あなたの戦後は? 
(期間:2010.12.1 - 2011.1.31)

メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。

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  • [No.81] 農繁休暇 投稿者:ナッツ甲  投稿日:2010/12/05(Sun) 22:27
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    昭和30年代初め頃でしたが、中学校では、農繁休暇(だったと思うけど、農繁期休暇
    というのが正しいかも)がありました。

    多分、春と秋の2回だったと思います。農家の働き手を確保するために、生徒を休ませ
    ていました。

    家が農家の友達には大変な休暇だったようですが、それ以外の生徒にはただのお休みで
    私ものんびり遊んでいました(^^ゞ 宿題もないし。3,4日はあったかな。

    あとで農家の友人から農繁休暇は嫌いだったと聞きました。今でも農作業は大変ですが、
    当時は手作業が多かったので、もっと重労働だったことでしょう。

    あの休暇は、全国的なものだったのか、わが地方独特のものだったのか、よく分かりま
    せん。皆さんの地方ではいかがでしたか?

    追記:男爵さん、ごめんなさい<(_ _)> ハンドルが尻切れトンボでした(^^ゞ


    [No.80] Re: 黎明期の「テレビドラマ」 投稿者:   投稿日:2010/12/05(Sun) 22:16
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    男爵さん、

    > > そうですね。
    > > 東京大田区にある会社でしたので、蒲田、大森、品川、新橋、横浜
    > > もう、いろいろな場所でした。
    > > 横浜は関内の「船員バー」などもおもしろかったですね。
    >
    > 蒲田や大森は
    > 当時とだいぶ変わったでしょうね。

    変わりました。大変な変わりようですね。

    > 関内は、それこそ横浜開港時代から
    > 外部と港の接点として人々の移動のポイントですね。
    > もちろん今は横浜駅が中心ですが
    > 関内は昔から開けているから、楽しいところや歴史的なものが多く
    > また行ってみたいです。

    そうです。横浜よりも関内のほうがおもしろく、歴史的なものが多いです。
    いつかお待ちしていますよ。


    [No.79] Re: アンクルトリス 投稿者:   投稿日:2010/12/05(Sun) 20:32
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    画像サイズ: 523×458 (45kB)
    男爵さん  みなさん こんばんは

    > アンクルトリスといえば、柳原良平のデザイン
    > 当時は私はまだ飲む資格はなかったのですが
    > あこがれのウィスキーでした。

    柳原良平さんとは毎年5月に関内での個展で逢っています。横浜市の名誉市民です。
    最近、ハイボールが人気復活してアンクルトリスも元気を取り戻しましたね

    私の新入社員当時(昭和30)初任給が手取りで¥9910でトリスは1本¥300、角瓶が¥1250、オールドは¥1600でした。ハイボールは1杯¥50だったかな? ハイボールのグラスが大阪では8オンスなのに東京では6オンスと小ぶりなのは東西の文化差でショックでしたね

    当時は新入社員からだんだんと年期を重ねていくにつれて飲む酒もトリス→レッド→白札→角瓶→オールド とグレードアップしていく秩序(笑)がありました

    > 宇津井健とレッドも。

    このへんの話になると尽きませんので止めときます(゜゜)(。。)


         さんらく亭@甲子園


    [No.78] アンクルトリス 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/05(Sun) 19:14
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    アンクルトリスといえば、柳原良平のデザイン
    当時は私はまだ飲む資格はなかったのですが
    あこがれのウィスキーでした。

    ここはぜひ、さんらく亭さんのコメントがほしいところです。

    宇津井健とレッドも。


    [No.77] Re: 修学旅行の思い出 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/05(Sun) 18:38
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    > 修学旅行にはまったく縁がありません(;_;)
    >
    > 小学校(当時は国民学校)6年生のときは戦争末期で連日空襲警報というころでした。
    > 中学校(旧制)1年のとき敗戦になりマッカーサーの命令で学制改革により新制高校に移行したので中学校としての修学旅行はありません。

    そして
    高校の修学旅行も家庭の都合で参加されなかった
    さんらく亭さん

    私の両親と同じです。
    そういうわけで
    私は小学校、中学校、高等学校
    それから大学の研修旅行と体験できました。
    親には感謝しています。


    [No.76] Re: 修学旅行の思い出 投稿者:   投稿日:2010/12/05(Sun) 16:28
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    みなさん こんにちは

    修学旅行にはまったく縁がありません(;_;)

    小学校(当時は国民学校)6年生のときは戦争末期で連日空襲警報というころでした。
    中学校(旧制)1年のとき敗戦になりマッカーサーの命令で学制改革により新制高校に移行したので中学校としての修学旅行はありません。

    高校の修学旅行は高3の春に神戸から東海道本線で東京〜日光〜箱根〜神戸というコースで行われましたが、私は父の会社が倒産の瀬戸際で自宅にまで債鬼がやって来る状態だったので、親に無断で修学旅行のことを言わず勝手に不参加を決めて後日になってからそれを知られて母親から叱られたり泣かれたりしました

    皆さんのような懐かしい思い出はなく「修学旅行」という言葉を聞くと昭和25年当時の世相や家庭の状況から戦後の歴史の一齣が鮮やかに蘇えってきます


            さんらく亭@甲子園


    [No.75] Re: 修学旅行の思い出 投稿者:   投稿日:2010/12/05(Sun) 11:44
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    瀬里恵さん、みなさん こんにちは

    私にとって、修学旅行は、小学校6年生(昭和13年)にお伊勢さんに一泊二日で行ったのが最初で最後です。その時の写真は、伝承館に入れたと思います。

    中学へ入ったら、その時の5年生が、満州に修学旅行に行った映画を見て、中学校では修学旅行にそういうところに行くのかと感心した覚えがあります。その後は、戦争になり、中学校でも、高等学校(卒業は戦後)でも、修学旅行と言うものは、まったくありませんでした。

      紫竹の(小澤)


    [No.74] Re: 修学旅行の思い出 投稿者:   投稿日:2010/12/05(Sun) 07:29
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    ナッツさん

    > 初めての修学旅行は、小学校6年の時。昭和30年だったと思います(^^ゞ
    > その年か、前年か、洞爺丸と紫雲丸の沈没事故が続いて、それまでの四国への修学旅行
    > の行き先が急遽変更になりました。

    > 車中泊だったので、筋板といいますか、すのこのような板を持参して、向かい合わせの
    > 座席にその板を渡して足を伸ばせるようにして寝ました。

    > 初めての長い乗車だったので、目的地に着いたあと、当分身体が揺れているような感覚
    > が残りました。

    > あとは、寺社めぐりのバス車中で寝てばかりいたこと、お土産を買った店に忘れてきて
    > がっかりしたこと、お土産に小遣いを使い果たして、友達が帰りの車内でお菓子などを
    > 買って食べているのが羨ましくてならなかったこと、などが強く記憶されています。

    中学の修学旅行は、北海道から桜の弘前に行きました。
    平尾昌晃のロカビリーが盛んなころで
    友だちがホウキを抱えて真似をしていました。しまいに床に寝ころんで...。

    高校の修学旅行は、北海道から京都や奈良へ。
    松本清張の「点と線」がベストセラーのころでした。
    バスの中では疲れてみんな寝ていました。


    [No.73] Re: 黎明期の「テレビドラマ」 投稿者:   投稿日:2010/12/05(Sun) 07:18
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    > > あやさん
    > > それはどのあたりでしたか。
    >
    > そうですね。
    > 東京大田区にある会社でしたので、蒲田、大森、品川、新橋、横浜
    > もう、いろいろな場所でした。
    > 横浜は関内の「船員バー」などもおもしろかったですね。

    蒲田や大森は
    当時とだいぶ変わったでしょうね。
    関内は、それこそ横浜開港時代から
    外部と港の接点として人々の移動のポイントですね。
    もちろん今は横浜駅が中心ですが
    関内は昔から開けているから、楽しいところや歴史的なものが多く
    また行ってみたいです。


    [No.72] Re: 修学旅行の思い出 投稿者:ナッツ  投稿日:2010/12/04(Sat) 22:44
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    昭さん、瀬里恵さん、みなさん

    >  初めての修学旅行は、新制中学2年(S.24年)の秋で然も同県内の長崎市への日帰りでした。当時は急行列車や快速列車等は無く鈍行で3時間を要しました。

    初めての修学旅行は、小学校6年の時。昭和30年だったと思います(^^ゞ
    その年か、前年か、洞爺丸と紫雲丸の沈没事故が続いて、それまでの四国への修学旅行
    の行き先が急遽変更になりました。

    船を利用しなくてよい、という理由だったのでしょう、広島県の宮島に変更されました。鳥取県の港町から四国に行くより近かったので、ちょっとがっかりしましたが、結果は
    思い出に残る修学旅行になりました。

    風になびく広いイグサ畑の美しさと、秋の宮島の美しさ、それに大鳥居の浮かぶ瀬戸内
    海の潮の干満の差の大きさとが強く印象に残っています。

    当時でも、お米を各自が持参しての旅行でした。まだまだ戦後でしたね。

    >  日帰りですので、枕投げ等の経験はS.27年春の高校の際の修学旅行で経験しました
    > 行き先は、京都、奈良でした。行帰りとも一晩は列車で寝なくては為りませんでした。
    >
    >  小柄だった私メは、頭上の荷物を載せる網棚(当時は網棚でした)に寝たのを思い出しました。

    京阪神へは、中学校の修学旅行で行きました。普通列車の夜行で行ったと思います。

    車中泊だったので、筋板といいますか、すのこのような板を持参して、向かい合わせの
    座席にその板を渡して足を伸ばせるようにして寝ました。

    初めての長い乗車だったので、目的地に着いたあと、当分身体が揺れているような感覚
    が残りました。

    枕投げはしたのかしなかったのか、記憶にありませんが、ここでは、平安神宮のお庭の
    満開の枝垂桜に心を奪われ、天国とはこんなところではないかと思ったものです。

    あとは、寺社めぐりのバス車中で寝てばかりいたこと、お土産を買った店に忘れてきて
    がっかりしたこと、お土産に小遣いを使い果たして、友達が帰りの車内でお菓子などを
    買って食べているのが羨ましくてならなかったこと、などが強く記憶されています。

    高校では、修学旅行なんかなくていいと、行きませんでした。あの時は希望者だけ
    行ったのか、それとも旅行自体が中止になったのか覚えていません(^^ゞ


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