あなたの戦後は? 
(期間:2010.12.1 - 2011.1.31)

メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。

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  • [No.542] Re: 東京オリンピックのころ 投稿者:   投稿日:2011/01/27(Thu) 20:09
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    唐辛子 紋次郎さん みなさん

    >  じつは東京オリンピックは翌年の1964(昭和39年)年なのですが、その前年に長男が生まれたので東京オリンピックはとくに印象が深い。

     そうでした。

     「より高く より強く より早く」という歌詞の
     あの歌は「高度成長期の歌」だったのですね。

     また、あの中継放送から、いろいろな新語が、飛び出しました。

     ・ウルトラC 

     ・時間差攻撃 回転レシーブ おれについてこい


    [No.541] Re: 東京オリンピックのころ 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/27(Thu) 13:51
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    唐辛子 紋次郎さん

    >  じつは東京オリンピックは翌年の1964(昭和39年)年なのですが、その前年に長男が生まれたので東京オリンピックはとくに印象が深い。

    アベベは快調そのもので、まだまだ走られるよという姿の傍らで
    円谷幸吉選手は限界、よく頑張ったと(ほめてあげたい)いうシーンでしたね。
    あのあとの彼の不幸な人生を考えると、地道なコーチとしての道もあったのにという思いです。

    >  昭和38年は吉展ちゃん事件だの狭山での女子高生殺人事件だの、国鉄鶴見での事故、また三池で炭鉱爆発事故だの悲しい事件、力道山の刺殺事件など数多くあったけれど、...

    吉展ちゃん事件では、言語学者の指摘はまったく正解、そしてお手柄刑事の活躍でしたね。
    リングの上で強い力道山も刃物にはかなわなかった。

    >  もっとも、その裏で、三億円事件も起こったけれど…。

    三億円の犯人は頭が良い。誰も損をしなかった。 保健会社が損をした。


    [No.540] 東京オリンピックのころ 投稿者:   投稿日:2011/01/27(Thu) 12:17
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     じつは東京オリンピックは翌年の1964(昭和39年)年なのですが、その前年に長男が生まれたので東京オリンピックはとくに印象が深い。

     昭和38年は吉展ちゃん事件だの狭山での女子高生殺人事件だの、国鉄鶴見での事故、また三池で炭鉱爆発事故だの悲しい事件、力道山の刺殺事件など数多くあったけれど、ボーリングが大流行したり、鉄腕アトムの誕生など明るい事件もあった。

     長男が5歳くらいになると、川端康成のノーベル文学賞授賞という快挙もあった。

     もっとも、その裏で、三億円事件も起こったけれど…。
       


    [No.539] Re: 父の手紙 投稿者:   投稿日:2011/01/27(Thu) 11:40
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    男爵さん、おはようございます

    今夜はパソコンが開けられるかどうか? そんなことで出かける前の
    一時を楽しんでいます。

    >
    > お父さんの思い出ですね。
    > 私も父の書き残した文章などをホームページに移植するつもりで
    > 半月くらい時間をかけたことがあります。
    >

    そのままは紹介できない部分もありますが、まとめておきたいと
    思うのです。こちらからの返事がないのが残念ですが、父の思い
    のこもった手紙を読むと、親不孝をしたと思うばかりです。

    > 昨日は
    > 伯父や祖父母の墓のところに行ってみたのですが
    > この今年の大雪で
    > 墓の場所のため、墓は雪の中に沈んでいました。

    雪があっても墓参りができるのですね。長岡の親戚のお墓に
    入っていた両親と祖母は、富士のふもとの御殿場に移ってき
    ました。冬は無理ですね。

    >
    > 長岡はいいですね。
    > 越後の雁木を求めて
    > 十日町を中心にあちこち回ったのです。
    > 交通の中心は越後湯沢ですが
    > 泊まるホテルは長岡に多くあり長岡は便利で
    > バスで大河津分水や上杉謙信ゆかり栃尾に行ったりするにも長岡は便利です。
    >
    > 長岡は好きな町です。

    母のふるさとです。そこを好きといっていただいてうれしいです。
    大名の落とし子だったと言う、母の祖母は厳格な人でした。

    母は色の白い新潟美人? と言われていましたが、受け継がないもんですね(ーー;)


    [No.538] Re: 板張りの窓 投稿者:   投稿日:2011/01/27(Thu) 11:32
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    > > 私も窓からよく出入りしましたよ。家が空襲で焼けて長岡へ
    > > 疎開する時が最初だったでしょうか。
    >
    > トンネルをぬけると雪国

    大好きな言葉です。トンネルを入るときにいつでも思い浮かべます。

    > それは越後湯沢のこと。
    > 長岡はもっと遠い。
    > 新幹線のない時代でしたね。

    長岡は遠かったです。でも思い出すのは、
    「上野ー、上野ー」と放送のあった上野から、乗った列車が長岡に着き、
    そのあとまた「上野」でした。舞い戻ってしまったのかと目をこらしましたが、
    「上野(かみの)」だったのです。親戚の住所も「上野(かみの)」でした。


    [No.537] Re: 父の手紙 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/27(Thu) 04:55
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    あやさん  おはようございます

    お父さんの思い出ですね。
    私も父の書き残した文章などをホームページに移植するつもりで
    半月くらい時間をかけたことがあります。

    昨日は
    伯父や祖父母の墓のところに行ってみたのですが
    この今年の大雪で
    墓の場所のため、墓は雪の中に沈んでいました。

    長岡はいいですね。
    越後の雁木を求めて
    十日町を中心にあちこち回ったのです。
    交通の中心は越後湯沢ですが
    泊まるホテルは長岡に多くあり長岡は便利で
    バスで大河津分水や上杉謙信ゆかり栃尾に行ったりするにも長岡は便利です。

    長岡は好きな町です。


    [No.536] Re: 板張りの窓 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/27(Thu) 04:46
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    Panさん、さんらく亭さん、あやさん  このテーマもあと数日

    > 私も窓からよく出入りしましたよ。家が空襲で焼けて長岡へ
    > 疎開する時が最初だったでしょうか。

    トンネルをぬけると雪国
    それは越後湯沢のこと。
    長岡はもっと遠い。
    新幹線のない時代でしたね。


    [No.535] 父の手紙 投稿者:   投稿日:2011/01/26(Wed) 21:41
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    画像サイズ: 480×320 (35kB)
    父は私が何歳の時に入院生活になったのだろう。
    中学生になっていたか?というところである。

    電話のない時代、父は葉書、手紙をよく書き送ってきた。
    書かれた日付がないので、消印に頼るしかないが、そのイ
    ンクもかすれて見えにくくなっている。

    毎月何通か届いたのだろうか。ここに葉書が71枚、手紙
    が30通くらいある。白い葉書が茶色になり、封筒も中の
    手紙も変色している。

    一冊にまとめておこうかと打ち込み始めたが大変な作業で
    ある。

    28年4月7日の葉書には
    御変わりありませんか。私は別にかわりありませんからご安心下さい。
    おばあちゃんの云うことをよくきき、弟をかわいがって、よき姉さん
    になって下さい。毎日家庭のことばかり心配して居ります。
    ラジオ直りましたから天気のよい日に取りにきて下さい。

    が書かれている。
    母がすでに亡くなっていた私たち姉弟を病院生活の中で、
    どんな気持ちで見守っていただろうかと思うと、涙を禁じ
    えない。


    [No.534] Re: 板張りの窓 投稿者:   投稿日:2011/01/26(Wed) 21:20
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    Panさん、しばらくですね。

    >
    >  国鉄の窓ガラスは戦後になってからひどく割れましたね。
    >  ガラスが足りないので、仕方なく板張りになっていました。
    >

    そうだったんですか。よくわかりません。

    >  そういう私も窓から出入りしたことが何度かあります。

    私も窓からよく出入りしましたよ。家が空襲で焼けて長岡へ
    疎開する時が最初だったでしょうか。

    そのあとは10代、20代のころです。山登りのときでした。
    毎週のように山に登っていた感じでした。

    そんなときは通路に雑魚寝でしたね。男も女もありゃしません。

    >
    >  そんなとき、こんな川柳がありました。
    >
    >    板張りに誰がしたのか見えぬ富士   ??
    >

    うわっ、面白いですね。??さんに乾杯!


    [No.533] 白鳥みずえ 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/26(Wed) 10:53
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    > 美空ひばり、松島トモ子、白鳥みずえ、近藤圭子、鰐淵晴子らとともに、これらの少女雑誌の写真物語でも、さと子は大活躍した。

    白鳥みずえといえば
    映画によく出ていたが
    田端義夫とのデュエットの
    「親子舟歌」が印象に残っています。
    http://www.youtube.com/watch?v=uQ8F_AU1zks


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