あなたの戦後は? 
(期間:2010.12.1 - 2011.1.31)

メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。

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  • [No.271] Re: 喫煙と禁煙 投稿者:   投稿日:2010/12/21(Tue) 18:41
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    > > > 飲む・打つ・買う、男子の三つの楽しみ → 三らく → さんらく亭 (^-^)
    > > < この間、落語家が言ってました。
    > > 飲む・打つ・買う(これは本来の買うとは違うものでしたが?)< それで、三遊亭だそうです。
    >
    >  ちなみに、あっしは三流亭紋楽でやんす、へっへっへ。

    さすが! 「流」が、それも「三」つもなんて!! 「紋楽」さんてのも
    いいですね。
    意味もわからず、自分流の解釈でーす。


    [No.270] Re: パチンコに熱中 投稿者:  投稿日:2010/12/21(Tue) 18:19
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    男爵さん。

    > あのしくみが
    > 当時はよくわからなかったのです。
    > パチンコ屋と引き替えの男は仲間だったのですね。

     当地の現金交換の窓口は、おばちゃんばかりで男性には会わなかったですね。
    交換所もパチンコ屋の息のかかった者のようでしたね。


    [No.269] Re: 喫煙と禁煙 投稿者:   投稿日:2010/12/21(Tue) 14:29
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    男爵さん

    > 私の好きなのは
    > 崇徳院

    あ、イッショヤイッショヤ(^-^)

    これは上方落語の大ネタで余程実力がつかないと出来ませんね

    私が上手いなぁとおもうのは、
    桂米朝(人間国宝)、その系統の桂枝雀(故人)、若手ですが桂吉弥、3代目桂歌之助
    あたりです

    百人一首といえば、戦後のモノのない時代、お正月には手製でカルタや双六をつくって
    遊びましたね
    祖母が器用な人で百人一首で欠けた札があれば読み札だけでなく絵札もつくっていました。凧などは自分でつくるのが当たり前でした


           さんらく亭@甲子園

    P.S.戦後の正月の遊びというテーマも面白いですね


    [No.268] Re: 喫煙と禁煙 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/21(Tue) 13:30
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    さんらく亭さん  あやさん  みなさん

    > > 三遊亭といえば
    > >  三遊亭円楽  三遊亭円生  三遊亭歌奴

    > 昭和30〜35年まで東京で独身生活。まだゴルフもTVもない時代です
    > 娯楽は寄席でした。よく行ったのは人形町末広、上野鈴本、新宿末広亭です。
    > 柳家小さん、古今亭志ん生、桂文楽が全盛期の頂上という感じで、あとに三遊亭円生
    > や春風亭柳橋などが油の乗り切る一歩手前というところでした

    オリンピックのころに
    大学の(修学)旅行で、東京の高速道路や地下鉄の工事現場を見て回りましたが
    泊まった宿の近くに、人形町末広がまだありました。
    引率の先生は落語を聞きに行って、「よかった」と言っていました。

    > わたしは特に三遊亭円生と若手の古今亭馬生(志ん生の長男、次男は志ん朝)が
    > 好きで彼らを目当てに一番後ろの値段の安い席によく通いました。
    > 歌奴や若手の林家三平や柳亭痴楽などの芸風は邪道だ!と軽蔑していました

    歌奴
     「もう〈圓歌〉になって三十年たちますが、いまだに〈歌奴〉って呼ばれることがあります 。「山のアナアナ」の『授業中』を初めて高座にかけたのが昭和二十五年で....」

    4代目柳亭 痴楽
     「破壞し尽くされた顔の持ち主」、「柳亭痴楽はいい男」

    私の好きなのは
    崇徳院
     娘から渡された紙に「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」という崇徳院の歌の上の句だけ書いてある。
    教養を感じる落語です。


    [No.267] Re: 当たるも八卦?宝くじの魅力は 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/21(Tue) 13:08
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    唐辛子紋次郎さん、昭さん。

    >  アッシは、終戦からS36、7年ごろまで宝くじ等買った覚えがあらへんな〜。
    > S.26年春に高校の1年先輩が下校途中でタッタ1枚の宝くじを買いそれが、な、ナント一等の300万円に当たりました。

    >  家が貧しかったので彼はアルバイトをしていましたが此れで諦めていた大学に挑戦できるわと言っていましたが、1浪で無事目標の九大に合格しました。

    たいていは
    宝くじに当たると
    人間関係がおかしくなったり
    金遣いが荒くなって
    家族が崩壊するという
    悲劇のケースが多いのですが
    九大に入学したとは立派でしたね。

    宝くじ関係者も喜んでいたでしょう。


    [No.266] Re: パチンコに熱中 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/21(Tue) 13:05
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    昭さん。

    >  どちらも店近くの路地裏に現金化用の窓口がありましたですね。当市の場合は、小さな板チョコが現金にする景品でした。

    あのしくみが
    当時はよくわからなかったのです。
    パチンコ屋と引き替えの男は仲間だったのですね。


    [No.265] Re: 喫煙と禁煙 投稿者:   投稿日:2010/12/21(Tue) 10:26
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    男爵さん  あやさん  みなさん

    > > 飲む・打つ・買う(これは本来の買うとは違うものでしたが?)
    > > それで、三遊亭だそうです。
    >
    > なるほど
    > 三遊亭ですね。
    > 三遊亭といえば
    >  三遊亭円楽  三遊亭円生  三遊亭歌奴


    昭和30〜35年まで東京で独身生活。まだゴルフもTVもない時代です
    娯楽は寄席でした。よく行ったのは人形町末広、上野鈴本、新宿末広亭です。
    柳家小さん、古今亭志ん生、桂文楽が全盛期の頂上という感じで、あとに三遊亭円生
    や春風亭柳橋などが油の乗り切る一歩手前というところでした

    わたしは特に三遊亭円生と若手の古今亭馬生(志ん生の長男、次男は志ん朝)が
    好きで彼らを目当てに一番後ろの値段の安い席によく通いました。
    歌奴や若手の林家三平や柳亭痴楽などの芸風は邪道だ!と軽蔑していました

    あの頃いい落語に浸ったことはその後の生き方のどこかに影響していると思います。
    パソコン通信でハンドルを考えるとき兎に角「**亭」にしょうと決めたのもそれ(^-^)

    因みに「さんらく」は「3楽」ではなく「さん」も「らく」も働いた会社と学園の
    名のモジリです。真相はこうだ!(戦後すぐこういう名前のラヂオ番組があった)


           さんらく亭@甲子園


    [No.264] Re: 当たるも八卦?宝くじの魅力は 投稿者:  投稿日:2010/12/21(Tue) 09:49
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      唐辛子紋次郎さん、男爵さん。

    >  ところが、この10万円が、同じ年の12月には10倍の100万円になった。この一事をみても、やっぱ宝くじは人間が売っているとは到底信じがたい。じゃあ、誰かって?そりゃアあ〜た、狸に決まってんじゃないすか。(^_-)-☆タヌキより人情を解する人間がもし、売っているならもう少し確率も高いんとちゃいまっか。(-_-;)

     アッシは、終戦からS36、7年ごろまで宝くじ等買った覚えがあらへんな〜。
    S.26年春に高校の1年先輩が下校途中でタッタ1枚の宝くじを買いそれが、な、ナント一等の300万円に当たりました。

     家が貧しかったので彼はアルバイトをしていましたが此れで諦めていた大学に挑戦できるわと言っていましたが、1浪で無事目標の九大に合格しました。

     憑いてる者には敵いまへんな。


    [No.263] Re: パチンコに熱中 投稿者:  投稿日:2010/12/21(Tue) 09:32
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      男爵さん。

    > そうか
    > スマートボールでしたか。
    > 昭和37年の札幌にまだありました。
    >
    > スマートボールもパチンコも
    > 景品を店の裏あたりで現金と引き替えたのでしたか。

     どちらも店近くの路地裏に現金化用の窓口がありましたですね。当市の場合は、小さな板チョコが現金にする景品でした。


    [No.262] 昭和27年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/21(Tue) 07:12
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    昭和27年

     校庭の映画会  昭和20年代の人々の夏の楽しみに、学校の校庭での無料映画会があった。夏休みのカツオとワカメが、静岡のフネの実家に泊まりに行く。途中からサザエも合流する。そんな田舎暮らしの夏の夜、学校の映画会を皆で見に行く。
     帽子をかぶる  外出時の男性の冠帽率100%の時代は、昭和初年から20年代中頃まで続いたようである。しかし、昭和23年、若い男性のリーゼントスタイルが人気を博し、髪型が崩れる心配から無帽が一般的になっていく。昭和31年、文化人たちの間でベレー帽がブームとなり、ノリスケも便乗している。
     物乞い  昭和26年の漫画では、男が身体障害者を装って同情を呼んでいるので、サザエが十円をカゴに入れるが、ろうあ者なのに返事をしたことに、サザエはあとで気がつく。この漫画は、差別用語を使っているので、朝日文庫版ではカットされた。昭和27年の漫画では、波平の帽子が風で飛ばされ、物乞いの前に落ちる。すると、その帽子に通りかがりの人が次々とお金を入れるものだから、波平は取り戻すのをやめる。
     火鉢  磯野家を訪れた来客の近くに火鉢が置かれ、家人の客への心遣いが感じられる。磯野家では昭和40年11月の漫画が最後で、昭和41年1月には来客用に石油ストーブを使っている。
     モンペ  大掃除をする磯野家で、フネがモンペをはいている。モンペ姿のサザエ、フネはかなり描かれてきたが、昭和27年5月の漫画を最後に以後は出てこない。
     ノミ  この本の著者清水が、ノミやシラミでかゆがっていた子犬のシェパードにDDTをかけてやったら、子犬は付着したDDTをなめまわし、急性中毒で死んでしまったという。
     くず屋  竹かごを背負い、棹秤を持って「くず屋ァおはらい」というかけ声で家々を回るくず屋は「サザエさん」にもよく登場している。
     ホタル  カツオが家の近くでホテルを見つけて追いかける漫画。当時は世田谷にもホテルがいたようだ。
     ソケットとコンセント  アイロンを使うのに、電球をはずしてソケットをはめ、それにアイロンのコードをつなげる場面が昭和27年6月の新聞漫画にある。二股ソケットは確かによいアイデア商品だったのだ。
     デパートの氷柱  涼を呼ぶ氷柱は夏の風物詩で、デパートや喫茶店などで見られた。
     台上の交通整理巡査  もはや日本では見られなくなった台に乗った交通巡査も、ベトナムや中国に行けば見ることができる。
     虫下し  ワカメの食べようとしているアンパンを取り上げて食べてしまったカツオにサザエが「なんでワカメのを取るのッ 虫下しが入っているのに!」と怒る。
     竹馬  カツオが近所の家にいるのを見つけたサザエは、カツオが下駄をはかないでその家に行ったことに気づく。実は竹馬を使ったのだ。


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