あなたの戦後は? 
(期間:2010.12.1 - 2011.1.31)

メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。

メロウ倶楽部の会員以外の方からの書き込みも歓迎します。


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  • [No.321] Re: 昭和28年/サザエさん 投稿者:   投稿日:2010/12/24(Fri) 22:07
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    > そういえば校庭で映画会がよく催されました。なんの映画だったか?
    > 鉄棒にぶら下がったりしながら、見ていた時もあります。
    > あまり興味のある映画ではなかったのか?

    わが田舎では、CIE(占領軍の民間情報教育局)作成の民主主義教育映画と、科学映画や
    マンガ映画がセットになっていました。科学映画では、コウモリが超音波を出しながら
    障害物を避けていることが発見されたという映画が印象に残っています。

    娯楽のない時代でしたから、真っ暗な田舎道を30分も歩いて見にいきました。


    [No.320] Re: 昭和30年/サザエさん/下駄 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/24(Fri) 18:29
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    さんらく亭さん

    > 今でも町内では下駄履きで歩いていますが、下駄履きの人はほとんど見かけません

    下駄を守りましょう
    日本文化を残すことは
    価値のあることです。


    [No.319] Re: 昭和30年/サザエさん/下駄 投稿者:   投稿日:2010/12/24(Fri) 18:26
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    >  下駄をはく  当時は小学生も中学生も下駄をはいていた。今なら下駄は応援団と鬼太郎だけ。

    バンカラ気取りで(青い山脈の影響も)下駄を履いて来る生徒もいましたが、私は
    貧乏でボロ靴が恥ずかしくて(男女共学になって女生徒の眼が。。。)下駄履きで
    通学しましたねぇ
    今でも町内では下駄履きで歩いていますが、下駄履きの人はほとんど見かけません

    >  下駄でうらなう天気予報  表が出たら晴れ、裏が出たら雨。

    拙作の川柳2句
    ・裏表天気占う下駄がない        メロウ川柳(平成16年6月)
    ・下駄投げて予報士よりもよく当たる   NHK川柳(平成17年6月)


          さんらく亭@甲子園


    [No.318] Re: 押入れの暗室 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/24(Fri) 17:26
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    瀬里恵さん

    ヌードモデルの撮影会
    そして
    千曲川のほとり

    これらはカメラ時代といえばうなずけますが
    瀬里恵さんの知らない世界をかいま見た気がします。


    [No.317] Re: 昭和31年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/24(Fri) 17:23
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    さんらく亭 さん

    > 一瞬、腕力bar かと思った(゜゜)(。。) 

     暴力バー?

    > 腕coverですね。「腕抜き」とも言ったなぁ。

    > Yシャツの袖が擦れて汚れるので腕カバーが支給されました。

    Yシャツの袖の汚れ防止の腕カバー
    でも
    仕事をする上で能動的で
    カッコウよいと思いました。
      私にしたら、タスキのように写りました。


    [No.316] Re: 押入れの暗室 投稿者:   投稿日:2010/12/24(Fri) 14:09
    [関連記事URL:http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/

    あやさん、男爵さん……。

    > それはさておき、その男子は写真が趣味だったのか? 住み込みの
    > 部屋の押入れを暗室にしてしまったのです。店主は怒りましたが
    > 聞くものではありませんでした。

    私も写真の趣味があって、当時の写真の大家「町田定明先生」の孫弟子
    の園田君と言うカメラマンと提携、職場で写真のクラブを作っていました。
    そして職場の現場事務所の屋根裏に暗室を設け、私物の引伸機のほか、
    一切の焼付け用具を提供して、運営していましたヨ。

    有明海の人工島(三池炭鉱の海底坑道に空気を供給する為の通気孔を通す
    ために築いた人工の島)でヌードモデルの撮影会をやったりしました。

    その後、八ミリ映画撮影に転じ、千曲川のほとりを重い撮影機を担いで
    歩き回ったものです。懐かしい時代でした。
    いまもエルモの八ミリトーキー映写機は押入れに眠っていますが、
    レンズにカビが生えたり、トーキーシステムも錆びたりして、使用でき
    ないでしょうネ。


                   瀬里恵


    [No.315] Re: 昭和31年/サザエさん 投稿者:   投稿日:2010/12/24(Fri) 11:05
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    >  事務員の腕カバー  郵便局員、事務員などがよく使用していた。ワイシャツのクリーニングも普及して腕カバーも必要がなくなったのだろうか。

    一瞬、腕力bar かと思った(゜゜)(。。)
    腕coverですね。「腕抜き」とも言ったなぁ。
    入社して最初に配属されたのが経理課。経済学部を出たといって
    も簿記も算盤も出来ないのがなぜ経理?と思いました(;_;)

    昭和30年当時まだコンピューターはもちろん、電卓もワープロ
    もなかった。伝票から帳簿に転記するのはガラスペンの先に
    インクをつけて(ボールペンもまだない)計算は5玉算盤です。
    手回しタイガー計算機も台数が少なく新入社員は使わせてもらえ
    ず年下の先輩女子社員から居残りで算盤の特訓を受けました

    Yシャツの袖が擦れて汚れるので腕カバーが支給されました。
    ある日うっかりして腕カバーをつけたまま電車に乗って恥ずかし
    い思いをしたことがあります



         さんらく亭@甲子園


    [No.314] 昭和32年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/24(Fri) 06:47
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    昭和32年

     小学生の坊主刈り  アニメのサザエさんで現代の若い人が違和感を感じると思われるのは、ちゃぶ台とカツオの坊主頭だろう。この頃の漫画では、紙芝居を見る五人の少年のうち二人は坊主刈りだった。
     前でっぱりのバス  この頃の漫画には、前ののっぺり型のバスが登場するが、それまでの前でっぱりのバスも再登場する。
     おひねり菓子  波平がワカメにお菓子を入れた紙包みを渡すシーンがある。アメやビスケットを缶から出して分け与えていた生活習慣がうかがえる。
     キセル  キセルタバコを吸っているおじいさんを見て、サザエが「いなせなおじいさんね」と言っている。
     屋根にのぼる  ワカメに「今日は花火大会があるよ」と言われたマスオが家の屋根にのぼるシーンがある。
     空きびん流し  海岸でカツオが飲み残したサイダーびんに手紙を入れて流すシーンがある。海流に載ってどこかの国の人がひろって読むことを期待して流す。
      鉄腕アトムの漫画で
       アトムが、南海から流れてきたびんの中の手紙を見つけて
       南の島に飛び女の子と父親を救う話がある。
          > 海蛇島   1953 8月号付録  21巻
          >   南海から流れてきたびんの中の手紙

     駄菓子屋  夏の夕方の縁台で老人が女の子たちに怪談ばなしをするとワカメがこわがって泣き出す。老人はご機嫌直しにワカメをおぶって駄菓子屋へ行く。
     もらい湯  家庭風呂のない近所の人たちに始祖の家が「もらい湯」の奉仕をしているシーンがある。待っている人がなんと十二人もいて、これでは風呂に入るとかえってよごれてしまいそう。


    [No.313] 昭和31年/サザエさん 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/24(Fri) 06:16
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    昭和31年

     集団就職  神武景気で企業や商店が人手不足のため、地方の中卒者・高卒者を都会で就職させる政策がとられた。集団就職列車が上野駅に着く。ああ上野駅(作詞関口義明 作曲荒井英一 唄井沢八郎 昭和39年)
     放射能の雨・死の灰  新聞を読む波平が「放射能の雨」の記事に深刻な顔をする。
     正月の獅子舞  磯野家を訪れた二人獅子舞に、波平とマスオは羽織姿で百円札の祝儀を渡す。  
     バスの女車掌  バスに乗るサザエとワカメが女車掌から切符を買っている。 東京のバスガール(作詞丘灯至夫 作曲上原げんと 唄初代コロンビア・ローズ 昭和32年)
     事務員の腕カバー  郵便局員、事務員などがよく使用していた。ワイシャツのクリーニングも普及して腕カバーも必要がなくなったのだろうか。
     蚊屋  昔は夏の風物詩だったのに、いまでは殺虫剤や網戸の普及で蚊屋も見かけなくなった。
     トースター  磯野家の人々はトースターのことをパン焼き器と呼んでいた。
     ガスストーブ  サザエはマスオにしきりにガスストーブがほしいと言うが聞く耳を持たないので波平に相談する。波平は冬のボーナスでガスストーブを購入する。
     医薬分離  法律的には、このころから医薬分業となったが、実際は例外規定により任意分業が行われている。
     深夜喫茶  一時期都会に流行った。今は漫画喫茶(インターネット・カフェ)で夜明かしができる。仮眠も可能。カプセルホテルで過ごすより安い。


    [No.312] 神戸の三宮 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/24(Fri) 05:42
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    さんらく亭さん、 唐辛子 紋次郎さん、みなさん、 おはようございます。

    >  あのころ、第三国人は、怖いもんなしでしたねえ。

    > > 彼が「太陽の季節」で障子破りをしたころ私は母親の手伝いで障子張りをしました。
    > > エライ違いですわ(;_;)
    >
    > 親孝行のさんらく亭さんが、いくらせっせと障子張りをされても、同じ神戸出身のアプレゲールさんに、片っ端から障子を破られたんじゃ、堪った紋じゃありませんねえ。(-_-;)

    障子を張る人、破る人ですか。

    地震の前の三宮のガード下の店で
    高校の時の友人と飲んだことがあります。
    神戸の大学で学会のあった時でした。
    もうその友人もあの世に旅立ってしまいました。

    神戸の南京町で買い物をしたことがあります。
    神戸で大学院に通っていた留学生と
    トルコ料理の店に入ってシシカバブを食べたことがあります。
    神戸にはモスクがあるようです。
    この留学生は神戸から東京に引っ越してきて、たまに池袋で会います。


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