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Re: あの戦争の御話(9 了) (変蝙林(1917-))

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変蝠林

通常 Re: あの戦争の御話(9 了) (変蝙林(1917-))

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/2/22 0:57
変蝠林  半人前 居住地: 横浜市 オオクラヤマ  投稿数: 22
昭和20年8月15日

車上での伝聞《でんぶん=伝え聞くこと》ではソ連《ソビエト社会主義共和国連邦》が満州に侵入して来たので急遽《きゅうきょ=取り急ぎ》援軍の為の北上との事。南京での昼食時陛下《=天皇》の玉音《天皇のお声》放送があったとの噂《うわさ》が。大倉の民は知ってたのだ

揚子江を渡った列車が次々に驀進《ばくしん》する。夕刻に突如、迫撃砲《はくげきほう=小型の大砲》の攻撃を受けた。新四軍か八路か《=どちらも中国共産党軍》判らないが機銃隊が下車して応戦する。漸く戦争らしき体験。

こんな停車を二回程繰り返してやっと天津に着いたら下車の命令が出された。知らぬ街路を行進して運河脇の学校の如き建物に収容された。矢張り敗戦だ。

《そ》れにしても先行の列車は山海関を越えたらしい。塞翁が馬《さいおうがうま》の導きが又もや。途中での攻撃に助けられた運命。米軍と中共軍と国民党軍が揉《も》めて居る情況。
                  
御蔭《おかげ》で日本軍は武装解除もされず完全軍装の儘《まま》で早々に郊外警備に着く始末。糧秣厰《りょうまつしょう=糧秣を管理する所》では党軍と酒盛り交歓《こうかん》、煉瓦厰《れんがしょう》警備では通信班同居でジャズ音楽鑑賞。郊外トーチカ《コンクリートなどで強化した防御装置》では日本兵のみ、古兵が一発で仕留めた野猫の鍋《なべ》は不味《まず》かった。年末に成《な》って漸く武装解除、米軍への使役《しえき=雑役》が始まった。山積みの砂糖に喫驚《きっきょう=おどろくこと》

使役の度に誰かが何か盗んで来る。レーション《=米軍の携行食糧》にチョコ煙草《たばこ》二本には驚いた。我が軍の携行は乾パンに金平糖《こんぺいとう》。天津には被服兵器糧秣の諸厰が集まってる。
戦勝軍に渡さぬ為か豪勢《ごうせい》な給与は連日。砂糖が枕に煙草は博打《ばくち》の点棒《てんぼう=点数を数えるためのの棒》になる。

《やが》て柵《さく》外に支那人が白乾児酒を煙草と交換に。ストーブに零《こぼ》すと燃え上がる。45度の奴をコップで続けれは嫌でも強く成《な》る。使役勤務は二月末まで続き三月始めに帰国と云う事で太沽港に集結した。然《し》かし其処《そこ》で大事件が訪れた。LSTは係留され乗船を待つ許《ばか》りの時、ナカムラ姓の者のみが呼び出された。

戦犯探索だが尋問《じんもん=取調べ》の男は朝鮮人?靴を机上に載せてウイスキーを呷《あお》り乍《なが》らだ。こちらは直立不動、一言間違えば奈落《ならく=地獄》の運命と身の毛の彌立つ《よだつ=恐怖のため身の毛が立つ》十数分が過ぎ釈放《しゃくほう》されてLSTの船腹に移ったのも夢の中。船の中は座るが精々《せいぜい》の超満員。でも聨銀券数万を叩いて市中で求めた大型手提げ袋に一杯の加給品を詰めての帰国は後から聞いた限り非常に恵まれた環境にあった兵隊だったのである。

                      変蝠林(T/06)。
)。

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変蝠林

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