あなたの戦後は? 
(期間:2010.12.1 - 2011.1.31)

メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。

メロウ倶楽部の会員以外の方からの書き込みも歓迎します。


[新規投稿] [新規順タイトル表示] [ツリー表示] [新着順記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用] [問い合わせ]
[トップページへ] [留意事項] [投稿の手引]
  • 以下は新規投稿順のリスト(投稿記事)表示です。
  • 48時間以内の記事は new! で表示されます。
  • 投稿者のメールアドレスがアドレス収集ロボットやウイルスに拾われないよう工夫して表示しています。

  • [No.482] Re: 変わったかたちの郵便切手 投稿者:   投稿日:2011/01/19(Wed) 11:31
    [関連記事URL:http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/


    画像サイズ: 250×132 (11kB)
    こんな切手どうですか??

    瓢箪型というか、円形を二つくっ付けた形の切手です。
    テーマはあの懐かしい「ひょっこり瓢箪島」

    左から「ドン・ガバチョ」「海賊・トラヒゲ」「ハカセ」
    「ライオン」テーマソングもユーモラスでしたね。


               瀬里恵


    [No.481] 古関裕而 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/19(Wed) 10:31
    [関連記事

    七君さん、瀬里恵さん、  こんにちは

    > そして鳴らしているのが、何故か古関裕而作曲、藤山一郎歌の
    > 「三日月娘」耳にタコでとうとう歌を覚えて島しましたヨ(爆笑)

     三日月娘
    作詩 藪田義雄  作曲 古関裕而
    昭和22年 
      幾夜重ねて 沙漠を越えて
        ........

    古関裕而といえば、歌謡曲のイメージが強いが、国際的な評価を受けた作曲家です。
    1929年、チェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに入選、日本人として初めて国際的コンクールに入選しています。
    この入賞の報道が縁で愛知県の声楽家志望内山金子(きんこ)が裕而にファンレターを送り、熱烈な文通を経て二人は結婚します。正式な音楽教育を受けていなかった裕而にとっては得がたい妻で、裕而はみんなの認める愛妻家でした。

    古関裕而は家業を継ぐため、福島商業学校(福島商業高等学校)に入学したが
    音楽好きで、妹尾楽譜や山田耕筰著の「作曲法」等を買い集め、独学での作曲法の勉強をしました。

    卒業後、川俣銀行に勤務。
    学生時代から憧れていた山田耕筰の事務所へ楽譜を郵送し、何度か手紙のやり取りを行っています。つまり実質的に山田耕筰の指導を受けているのです。
    福島ハーモニカーソサエティーとともに仙台中央放送局に記念番組に出演し
    リムスキー=コルサコフの弟子で仙台に在住していた金須嘉之進に師事した。
    古関は自分がリムスキー=コルサコフの孫弟子にあたることを誇りとしていた。

    山田耕筰の推薦で、コロムビア専属となります。

    歌謡曲、早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」、慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」、東京農業大学応援歌「カレッジソング」、中央大学応援歌「あゝ中央の若き日に」、 全国高等学校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」、阪神タイガースの応援歌大阪(阪神)タイガースの歌(「六甲颪」)、読売ジャイアンツの応援歌「巨人軍の歌(闘魂こめて)」などの、多くの応援歌、行進曲の作曲を手がけました。

    詩にあわせて丁寧に作曲したことは彼の音楽の特徴といっていいでしょう。


    [No.480] Re: ドシタラヨカンベ 投稿者:   投稿日:2011/01/18(Tue) 19:46
    [関連記事

    紋次郎さん、七君、こんばんは。

    私の思っていた答とは違いますが、お2人に表彰状を贈呈します。

    正解は単純に「ドレミファソラシド ドシタラヨカンベ」でした。

    紋次郎さん、

    >> あっしらはたしか『ドレミファソラシド、ドシラソファミレド』というかわり
    >>に、?『ドラネコ、デタゾー。ドシタラ、ヨカンベ』と言っていたような気がしま
    >>す。(^_-)-☆

    これは聞いたことあるような気もしますが、覚えていません。

    >>> 今日、活動ホームに行き、障害を持つ方と仕事をしてきたんです。
    >>> ある女性と歩行をしていたとき、思い出したのです。

    > あっしは、その人と同じくらいの年になるのかな。

    とんでもない、50代の女性です。音楽的センスがすごいんです。
    でも会話はできません。歩行をしてピアノの前で、
    「ほら、Yさん、「ドレミファソラシド」よ」と叩きながら、そこで
    思い出したんです。「Yさん、ドレミファソラシド ドシタラヨカンベ」
    って昔言ってたんだ」と2人で叩いて遊んだのです。

    七君、

    >>あ、それで思い出しました。京都では、
    >>『ドラネコソラキター、ドシタラヨカロオー』だったように思います。

    > あっしも、『ソラキター』の方が、原典に忠実のように思います。

    紋さんの言われる通り、こちらのほうがいいと思います。

    おかげで楽しいことを勉強できました。ありがとう!


    [No.479] Re: ドシタラヨカンベ 投稿者:   投稿日:2011/01/18(Tue) 12:47
    [関連記事

    > あやさん、唐辛子 紋次郎さん こんにちはあっしらはたしか『ドレミファソラシド、ドシラソファミレド』というかわりに、『ドラネコ、デタゾー。ドシタラ、ヨカンベ』と言っていたような気がします。(^_-)-☆<あ、それで思い出しました。京都では、
    > 『ドラネコソラキター、ドシタラヨカロオー』だったように思います。

    あっしも、『ソラキター』の方が、原典に忠実のように思います。


    [No.478] Re: ドシタラヨカンベ 投稿者:七君  投稿日:2011/01/18(Tue) 11:35
    [関連記事

    あやさん、唐辛子 紋次郎さん こんにちは

    > あっしらはたしか『ドレミファソラシド、ドシラソファミレド』というかわりに、『ドラネコ、デタゾー。ドシタラ、ヨカンベ』と言っていたような気がします。(^_-)-☆

    あ、それで思い出しました。京都では、
    『ドラネコソラキター、ドシタラヨカロオー』だったように思います。


    [No.477] Re: ダンスが流行った? 投稿者:   投稿日:2011/01/18(Tue) 08:48
    [関連記事URL:http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/

    七君さん、男爵さん、お早う御座います。

    > 私が体験した事ではないのですが、、、、
    > 戦後すぐのころ、ダンスが流行ったそうです。

    昭和二十年代前半、私の社でも猛烈に流行していました。
    たまたま(郷里(大牟田市)の三池港岸にあった分工場に
    出向すると、そこの工場長が熱心で、お昼休みになると
    分工場全体が盛り上がって、コンソール型電蓄をガンガン
    鳴らして全員で踊っていました。

    そして鳴らしているのが、何故か古関裕而作曲、藤山一郎歌の
    「三日月娘」耳にタコでとうとう歌を覚えてしまいましたヨ(爆笑)


                 瀬里恵


    [No.476] Re: ドシタラヨカンベ 投稿者:   投稿日:2011/01/18(Tue) 00:36
    [関連記事

     あやさん、こん〇〇は、

    > この「ドシタラヨカンベ」と言うのをおわかりでしょうか?
    > クイズといきましょう。当たっても賞品を差し上げるわけには
    > いきませんが?
    >
    > 戦後には関係ないかとも思うのですが、なんとなく子どもの
    > ころのことだったと思うからです。
    > 若い人に聞いてみたけど、わからないと言いました。
    > お年よりは聞いたことあるような気がするなーでした。

    これはね、子供のころ、なんかありやしたぜ。もしかしたら、ドレミファソラシドの替え歌じゃなかったかな。

     あっしらはたしか『ドレミファソラシド、ドシラソファミレド』というかわりに、『ドラネコ、デタゾー。ドシタラ、ヨカンベ』と言っていたような気がします。(^_-)-☆

    > 今日、活動ホームに行き、障害を持つ方と仕事をしてきたんです。
    > ある女性と歩行をしていたとき、思い出したのです。

     あっしは、その人と同じくらいの年になるのかな。


    [No.475] ドシタラヨカンベ 投稿者:   投稿日:2011/01/17(Mon) 21:28
    [関連記事

    みなさん、

    この「ドシタラヨカンベ」と言うのをおわかりでしょうか?
    クイズといきましょう。当たっても賞品を差し上げるわけには
    いきませんが?

    戦後には関係ないかとも思うのですが、なんとなく子どもの
    ころのことだったと思うからです。
    若い人に聞いてみたけど、わからないと言いました。
    お年よりは聞いたことあるような気がするなーでした。

    今日、活動ホームに行き、障害を持つ方と仕事をしてきたんです。
    ある女性と歩行をしていたとき、思い出したのです。


    [No.474] Re: こんなのどうでしょう。 投稿者:   投稿日:2011/01/17(Mon) 21:21
    [関連記事

    さんらく亭さん、瀬里恵さん、男爵さん、みなさん

    >
    > > ご即位60年記念の一万円銀貨と、
    > > 皇太子御成婚記念の五千円銀貨です。

    こんなすごいのは持っていませんが、どこかになにかあります。

    さんらく亭さん、切手マニアでしたか!

    >
    > 当方は今上天皇が皇太子時代の御成婚記念の切手です(昭和34)
    > 5000円と 30円・10円とではえらい違いです(^-^)
    > 経済白書が「もはや戦後ではない」と書いたのは昭和31年ですが日米新安保条約が成立した昭和35年までは「戦後」だという説もあるので出しておきます

    私も持っています。1959年4月10日
    5円の「ひおうぎ」2種と 10円と30円の皇太子ご夫妻 のを。

    >
    > 他に皇室関係ではこんなのも持ってますがこれはもう戦後ではないですね
    >  ・昭和49年の大婚五十年記念切手 20円
    >  ・昭和51年の御在位五十年記念切手 50円
    >  ・昭和61年の御在位六十年記念切手 60円
    >  ・平成5年の皇太子御成婚記念切手 62円
    >  ・平成11年の天皇陛下御在位十年記念切手 80円
    >

    平成11年のは見当たりませんが、他のはあります。2枚づつの
    シートになっているでしょうか。
    それに昭和46年の天皇皇后両陛下御訪欧記念 15円があります。


    [No.473] Re: お年玉郵便切手 投稿者:   投稿日:2011/01/17(Mon) 21:06
    [関連記事

    男爵さん

    > > 42年は7円、47年は10円、52年は20円、57年は40円、
    > > 62円は40円と60円がついています。平成2年は62円と41円、
    > > 「戦後」には関係なくなりました。失礼!
    >
    > はがきは
    > 5円→7円→10円→20円→40円→50円
    > でしたか。
    > ずいぶん物価はあがったものですね。

    ちょっとおかしなことになったような?
    はがきではなくて、お年玉つきハガキで当たった、切手のことです。

    調べてみます。


    | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 |


    - Web Forum -   Modified by isso