿数: 22
   「私 の 戦 争」

山西省大同でハイキング心持ちの討伐行を連続志願(実は内務班逃避)して暗号班特権に酔って居たら太平洋戦争《=第2次世界大戦》の方は予想外な坂道を下り始めて居た。四月に入ると南進の命令が出てざわついた。小部隊を残し独歩403本隊は軍用列車の客となった。後から知るが米軍抗州湾上陸に備えての移動だった。

20年4月25日朝昆山駅に到着。線路脇の石炭山に野菊が真黄に咲いてたのが何故《なぜ》か今も記憶に鮮やかだ。強行軍半日で大倉鎮と云う街に着き早速に民家を接収《=強制的に取上げる》して設営。大きな家屋の中庭に井戸があり戸外には畑が拡《ひろ》がった。

可愛い姉妹が居り畑の向こうはクリーク《=小運河》を挟《はさ》んだ竹林で久し振りの娑婆《しゃば=俗世間》気分。

数日後糧秣《りょうまつ=兵と馬の糧食》が河岸《かし》に着いた。使役《しえき=雑役》で船から百瓩《キロ》の麻袋を堤防に揚《あ》げる羽目に。
背骨がミシツ と鳴ったが我乍《なが》ら此《こ》の作業に堪えた体力に感嘆した。考えれば毎日羊肉と一升《約1・8リットル》飯、39瓩の痩身《そうしん=やせた体》が何時《いつ》の間にか60瓩《キロ》の兵隊になって居た。
残飯を桶《おけ》から窪《くぼ》地に捨てる度毎《たびごと》故国の飢餓《きが=飢え》を想ひ《おもい》憤慨と感慨はあったのだが。

《やが》て塹壕《ざんごう=溝を掘り周りに土を盛り上げた保身場所》資材徴発《ちょうはつ》の指令が来て艀《はしけ=小舟》に乗せられた。各所から集まった艀は連結され気が付けば船列は蘇州運河を通り太湖を渡り一週間程で湖の南岸に到着。酷暑の中での松材担《かつ》ぎは強く軍靴《ぐんか》の中に汗が溢《あふ》れた。白い胡瓜《きうり》を見付けたり小孩《しょうはい=子供》が田鶏 (蛙《かえる》)を採る姿を眺めて平和な田園風景に半月程が流れて行った。

往復の船旅は長閑《のどか》なもので戦争何処《いずこ》であったが三才位の船頭の子がクイツと口走って母親に叱られた場面では東洋鬼の日本兵として若干《じゃっかん=幾らか》の驚きがあった。

大倉に戻ると住民が騒がしいとの話が聞こえて来た。数日後非常呼集で軍装 直ちに昆山駅まで駆け足、休む間も無く無蓋《むがい》貨車に乗車。そして南京駅で!!
                                   
                            変蝠林(T/06)。


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変蝠林

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