あなたの戦後は? 
(期間:2010.12.1 - 2011.1.31)

メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。

メロウ倶楽部の会員以外の方からの書き込みも歓迎します。


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  • [No.141] Re: 通信簿・卒業アルバム 投稿者:   投稿日:2010/12/09(Thu) 18:55
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    瀬里恵さん、

    >
    > > そのころの県知事賞、文部大臣賞ってなーに。
    >
    > あれれっ??ご存じないですか。
    >
    > 旧制中学校では、首席で卒業すると。(校長の申請により)
    > 県知事や文部大臣から表彰されたンですよ。

    すごかったんですね。成績が! 頭が下がります。

    >
    > あやさんの成績、やはり優秀だったようでよかったヨカッタ

    瀬里恵さんには乾杯ではなく、完敗! です。
    音楽は歌うのはだめでしたね。音痴ですから!


    [No.140] Re: 通信簿・卒業アルバム 投稿者:   投稿日:2010/12/09(Thu) 17:20
    [関連記事URL:http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/

    あやさん、

    > そのころの県知事賞、文部大臣賞ってなーに。

    あれれっ??ご存じないですか。

    旧制中学校では、首席で卒業すると。(校長の申請により)
    県知事や文部大臣から表彰されたンですよ。

    あやさんの成績、やはり優秀だったようでよかったヨカッタ


              瀬里恵


    [No.139] Re: 青梅 投稿者:   投稿日:2010/12/09(Thu) 10:57
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    画像サイズ: 708×884 (99kB)
    > > 東京都青梅市は
    > > 昭和の古い映画の看板群が並びます。

    紅孔雀
    http://www.youtube.com/watch?v=rknzoQ2Fv2s
    1954年にNHKでラジオドラマ化され、それから映画やテレビでも映像化された。
    銀之助と千代之介


    [No.138] 三倍増醸酒 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/09(Thu) 09:36
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    日本酒の話です。

    元来日本酒はすべて米と麹と水で造られる酒
    いわゆる「純米酒」だった。(ドイツのビールが麦芽とホップと水で造られるのと対応している)

    ところが日中戦争、第二次世界大戦中、中国・満州に進攻した軍などの要望もあって
    米不足の中でも酒ができないかと研究された結果、純米酒に醸造アルコールを加えて量を増やす技術が開発された。
    「増醸酒」後にいう「アルコール添加酒」の誕生だった。

    米不足は戦後もしばらく続き、1949(昭和24)年には当局の強い指導で酒をさらに増量する製造法が試験的に始まり、数年の間に全国に広まった。
    米だけから造り出すアルコールの約二倍の醸造アルコールを加えるため、できあがる酒の量は三倍に増えることから「三倍増醸酒」、略して「三増酒」と呼ばれる。
    大量のアルコールによって辛く薄っぺらになる酒に対し、あらかじめ醸造アルコールに水あめや乳酸、グルタミン酸ソーダなどの調味料を加え、味を整えるのが大きな特徴である。

    三増酒が奨励された背景には、米不足を補い、国税全体の二、三割を占めていた酒税を確保したい国の思惑があった。もの不足の時代、造り酒屋にとってはやむにやまれぬ事情があった半面、売る量が増え、飲み手にとっては酔えれば何でもいいという欲求とも合致した。三増酒はすぐに親ともいえる純米酒を駆逐する。

    こうして日本酒は本来の道からはずれ、出口の見えない袋小路に入り込んでいった。

    ようやく2006(平成18)年になってから、酒税法が改正され、三倍増醸酒は「リキュール」扱いとなり、日本酒、清酒としては販売することができなくなった。
    日本酒を名乗るためには、それまで白米と同量認められていた醸造アルコール、混ぜ物の合計が半分までに制限された。
    (醸造アルコールが添加されていないのは純米酒、純米吟醸酒などであり、吟醸酒も大吟醸酒も本醸造酒も特別本醸造酒もみな醸造アルコールが添加されているのに注意)
        参考文献は冨樫茂:南部杜氏の詩、河北新報出版センター、2010


    [No.137] Re: 電子機器の製造 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/09(Thu) 06:19
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    > > 当時の仕事としては
    > > 組み立てるのに
    > > ハンダごてを使ったのでしょうか。

    > 半田ごてもあり、はめ込むことも少しはあったでしょう。
    > よくはわかりませんが、ラジオの針の見える部分の透明の
    > プラスチックの板ははめ込んでいたのではと思います。

    > 10人以上が流れ作業をしているさまはよかったですね。

    かつては
    蒲田付近ではよく見られた光景が
    東南アジアや外国の工場に舞台を移してしまったようです。


    [No.136] Re: 通信簿・卒業アルバム 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/09(Thu) 06:17
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    BUPさん、あやさん

    >> ご近所に付き、ヨロシクネ。
    >> 子供たちは「入新井第二」でした。
    >
    > 入新井とは、なつかしいです。近くでしたもの。ヨロシクデス。

    ここで知る
    つながりでしたね。


    [No.135] Re: 戦後史 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/09(Thu) 06:14
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    あやさん

    > それと中学校の庭続きが羽田飛行空港でした。昔は「飛行場」ですかね。
    > そこへ先生とクラスの人たちとよく行きました。

    > なぜ、行ったかと言うと、「先生、自習時間にしましょう。飛行場です」
    > と私が提案したのです。

    近かったのですね。
    ということは
    飛行機の騒音も大きかったのでしょうか。


    [No.134] Re: 電子機器の製造 投稿者:   投稿日:2010/12/08(Wed) 23:30
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    > 当時の仕事としては
    > 組み立てるのに
    > ハンダごてを使ったのでしょうか。
    >
    > プラモデルのように部品をはめ込んだりして
    > 組み立てたのでしょうか。

    半田ごてもあり、はめ込むことも少しはあったでしょう。
    よくはわかりませんが、ラジオの針の見える部分の透明の
    プラスチックの板ははめ込んでいたのではと思います。
    私は製造部ではないので、隅々まではわかりませんが、
    半田ごてが鉄の筒に注され、ビスやドライバーがずらっと、
    ラインに並んでいました。
    10人以上が流れ作業をしているさまはよかったですね。


    [No.133] Re: 通信簿・卒業アルバム 投稿者:   投稿日:2010/12/08(Wed) 23:22
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    BUPさん

    > >  小学校は
    > >  昭和二十五年三月  卒業記念  大田区立大森第4小学校
    > >  となっていて、
    > コンニチハ
    > 俺 大森第三尋常小学校(元の女子医専、今の医大と梅屋敷の近所)昭和12年卒、

    第1小学校へはよく行きましたが、第3はわかりません。
    生まれたのは梅屋敷が一番近い駅だったと思います。
    大森3丁目でした。たしか?

    その昔、行き会っていたかも知れませんね。

    > ご近所に付き、ヨロシクネ。
    > 子供たちは「入新井第二」でした。

    入新井とは、なつかしいです。近くでしたもの。ヨロシクデス。


    [No.132] Re: 通信簿・卒業アルバム 投稿者:   投稿日:2010/12/08(Wed) 23:15
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    瀬里恵さんまで、おっぱずかしい!

    >横からオチョッカイ…ゴメン遊べ。

    どういたしまして。

    > > 計算が合わないとは・・・、なんで? どうして?
    >
    > 小学校が二十五年卒なら、中学校は二十八年卒の筈???
    > 若しかして、成績優秀で1年繰り上げ卒業だったかも??(笑)

    男爵さんのところへ回答しました。
    とんでもない! 20年も学校に通うならいざ知らず、たった
    2年で1年繰り上げになるわけがない(^_-)-☆

    >
    > 私も小学校から旧中までの通信簿と各種表彰状を保存しています。
    > 旧中時代の県知事賞は残っているのに、文部大臣賞が紛失して
    > いるのは何故だろう。??

    すごいですね! きちんと保存しているなんて。
    そのころの県知事賞、文部大臣賞ってなーに。
    それこそ若しかして?

    私は感謝状、???状の類、数枚しかありません。

    >
    > それにしてもあやさんの通信簿の中身が見たいですネ。ワハハハ
    >

    中身ですか、中身はだいたい書いたですよ。
    子ども頃、できたのかな? 国語の先生に「先生をバカにしている」
    数学の先生は弟や近所の生徒に「あやさんはできる」と言ったとか。
    社会の先生には答案用紙を印刷させられました。信用があったのかな?
    学力はよかったですよ。


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