あなたの戦後は? 
(期間:2010.12.1 - 2011.1.31)

メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。

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  • [No.522] Re: 巨人、大鵬、卵焼き 投稿者:   投稿日:2011/01/23(Sun) 20:08
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    男爵さん、さんらく亭さん、こんばんは。

    毎日出ずっぱりで、寝不足で、今もう目が開けていられないくらい
    になっています。夫が帰って来てごはん食べたら寝たいです。
    というところ!

    > > さんらく亭さんは野球のことはくわしいです。
    > > とくに関西関係は。

    男爵さん、前から野球のこと詳しいのは存じていました。
    甲子園の話なども記憶に残っています。

    >
    > 関西に限りませんよ(^_-)/
    > プロ野球の歴史を回顧すると戦後の日本経済の盛衰の歴史の一面が見えてきます。

    すごいですね!

    > 大洋ホェールズは本拠地を川崎球場に移し、毎年最下位だったが1960年に西鉄ライオンズから三原監督を迎えたその年、セリーグ優勝どころか一挙に日本一になった!その年、興奮のあまり結婚しました。川崎の社宅から川崎球場にはよく通いました。
    >

    頭がボーっとしていて、1960年には川崎に住んでいました。
    川崎球場の近くというところでしたので、ナイターなど7回が終わると
    無料になるので、弟とよく走って見に行ったものです。
    新婚のさんらく亭さんとどこかで会っていたかもですね。


    > 時の流れで東急、西鉄、近鉄、南海、阪急の電鉄会社(国鉄も)や大映、東映、松竹の映画産業が脱落し今や盛んなのはソフトバンク、オリックス、楽天といった業界です。

    こうしてみるとおもしろいものですね。勉強になりました。ありがとう。

    >
    >  野球という節穴から経済を覗くのも一興です(^-^)

    「はぁー! 」っと思わずうなってしまいましたよん(ーー;)

    目がくっついてしょぼしょぼ(ーー;)


    [No.521] Re: あたしの彼は5頭身半 投稿者:   投稿日:2011/01/23(Sun) 16:47
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    紋次郎さん みなさん

    >  昭和28年の話題は何といっても伊藤絹子がアメリカのミスユニバースで三位に入ったことで、日本中が興奮の坩堝となった。

    伊東絹子は19才、同い年(申歳)というので何故か嬉しかったですね(^_-)/

    ただ当時はTVはもちろん週刊誌やスポーツ紙もないころで新聞と映画館のニュースでしかそのスタイルは拝見できませんでした

    古橋の世界新、湯川博士のノーベル賞につづいて敗戦国日本を元気づけてくれた快挙でした。絹子さんいまもご健在かな?


           さんらく亭@甲子園


    [No.520] あたしの彼は5頭身半 投稿者:   投稿日:2011/01/23(Sun) 14:30
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     昭和28年の話題は何といっても伊藤絹子がアメリカのミスユニバースで三位に入ったことで、日本中が興奮の坩堝となった。

     小さい小さいといわれた日本人だってもうバカにならない。もう世界で堂々と通用するような立派な体格になったのだ。

     〜家庭では、こんな会話が。〜

    「伊藤絹子はやっぱスゲエや。八頭身だぞ。そこへ行くと、お前なんぞせいぜい、6頭身がいい所だ」

    「なによー、あんたなんか、偉そうにいうけど、ほんとうのところ、5頭身半くらいじゃないのお」

     * ちなみに、日本人の平均は、6頭身半だとか。


    [No.519] Re: 国民病「結核」 投稿者:   投稿日:2011/01/23(Sun) 13:57
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    七君さん

    > 友人の、今は亡き松村禎三(作曲家)さんも俳句に優れ、「旱夫抄」(深夜叢書社)
    > と言うのが出ています。彼も清瀬村に長らくいて、俳句を覚えたのでした。
    > 「旱夫」は彼の俳号で、ベートーベンの唯一のオペラ フィデリオをもじったものです。

     凄いお名前ですね。
     ヒデリオさんですか。

     石田波郷さんもそうですね。清瀬におられたと思います。

     若い女性の間には茅ヶ崎の「南湖院」などに憧れる人もいてーーー。

     


    [No.518] Re: リンゴの唄 投稿者:   投稿日:2011/01/23(Sun) 13:07
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    紋次郎さん 男爵さん、みなさん、

    リンゴの唄はよく唄いました♪
    中学2年生のころです。そのときの風景まで思い出します

    心を打たれたのは「長崎の鐘」(古関裕爾曲)の詩です
    長崎で被爆死した実弟を悼んで作詞したのだそうです

    >  作家の佐藤愛子の、お兄様でもあるそうで…。

    佐藤愛子といえば別当薫(慶應〜プロ野球の名選手)を思い出します(^-^)
    当時、阪神電車で甲南高女に通学していた彼女が電車内でよく見掛ける別当薫(甲陽中学)に一目ぼれ。いっぽう灘中生の遠藤周作が彼女に憧れていた。ずっと後年になってどこかでの対談で大笑いになっていたのを読みました


         さんらく亭@甲子園


    [No.517] Re: ミキトリロー 投稿者:   投稿日:2011/01/23(Sun) 12:26
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      男爵さん、みなさん、

     それから、『冗談音楽』ということばもありましたね。そうそう、こんな具合でした。

      もしもし アノネ、アノネ、アノネ これから 始まる 冗談音楽……


    [No.516] Re: ミキトリロー 投稿者:   投稿日:2011/01/23(Sun) 12:12
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      男爵さん、みなさん、

    > 三木鶏郎も才能がありましたが
    > 若い人を仲間に入れて、育てたのがえらかったですね。
    >
    > キノトール、能見正比古、永六輔、神吉拓郎、野坂昭如らとトリローグループを結成
    > なかでも永六輔はここで得たお金の魅了は大きく、楽しみながら稼いで成長したようです。
    >
    > さらに三木鶏郎は
    > 作曲家陣として神津善行、いずみたく、嵐野英彦、桜井順など集めて
    > 門下生の歌手楠トシエ、中村メイコや
    > 俳優の逗子とんぼ、なべおさみ、左とん平などなども世に送り出したのです。

     もうひとり付け加えて欲しいのは河井坊茶(かわいい坊ちゃんをもじったものか)で、このひと早稲田の理工学部出身で、数学教師と云う異色のコメディアン。

     親分のトリローが焼け跡に建てた『鶏小屋第一号』に女房ともども転がり込んできたというだけでも、トリローグループでのプレゼンスの大きさが分かろうというもの。

     また後にはNHKの『日曜娯楽版』だけでなく、ラジオ東京の『ぴよぴよ大学』などでも大活躍するはずです。


    [No.515] Re: リンゴの唄 投稿者:   投稿日:2011/01/23(Sun) 11:50
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      男爵さん、みなさん、

    > こういう歌を書くとのできた
    > サトウハチローはえらいものです。

    ハチローは本名が佐藤八郎で、あまりにも平凡なので、片仮名にしたんでしょうね。このひとで思い出すのは、テンプラ学生で、いわいうるニセ学生。

     ほんとうの学生でもないのに、芸大や東大で学生面をして、威張っていた。また、年中悪いことをしちゃあ、東京中のブタ箱巡りをやっていたようで、父親の佐藤紅禄もほとほと困りぬき、持て余していたようですね。

     作家の佐藤愛子の、お兄様でもあるそうで…。


    [No.514] Re: 巨人、大鵬、卵焼き 投稿者:   投稿日:2011/01/23(Sun) 11:23
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    > さんらく亭さんは野球のことはくわしいです。
    > とくに関西関係は。

    関西に限りませんよ(^_-)/
    プロ野球の歴史を回顧すると戦後の日本経済の盛衰の歴史の一面が見えてきます。

    戦後プロ野球が復活したとき大阪の繊維商社で田村駒kkという会社があり好景気で儲かったので選手を掻き集めて新しいチーム「太陽ロビンス」(駒=ロビン)を作ったがすぐ経営不振になりその頃(1950)映画産業が盛んになり大映や東映とともに松竹もプロ野球界に入りロビンスを買収して「松竹ロビンス」になった。
    やがてTV時代になり映画が没落して映画会社は次々とプロ野球から手を引いて、代わって食品関係が進出。捕鯨ブームで下関に本社のある大洋漁業が手を出して一時期松竹と共同経営で「大洋松竹ロビンス」の時代が2年間あったが松竹が退陣して単独で「大洋ホェールズ」になったのが1955年、私はこの年に就職して上京しました

    大洋ホェールズは本拠地を川崎球場に移し、毎年最下位だったが1960年に西鉄ライオンズから三原監督を迎えたその年、セリーグ優勝どころか一挙に日本一になった!その年、興奮のあまり結婚しました。川崎の社宅から川崎球場にはよく通いました。

    ず〜〜と熱烈な大洋ファンでしたが捕鯨衰退とともにチーム経営も困難になり大洋漁業が手を引いて「横浜ベィスターズ」という「鯨」とまったく無縁のチームになったので(1993)手を切って、地元の縁から阪神タイガースファンに宗旨替えをして今日に至ります。阪神ファン歴はまだ20年にもなりません

    時の流れで東急、西鉄、近鉄、南海、阪急の電鉄会社(国鉄も)や大映、東映、松竹の映画産業が脱落し今や盛んなのはソフトバンク、オリックス、楽天といった業界です。

     野球という節穴から経済を覗くのも一興です(^-^)


           さんらく亭@甲子園


    [No.513] Re: ミキトリロー 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/23(Sun) 00:49
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    唐辛子 紋次郎 さん

    > ほんとうは三木鶏郎だが…。このひと作詞から作曲までひとりでやっちゃうだけでもスゴイんですが、恐れ多くも、日本コマソンの開祖でもある。

    三木鶏郎も才能がありましたが
    若い人を仲間に入れて、育てたのがえらかったですね。

    キノトール、能見正比古、永六輔、神吉拓郎、野坂昭如らとトリローグループを結成
    なかでも永六輔はここで得たお金の魅了は大きく、楽しみながら稼いで成長したようです。

    さらに三木鶏郎は
    作曲家陣として神津善行、いずみたく、嵐野英彦、桜井順など集めて
    門下生の歌手楠トシエ、中村メイコや
    俳優の逗子とんぼ、なべおさみ、左とん平などなども世に送り出したのです。


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