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[No.4985] いよいよ伊予へ行くことに 1 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/23(Sun) 08:28
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 雨の小倉が出発点

 四国の中でも、未だ一度も行ったことのない愛媛県に行きたいと、かねがね思っていたのですが、なかなか機会がありませんでした。ところが今回、たまたまメロウ倶楽部の福岡の勉強会へお邪魔することになったので、帰路に行くことに決めたのです。
 博多駅まで、メロウ倶楽部のお友達が送ってくれました。
 最初、博多から飛行機で行こうかと思っていたのですが、福岡の友達から「夜行フェリーにしたら」と言われて、「わあ、それ面白そう」と、船に決めました。
 ネットで調べると船室にはいろいろなクラスがあるのですが、四人一部屋の寝台車タイプの部屋があったので、それを予約しました。
 出港は、21時55分、到着翌朝は、5時。ただし、21時には乗船できますし、朝も、6時30分までは、寝ていられます。
 いつも、旅の荷物はリュックで背負えるだけのものにしているのですが、今回は、勉強会のこともあり、パソコンやら何やら機材がいろいろあったので、スーツケースを持参しました。もちろん、LCC航空様の規定範囲の大きさのものですが、やはり持って歩き回るには結構重かったのでした。
 でも、おかげさまで「バリアーフリー」について色々考える機会を与えられ、勉強になりました。

 博多・天神の長距離バスターミナルは西鉄ビル4階にあります。エレベーターもエスカレータもなく、スーツケースを引きずって階段をあがるのはシンドイのですが、地下鉄駅からそのまま行かれるので、こういう豪雨の日には助かります。
 切符は1133円。新幹線だと6000円くらいかかります。おまけに、バスはきれいで設備もいい。スマホ狂の若いものを意識してか、コンセントが各座席についているのも嬉しかったです。(新幹線にもついてはいるのですが、新幹線のは窓際に一つだけしかありませんので、通路側や真ん中のシートの人は使いにくいのです)

 降りしきる豪雨の中、バスは時刻通りに小倉駅のバスターミナルに着きました。ここからフェリーターミナル行きのバスに乗り換えなくてはならないのです。
 雨は、ますます強くなり、道路の端に水が溜まっていました。このままこの道路を横断しますと、靴ごと足首が水没する危険があります。危険というのは大げさですが、旅人にとって、靴やら靴下が、ベチョベチョになるのは望ましいことではないのです。
 引き返して、エスカレーターからJRの駅舎に入り、ここから、タクシースタンドへエスカレーターで降りました。何処の駅でも、タクシー乗り場は、駅前の一番いい場所にあります。

 タクシーは、あっという間に、フェリーターミナルに着きました。歩いても、10−15分でいける距離です。(あとで、知ったのですが、博多の天神からフェリーターミナル直行のバスもあったようです)。
 。


[No.4988] いよいよ伊予へ行くことに 2 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/24(Mon) 08:13
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 乗り心地がいいフェリーでした

 フェリーターミナルの窓口のオネエサンは料金表の各種割引の欄を見せながら「この中のどれかに該当しますか」と聞きます。見れば「学割」「障害者割引」のほかに「シニア割引」もありました。おかげさまで、特2クラスは、定価11000円のところ、20%引きで約9000円にしていただけました。(年齢確認は、マイナンバーカードでオーケーでした)。これで運賃と宿泊費が賄えたわけですから経済的です。おすすめです。ただし、夜行ですので折角の瀬戸内海の眺めが楽しめないのが「玉に瑕」です。
 クルマ付きではない「Foot Passenger」は、2−30名。フルムーンカップルが多いようでした。

 9時になりますと、乗船がはじまります。船は地上4階、地下1階で、結構大きな船です。なお、エレベーターの類は存在しませんので、重いスーツケースを引っ張って来た人にはエライことです。  
 私の小さなスーツースだって結構たいへんでした。
 案内されたキャビンには、二段ベッドが向き合わせで4人分。ベッドの上には、タオル・歯ブラシのセット・浴衣があり、ライト、コンセント、小さな網棚なども揃っていて、掛け布団もふわふわでした。

 さらに、その奥には、ソファー、机、などが置いてあるスペースがあります。ただし、室内にはバス・トイレはありません。
 机の上には、超小型テレビ(写り最悪)と、湯沸かし器、お茶パック、茶碗なども人数分ありました。インターネットは使えません。
 この日は、悪天候のせいか、乗客が少なく、結局、私は4人用の部屋を一人で使わせてもらうことになりました。ありがたかったです。
 ロビーには、各種の食べ物・飲み物の自動販売機が並んでいる他、売店や、おでん屋さんの屋台もありました。

 かくして「はやとも2号」は、降りしきる雨の中を、松山に向けて出港しました。
 波は穏やかで、エンジンの音もうるさくなく、よく眠れました。


[No.4989] Re: いよいよ伊予へ行くことに 2 投稿者:まや  投稿日:2016/10/24(Mon) 16:20
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マーチャン、今日は!

>  乗り心地がいいフェリーでした

 いい旅をしましたね。
 まだサンフラワーが就航してない頃、別府から神戸まで船旅をしたことを
思い出しました。私はまだ学割りの効く三等船室の学生でした。
 結局のところ夜は船員さんたちとおしゃべりして船室は使わずに過ごして
しまいましたが、のんびりした時代でした。
 
 レスを付ける気もなかったのですが、つい思い出して・・・

まや


[No.4990] Re: いよいよ伊予へ行くことに 2 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/24(Mon) 20:04
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まやさん

>  まだサンフラワーが就航してない頃、別府から神戸まで船旅をしたことを
> 思い出しました。私はまだ学割りの効く三等船室の学生でした。
>  結局のところ夜は船員さんたちとおしゃべりして船室は使わずに過ごして
> しまいましたが、のんびりした時代でした。

 いい旅をなさったのですね。

 私も、三等船室の畳の大部屋をよく使わせてもらいました。
 日本海は、荒れるので大変でした。窓の外の海が壁のように垂直に見えたので
 これは、転覆かしらーーーと心配しましたが、
 同室のおっちゃんの集団は「オイチョカブ」に夢中で、外なんか気にしていませんでした。


[No.4993] いよいよ伊予へ着きました 3 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/25(Tue) 06:36
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 フェリーターミナルから松山駅までの旅

 翌朝、けたたましいチャイムで目が覚めました。松山に到着したのです。「ご用とお急ぎのある方は、下船可能です」という趣旨のアナウンスがあり、何人かが降りたようでした。
 退出期限は6時30分なのですが、また寝直すのも面倒なので、顔を洗って着替えて、荷物をまとめてしまいました。
 同じ思いの方が多かったらしく、既にロビーには下船準備のできた方が集まっておられました。
 その大部分はの方は、畳敷きの大部屋に泊まっておられた「バス遍路」のグループの方でした。
 何人かの「バス遍路」の方からロビーでいろいろお話を伺いました。
 ―――お遍路さんといっても、完全に昔風の衣装を着ておられるわけでなく、ティーシャッの上に「白衣」を召していらっしゃる方が多いようですし、下もジーパンという方もおられました。衣装・用具はお寺の売店で買えるのだそうです。でも、同じものがAMAZONだったら、ワンセット9000円で買えます、とのことでした。
さすが菅笠、ズタ袋、金剛杖は、どなたもお持ちでした。でも、歩き遍路でなければ杖は必要ないかも、といっておられました。「これはアクセサリーです」といって笑っておられる方もいました。
 2016年は、4年に一度の閏(うるう)年。四国遍路では、逆打ちの年と言われています(逆打ちというのは、反時計回りに巡礼することなのだそうです)。今年は特にご利益が多いそうでして、大切な年なのでたくさんの方が来られるそうです。
 お遍路さんたちが、添乗員さんに連れられて下船されたあとで、私も船を降りました。

 さてまずは「JRの松山駅」へ行きたいのですが、これがなかなか難しいのです。フェリーを降りて、長―い通路を進みますと、フェリー・ターミナルへ出ます。
 ここで、先ず分かったのは「JRの松山駅」は、街の中心ではなく外れにある。そこへ行く直通バスに乗るには、後2時間待たねばならない。ただ路面電車の「高浜」という駅までは行ってくれるバスがあることがわかりました。やがてバスが来ました。ものの5分も走ると「高浜駅」到着です。運転手さんが親切に駅の切符売り場まで案内してくださいました。
 だんだんわかってくるのですが、はっきりいって私の歩いた場所に限れば伊予の観光客用のインフラは、イマイチです。でも、そこを「市民のおもてなしの心」がカバーし尽くしているーーーそんな気がしました。
 (写真)運転手さんのお話では、この「高浜駅」は、フジテレビの「真夏の方程式」の舞台となったところなのだそうです。(ドラマのなかの「玻璃ヶ浦」駅です)。
 電車の車体には、「KEIO」の文字が。きっと、京王電車で勤め上げた車体がこの静かな海辺の町で第二の人生を送らせてもらっているのですね。


[No.4997] いよいよ伊予へ着きました 4 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/26(Wed) 07:36
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 松山駅

 バスの運転手さんの懇切丁寧な説明でも「よそもん」には理解できないことが、もう一つありました。電車の路線図には、どこにも「松山駅」「JR松山」なんていう「駅名」はないのです。
 少し不安になりました。駅の方に聞きますと「大丈夫ですよ。JRへは行かれます。ああ、駅名ですか。『大手町』という名前の駅で降りてください。そこから、すぐです」―――分かります、わかります。こういうことって多いのですね。あまり分かり切ったことは、説明し忘れるのですね。
 それと感じたのは、この街では「JRの駅」は、やや「街はずれ」にあって、街の重要なランドマークではない、ということです。
 「高浜駅」で乗ったのは私一人。あまり空いていたので心細かったのですが、駅ごとに少しずつ通勤・通学客が乗ってこられました。
 くだんの「大手町駅」の脇には、広い道路があり、歩いて4−5分のところに「JR松山駅」の控えめな姿が見えてきました。あまり「自己主張している感じ」の駅舎ではありません。

 ところが、目の前にある駅舎に近づくのはなかなか難しいのです。横断歩道が見つからない。どうしても、一旦地下道を通らないと行けないようになっているのです。そして、その「地下道」ですが、ここの階段は中央に「荷物を置くための斜面」があるのです。どうもこの斜面がハイシニアは苦手なのです。ここに大きな荷物を乗せて引っ張ると斜面から荷物が外れて本人も転びそうになるのです。手を離すと、荷物が後ろに人にぶつかる危険性があります。ここで怪我をしたシニアもいます。
 私の場合、大荷物ではないので、手で持ち上げて、ナントカ地下道をクリアーして、駅にたどり着きました。

 次に、コインロッカーに荷物を預けようとしたのですが見つかりません。
 駅の案内所で聞きますと「この駅構内にはありません。駅を出て右側のうどん屋さんを右折すると見えてきます」とのことでした。
 なんとか、たどり着き、荷物を押し込んで、500円玉を入れようとしますが入りません。外の張り紙に「このロッカーは100円玉以外は使えません。うどん屋さんか、ラーメン屋さんで両替してもらってください」とありましたが、朝だったので、うどん屋さんも、ラーメン屋さんも、まだ店を開けていません。恐る恐るお隣の土産物屋さんへお願いしてみますと、快く両替してくださいました。ああ、ここにも伊予ホスピタリティーが。

 やれやれ、やっと、身軽になれました。こうなるとお腹が空きます。そうです。まだ朝食前でした。駅構内のパン屋さんから美味しそうな焼きたてのパンの香りがします。ここでいただいた文字通りの焼きたての塩パンとコーヒーは、伊予らしい温かい味がしました。ホント、ここのパンは美味しいですよ。おすすめです。
 昨夜の豪雨も上がりました。暑い一日になりそうです。


[No.5001] いよいよ伊予へ着きました 5 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/27(Thu) 07:01
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 特急ばかりが走っている予讃線

 さて、お次はJR予讃線です。まず「みどりの窓口」に切符を買いに行きました。
 「伊予大洲まで行きたいのですが、内子で途中下車できますか」と聞きますと「それならば一日通用する区間特急券を作ってあげましょう。これでしたら、この区間で何度でも乗り降りできます」とのことでした。運賃・乗車券こみで 2790円。(もちろん、この切符で普通列車にも乗れます)
 買ってから考えました。そもそも特急なんて一日何往復あるのかしら。普通列車でいいんじゃない? 伊予大洲なんて、松山駅から50キロくらいの距離だし、と。
 ところが、時刻表をみて、またびっくり。だいたいこの区間は、30分に一本程度しか走っていないのですが、そのうち半分は、特急なのです。特急の大安売りです。
 そうこうしているうちに、特急列車がやってきました。
 はい。JR四国の、8000系特急電車はすべて「アンパンマン列車」のであります。
 故やなせたかし氏の地元の、土讃線にも、当然アンパンマン列車が、瀬戸大橋には「アンパンマントロッコ号」が、高松〜徳島〜阿波池田間には「ゆうゆうあんぱんまんカー」が走っています。
 四国じゅう、アンパンマンが溢れております。
 なんていいましても楽しいです。天井にも描かれています。気持ちがはずみます。洗面台も美しいのであります。
 松山を過ぎてしばらくすると、列車は山の中に入っていきます。徳島県は、山が多いとは思っていましたが、愛媛県も結構山が多いのですね。
 
 というわけで 20分あまりで、内子駅に着きました。
 内子駅は、ガード下に慎ましく存在していました。我らが街では、ガード下には「飲み屋さん」などが多いのですが。もしかすると、控えめにガード下いるのではなく「駅舎の上に、高架線が勝手にお乗りじゃけれ、こんなふうになったのだぞなもし」とおっしゃるかもしれません。しかし、建物も、お隣のお蕎麦やさんのほうが存在感があります。
 でも、この駅舎好きです。控えめでありながら格調高い建物です。日本の「好感のもてる駅舎」コンテストがあれば上位入賞間違いなしです。末永く保存していただければありがたいです。


[No.5006] 伊予のいい町 6 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/28(Fri) 06:34
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 内子町を歩く

 内子駅前広場に鎮座ましましております、この機関車は「シーコロ」いう愛称で、昭和14年から昭和45年まで働いたSLです。生まれも育ちも仙台なのですが最後の一年間、宇和島機関区所属となり、内子近辺で働きました。いまは、ここに展示されて、内子町で余生を送っています。
 いつも思うのですが、機関車は人間っぽい存在です。見ると声をかけたくなります。
 この辺のJRの駅は、内子といい、松山といい、後から行く「伊予大洲」といい、ダウンタウンは駅から少し離れています。早く言えば、駅前にはあまり見るべきものがないのです。ヨーロッパの駅も同様ですが。
 ですから駅を出て、ひたすら歩きました。あるきに歩いて、56号線沿いまで来てしまいました。

 「雨上がりの稲田」「川べりの風景」「教会風のコーヒーショップ」など、なんでもない風景が、優しく出迎えてくれまた。
 お天気は、よくなったのですが、だいぶ蒸し暑くなってきたのでした。
 ちょっと、56線から離れて町の中に入りますと、橋邸の案内版がありました。このお屋敷は、高橋吉隆氏(元アサヒビール株式会社会長)が、郷土、内子町への思いを寄せられていたことから、ご遺族によって寄贈されたものです。
 かって、このお屋敷では普通のお屋敷だったら「無用の者、立ち入るべからず」とするところを「止談風月無用者可入」(ただ風月を談じるのであれば、用事がなくても屋敷に入ってもいいよ)という墨書の看板が掲げて、来られる方々を歓迎なさったのでした。その遺志に沿って、現在も、遠来の客を迎えるゲストハウス、宿泊施設として、あるいは研修会や小会議、お茶、お華などの文化活動施設として活用されています。
 (ここにも、やっぱり「お接待」の心が。ああ、ますます伊予が好きになっちゃいました)


[No.5009] 伊予のいい町 7 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/29(Sat) 06:41
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 内子町並み保存地区 その1

 さて、橋邸の少し先の「町並み保存地区」へいきましょう。
 内子というところは、江戸時代から木蠟、和紙の製造で栄えた町だったのですね。
 しかも、松山などから少し離れた場所にあり、戦災にも遭わなかったので、江戸時代から、明治・大正のまちなみがよく残されていたのでしょう。
 でも、それだけでは「古い町並み」を保存することはできません。こういうことは、急に「はい、地域創生・町おこしです」と役所が呼びかけたって出来るものではないと思います。

 やはり、明治からこの方、歴代の住民の方の「地元を愛する気持ち」と「何とかして、町並みを守っていこうという情熱」があってはじめてやれることだと思います。私も経験がありますけれど、古い家屋の保守って、物凄く大変なのです。
 「八日市護国町並みセンター」には大工道具なども保管されているようですが、カンナなどを使いこなせる人材の育成も大変だと思うのです。
 家の外壁も美しいです。そして「格子」、「瓦屋根」も。
 さすが、お医者さんは奥の方の近代的な建物でやっておられるようですが、門の看板は「院醫川小」となっています。これじゃ、「今どきの患者さんには、わからんかもしれん」と脇に「小川医院」という看板をとり付けられたのでしょう。ご苦心の程が察せられます。
 ちなみに「内子町」は、ミシュランガイド日本版で1つ星を獲得しています


[No.5015] 伊予のいい町 8 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/30(Sun) 06:54
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 内子町並み保存地区 その2

 「旧街道おへんろみちこんぴら街」という道標がありました。金毘羅さんは神社なのに、ついでに回ってもいいのかしら、と思ってしまいますが、昔から四国八十八ヶ所をお参りしたついでに金毘羅宮にもお参りしていたのですね。もともと廃仏毀釈で神社になったお寺もあり、そのへんの区分はあまり厳格ではないようです。
 石の部分が水準器ということですが、こういうものが明治初期に置かれていたというのもオドロキですね。(ここ標高71.23メートルなのですね。)
 中学校前の「上芳我家」(国内最大規模の製蝋業者だった本芳我家の筆頭分家)と思います。

 この裏が資料館になっているようです。
 なぜ、ここで「ドイツ・フェスタ」か、ですって。
 内子町は、ドイツのローテンブルグ市と姉妹都市なのです。「古い町並みの保存」という共通のテーマで結ばれているのですね。

 公衆電話が、本格的に稼働し始めたのは昭和28年ですが、これは当時の電話ボックスではないと思います。でも、いいですね。瓦屋根のボックスなんて。(そもそも、大きな駅のコンコースからも姿を消した電話ボックスが、ここに存在すること自体、すごいことです。ただ、なぜか10円玉を入れたら、戻ってきてしまいました。)
 こうして歩いているときりがありません。そのうえ暑くなってきました。この日は、このあと、伊予大洲にも行き、更に道後温泉にも行く予定です。これ以上のんびりしてはいられない。しかし、お目当ての芝居小屋「内子座」へは、どうしても行きたいーーーというわけで、タクシーを呼ぶことにしました。ボックスの中にタクシー会社の広告が出ていたのでそこへ電話しました。本当は、昔なつかしい公衆電話から呼びたかったのですが、そんなわけで残念ながらスマホから電話をかけました。ものの10分もしないうちに、タクシーは来ました。


[No.5019] 伊予のいい町 9 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/10/31(Mon) 06:51
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内子座

 「じゃあ、内子座で、タクシー待っていますよ。そうすれば、ゆっくり見物していても、列車の時間に間に合います」といってくださったのです。タクシー代は、待ち料も入れて1500円くらいでした。
 
 切符は400円です。(なぜか、愛媛県の見学できる施設の入場料は、ほぼ400円なのです)
 受付の女性の方は「なかは自由にご覧になっていいですよ。奈落も、二階も自由に見学していただいて結構です。ただ、暗いし、階段が急ですから気をつけて」といってくださいました。
 「受付の方」とか「見張り役」の人が、こんなことをおっしゃるのは珍しい。こういう仕事の方から発せられる言葉は、たいてい「ナニナニをしてはいけません」「ここは立ち入り禁止」「ここは触ってはダメ」というような「禁止・制限事項」ばかりです。それがこの方は違うのですね。
 「ご自由に着てください」と書かれた札の下にあった「法被」を来てみました。なぜか私にピッタリです。ぜひ写真にとっておみやげにしようと思ったのですが、自撮り棒は持参していません。  
 ここでも、様子を見に来られた受け受けの女性の方がシャッターを押してくださいました。「へんなポーズ」で大得意です。81歳になっても「オッチョコチョイ」はなおりませんね。
 受付の方は、内子座の歴史なども話してくださいました。
 大正天皇の即位を祝して木蝋などで栄えた地元の有志の方が出資してこの芝居小屋作ることになった。農閑期に歌舞伎や文楽を楽しむためです。大正五年、百年前の話です。
 わかります。母の郷里が、兵庫県の北部なのですが、やっぱり文楽ファンが多かったのですね。芝居小屋はないので自宅で地元の旦那衆が演じたわけです。
 私も、母の姉から何度も聞かされ、覚えてしまいました。なかでも何度も聞かされたのか「傾城阿波の鳴門」、「巡礼にごほうしゃ・・・と巡礼姿の「おつる」が現れる。・・・して、カカ様の名は?・・・お弓と申しまするぅ。・・・
 と、伯母は、自ら語り、涙をぽとりと落としていました。当時の人の大切な娯楽であり、一種のカタルシスでもあったのではないでしょうか。
 本物の歌舞伎も好きですが、こういう田舎芝居もいいですね。
 受付の女性は、歴史を語るだけでなく、みずからキュレーターとなって建物についての解説をして下ったのです。もっとも、他に見学の方はいなかったのですが。
  


[No.5022] Re: 伊予のいい町 9 投稿者:まや  投稿日:2016/11/01(Tue) 08:02
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マーチャン、お早うございます。

> 内子座

 いいところへいらっしゃいましたね。
 
 私も行きましたが、かなり以前で、それもツアー(^'^)
 ツアーでしたが、ゆっくり見ることができましたので満足。

 実は私が育った家の近くに大きな芝居小屋があったのです。
ですから、奈落までゆっくり見て回って比較したりして(^'^)
 私が育った町は石炭産業で大きくなっていたので、大きな劇場
が隣町にも一つ、そして少し離れた飯塚市にも一つ(この嘉穂劇
場は歴史的建造物に指定されて今も保存されています)。そんな
こんなでとても懐かしくて・・・。

 内子の町も歴史的町並みとして残されていて静かでよかったですね。

 ついでながら、私が参加したツアーでは、四万十川の夜の漁もあって、
網であがった魚を一匹二匹と薄暗い灯りに照らしながら説明して見せて
くれたり・・・

 いずれにしても、帰ってから「四国は空気が違う」と思えて、どうに
も忘れられないツアーだっので、つい一筆。失礼しました。

まや


[No.5024] Re: 伊予のいい町 9 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/01(Tue) 08:11
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まやさん
 
>  私も行きましたが、かなり以前で、それもツアー(^'^)
>  ツアーでしたが、ゆっくり見ることができましたので満足。

 本当にいいところでした。

>  実は私が育った家の近くに大きな芝居小屋があったのです。
> ですから、奈落までゆっくり見て回って比較したりして(^'^)
>  私が育った町は石炭産業で大きくなっていたので、大きな劇場
> が隣町にも一つ、そして少し離れた飯塚市にも一つ(この嘉穂劇
> 場は歴史的建造物に指定されて今も保存されています)。そんな
> こんなでとても懐かしくて・・・。

 私も、鉱山町で育ちましたが、会社が大きな「会館」を持っていまして
 そこで従業員慰安のため、浪花節から、お芝居、宝塚まで、
 いろいろなイベントを開催してくれました。
 テレビのない時代には、大切な娯楽だったのですね。

>  内子の町も歴史的町並みとして残されていて静かでよかったですね。

 そう思います。

>  ついでながら、私が参加したツアーでは、四万十川の夜の漁もあって、
> 網であがった魚を一匹二匹と薄暗い灯りに照らしながら説明して見せて
> くれたり・・・

 四万十川、私も行きたいです。


[No.5023] 伊予のいい町 10 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/01(Tue) 08:05
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 内子座 つづき

 奈落に降りてみました。暗くて階段が急なので、ゆっくりゆっくり慎重に降りました。
 なるほど、今は照明がありますからいいですが、昔、こんなところで仕事をしていた大道具の方なんかは怖かったでしょうね。通路も狭いですし。やはり「奈落」は「地獄」だったのでしょう。
 「セリ」なども当時は木製ですから、動かすのが大変だったでしょうね。
 二階にもあがってみました。こちらは桟敷でお座布団が置いてありました。(1階は現在、「椅子席」になっています)。
 
 資料室もあり、この小屋で使っていた、拍子木、下駄、人形などが飾ってありましたよ。
 受付の女性の方が、また出てきてくださって、いろいろ解説をしてくださいました。
 いわゆる「芝居小屋」は、現在も稼働しているものだけでも、全国に9軒あるそうです。
 このなかで一番古いのは、香川県琴平町の「金丸座」。天保6年の創設と言いますからハンパじゃありません。(「こんぴら歌舞伎」公演、みたいですねぇ」
 こういう「芝居小屋」は、組織化されていて、お互いに情報を交換しているそうです。(全国芝居小屋連絡協議会)
 なお「内子座」は、現在、年一回の文楽の公演を含め、年に60回は、使われているアクティブな施設だそうです。
 なかを見てお話を聞いて、町の皆さんが、この芝居小屋を愛し、大切にしている気持ちが伝わって来ました。
 この町の滞在時間は、僅か3時間です。しかし、実に充実した見物ができました。
 待っていただいていたタクシーで駅に着き、列車で10分ほどの「伊予大洲町」へ移動します。


[No.5027] 伊予のいい町 11 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/02(Wed) 08:09
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 伊予大洲へ

 大洲は、内子町より少し規模の大きい町です。もともと城下町で「伊予の小京都」と呼ばれています。
 「わたしの城下町」という感じでしょうか。誰もが心に描く「古い町」です。
 東京で生まれて「天領」の企業城下町で育った私でさえ、下を流れる川(鉱毒で汚れていましたが)の流れと、白壁の家(鉱山会社のエライさん用の社宅でした)の風景は、それなりの「わたしの城下町」です。
 この町も観光スポットは、町からかなり離れています。バスは2時間に一本くらいしかなく、また、タクシーのお世話になりました。タクシーは、7−8分で「まちの駅」というところへ連れて行ってくれました。
 ここには、観光センターもあり、町の地図なども頂けました。さっそく、そこからすぐ近い「おはなはん通り」へ行きました。
 伊予大洲が観光地として全国にその名を知られるもとになったのは、昭和41年にNHK朝の連続テレビ小説として放送された「おはなはん」のロケ地としてなのです。林 謙一さんの原作では徳島市なのですが、ロケは古い町並みの残っている大洲で行われました。幸い、大ヒットしたので、大洲としてはここをトコトン町の観光資源として活用している感じがあります。なにしろ「防災行政無線の時報も「おはなはん」のメロディーだそうですから。
 「おはなはん通り」は、城下町らしい趣味の良い作りになっています。
 といっても「あっ」という間に通り過ぎていく短い通りですが。

 さて、次は「おおず赤煉瓦館」へ行こうと思いました。町の見どころは比較的かたまっていますし、午前中という時間帯は歩いている人も少ないので、観光客同志の交流も生まれます。私の場合も、熟年のご夫婦の奥さんのほうから「あれっ。またお会いしましたね」と声をかけられました。
 「こんどは、どちらへ?」「赤煉瓦館です」「じゃ、ご一緒ですね」「ご一緒に歩いてみましょう」などと会話を交わしながら、歩きました。
 この方々も、なかなか精力的に歩き回られる方々らしく、今朝、レンタカーで、愛媛県西端の佐田岬までいってこられたとか。歩きながらおしゃべりをしていたら右折すべきところを通り越して町外れまで来てしまいました。私も一人のときは注意しながら歩くのに人さまとご一緒だと地図も見ないで安易に歩くのだな、とおかしくなりました。

 「どなたか、土地の方に、道を伺ってみましょう」―――と相談していたら向こうからオバサマが歩いてこられました。
 カミサマのお導きか、この方、大洲のことなら何でもご存知、そして大洲を心から愛しておられる方でした。
 単に「おおず赤煉瓦館」への行き方だけでなく「他に何処を見るべきか」「お昼お勧めスポットは」から「銘菓・しぐれ」の美味しいお店まで、多少の「独断と偏見」も交えながら熱心におしえてくださいました。(一人旅のいいところは、このように旅行者同志や、土地の方と「交流」が出来ることでしょうか)。


[No.5032] 伊予のいい町 12 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/03(Thu) 07:35
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 伊予大洲「臥龍山荘」

 レンタカーで親切なオバサマお勧めの食堂と「銘菓・しぐれ」の美味しいお店は行くことになった、お二人さんとは、赤煉瓦館の前でお別れしました。

 私のお昼は、赤煉瓦館の前の「油屋さん」で。
 建物も、なかなか立派でしたし、見晴らしのいいお店でした。「南予の鯛めし定食」をいただきました。1100円ですが、煮物や汁物もついていてお味も結構でした。
 しかし、しじみ汁とは別に、黒っぽいだし汁の中に卵の黄身が浮いているお椀があったのですが、このいただき方がわかりません。途中で気がいたのですが、御飯の上に鯛のお刺身を乗せて、その上に玉子と出汁をかけていただくーーーというのが正解のようでした。

 じつは、お料理の写真を撮ろうとカメラを出したのですが、小心者の私は、前の席の方からの強い視線を感じて大急ぎで引っ込めました。(どうやら東京からの熟年女性の団体だったようです。もちろん、彼女たちをカメラに収めるつもりは毛頭なかったのですが)
 
 さて、お腹もいっぱいになったところで「臥龍山荘」へ向かいます。といっても、油屋さんから4−5分のところです。
 臥龍山荘は「国の重要文化財」であり、ミシュランガイドブックの「一つ星」でもあります。
 ざっと降った雨も上がりました。
 大洲を流れる肱川のほとりにあって、しかも三千坪の敷地の中に、臥龍院・知止庵・不老庵の粋を凝らした建物があります。
 内子町にも木蝋で財を成した方がおられたわけですが、この町にも、同じような富豪、河内寅次郎さんという方がおられて、その方が構想10年、施工4年の歳月をかけて建設し、明治40年に完成したのです。
 ここにも、内子町の「内子座」同様、受付には「自分の仕事を愛してやまない」「臥龍山荘の良さを、なんとしてもお客さんに伝えたいという気持ちでいっぱい」の女性の方が待っておられました。そしてここでも、その時間帯の来館者は私一人でした。(事業主体は「大洲市」、入場料は500円です)
 「臥龍院は、撮影禁止ですけれど、お庭は、写真を撮っていただいていいですよ。どうぞ、ゆっくり見てくださいね。それから雨の後で滑りやすいところがありますから気をつけてくださいね。」といってくださいました。
 
 大工さんの仕事が冴えています。主屋の臥龍院には、お茶の千家御用達の職家「千家十職」と呼ばれる名工達も築造に携わっているとのことで、全体に、素人目にもその「奥深さ」と「遊び心」がわかる素晴らしい建物とお庭でした。しかし、この建築を仕切る「大工の棟梁」に抜擢された中野虎雄さんは当時30歳の若さ。こういう若手を抜擢した河内寅次郎さんもすごい、明治という時代もすごいな、と思いました。川に面している不老庵では、障子を開け放った廊下から川向うの景色を眺めることができました。
 もちろん、雨上がりのお庭は、それ以上に素晴らしかったです。「ああ、来てよかった」と思いました。


[No.5033] 伊予のいい町 13 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/04(Fri) 06:53
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 道後温泉へ

「伊予の旅」、締めは「道後温泉」です。
 大洲から「アンパンマン特急」で松山駅へ。伊予鉄(路面電車)で道後温泉駅へ行きました。
 この街の市内交通は、網の目のように張り巡らされた「伊予鉄」にまかせてあるようです。
 路面電車のゆっくりとしたテンポは伊予の人たちの「生活のテンポ」とあっているように感じました。まさに「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」の気分です。
 この路線は、お堀端、坂の上の雲ミュージアム、道後公園などの脇を通ってくれますので、車窓から市内を見物させていただくことができました。

 さて、ホテルに荷物を置くと、「松山市立子規記念博物館」へ急ぎました。ウェブに「受付は16時30分まで」とあったように記憶していたからです。
 正岡子規、1867年、松山市の生まれです。
 俳人であり、歌人であった、のぼさん(本名は昇)。35歳で脊椎カリエスのため逝去。
 10年間、辛い病床にありながら、母上と妹さんの、温かい家庭介護のもと、常に多くの友達が病床を取り囲んでくれていた、のぼさん。
 苦しい病に耐えているという悲壮感は感じられず、むしろ淡々と「見たものを見たように」詠んでおられたように感じられます。そして、そこには暖かさとユーモアが漂っている。このあたりは、やはり「伊予のお方ぞなもし」。
 恥ずかしながら、ワタクシメも、メロウ倶楽部の俳壇の隅で駄句を作っております「俳号・宇宙人」ということもあり、子規記念博物館にはなんとしても来たかったのです。
 そして、もう一つ。愛媛県出身の俳人は、実に多いのです。内藤鳴雪、高浜虚子、河東碧梧桐、松根東洋城、中村草田男、石田波郷、きっと、もっとおられることと思います。
 (序でながら「漫画家」には四国の方が多いのですが、特に愛媛県出身の方が多いみたいです)
 
 ここでも、受付の方が親切でした。その上、入場券のシニア割引があり、500円の半額の250円にして頂けました。何か申し訳ないみたいです。
 展示を見ての感想ですが、あの子規の背景として「明治という時代」と「伊予松山の風土」があったのですね。多くの仲間、サポーターがいてくれたこと。これも「幸い、周囲に仲間がいた」のではなく、子規の側に、多くの仲間を集める「何か」があったのだと思いました。
 子規大好き人間のわたしとしては、そういう子規への思いが、今度の旅と、この博物館の見学によって一層確かなものになったような気がしました。


[No.5034] 伊予のいい町 14 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/05(Sat) 06:21
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 道後温泉

 博物館の帰路、道後温泉街を歩いてみました。
 もう、感動しました。「道後温泉街」そのものが、一つの「テーマパーク」になっているのです。
 旅館街と、アーケード商店街がメインなのですが、この商店街では、表から見えるところへは、「風俗営業っぽい店はない」のです。また、SだのDというチェーンのコーヒーショップはなく、MだのKというチェーン・レストランも見かけませんでした。地元の産品を売っているお店が多かったのです。ただしローソンはあります。私も「伊予木綿」の服を買いました。あっそれから、さつま芋の「芋けんぴ」も。
 それと「シャッターを締めた商店」が目につかなかったのにも感動しました。
 もう一つ、お客さんの中に「家族連れ」「若い人」「外国の方」が多かったのです。
 そういう方が、宿屋さんの浴衣を着て買い物を楽しんでいる、昔ながらの温泉街の風景がよかったです。

 じっさい、立派なアーケードがあっても、どこの町にもあるチェーン店ばかりだと、折角よその町を見物しにきた意味がなくなり、がっかりします。また、自分も「年寄り」の分際でこんなことをいうと叱られそうですが「ドコソコ老人クラブ御一行様」ばかりでは淋しいです。
 その点、ここは立派です。
 アーケードの外では和風旅館の佇まいがいいです。また「坊っちゃんカラクリ時計」も楽しいぞなもし。その他の風物も「温泉と俳句のまち」というコンセプトで統一されているような気がしました。


[No.5035] 伊予のいい町 15 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/06(Sun) 06:38
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 道後の温泉場で洋式ホテルぞなもし

 なぜ、そういうことになったのか?
 温泉地では和風旅館が主流でしょう。ところが和風旅館は原則「一人旅」の人は泊めません。これは日本中共通です。二倍三倍のお金を払っても泊めてもらえません。だから、洋風ホテルということにならざるを得ません。最近、独居の人が増えた。そうでなくても介護などのため二人で家を空けられないことも多いのに。残念です。だから、一人旅の人間は温泉地に泊まる機会があまりないのです。
 それが今回、ダメモトで「楽天」で探してみたら「道後山の手ホテル」で、一人旅も受け入れてくださることがわかったのです。しかも、フルコースのフレンチ・ディナーと、「豪華朝食」つきで、料金は、19000円です。しかも、朝食もバイキングスタイルなんかじゃない一皿ずつサービスしてくれるのであります。
 温泉大浴場もあります。お部屋はツイン・ルームのシングルユースでした。これも豪華でした。

 フルコースディナー、食器なども本格的でした。完食しました。美味しかったです。
 この日は朝6時から、歩き通しでしょう。25,000歩くらい歩きました。だからお腹も空くのです。
 それにしても、なぜ、こんなところに「洋式ホテル」があるのでしょうか。
 その昔、宮大工だった川崎吉太郎氏。明治18年、道後温泉本館東側にあった住まいと近くの土地を買い足した場所を使って、一軒の旅館を開業させました。 この「川吉旅館」は、温泉そばの  保養旅館として親しまれ、画家や文人らも宿泊したそうです。
 戦後も、宿帳には、岸首相をはじめ政界の大物が名を連ねていたそうです。
 それが、あなた、つい最近「英国スタイル」のホテルに変身しちゃったのです。
 その理由については、ホテルの公式サイトには書いてありません。しかし、たしかに「至れり尽くせりのサービス」は、洋風のホテルになっても変わっていません。
 私としては「大満足」でした。
 
 ああ、一日で10日分くらいの経験をした日でした。


[No.5036] 伊予のいい町 16  (最終回) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/07(Mon) 20:28
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 旅の終わりは「坊っちゃん列車で」

 松山の駅で「坊っちゃん列車切符売り場」の看板を見ました。
 えっ。こんなのがあるんだ。これは何としても乗らなきゃ。そうだ、翌日、JR松山駅に行くときにこれに乗ろう、と決めました。
 ところが、お立ち会い、そんな簡単なものではなかったのでした。
 なにしろ、30人も乗ればいっぱいになる「マッチ箱」のような列車でしょ。これが一日6本。
 ですから、予約制となっているのです。でも、その時点で一応予約がとれました。28番です。
 「すみませんが、番号順に乗っていただきますので、28番ですと立ち席になります」と言われましたが、せいぜい、5分の旅です。それは我慢できます。
 
 創業、明治18年。夏目漱石さんのころから走っていたのですね。ただし1962年ごろSLは時代の波に押されて一度、引退しました。
 復活したのは、15年前だそうです。ただし、まさか街の中心地に「シュッシュッポッポッ」を走らせる訳にはいかないので、いまはジーゼル車です。そして、煙を出す代わりに人畜無害な『水蒸気』を出して『プォーッ』といっているのです。
 でも当時、これがあったからこそ、街の中心から少し外れた道後温泉へ、大勢のお客さんが来られたのかもしれません。しかし、街のメインストリートをもくもくと煙を吐きながらSLが走る姿を想像すると、おかしいですね。
 「坊っちゃん列車」と名乗っていますが、漱石さんは、やれ「マッチ箱のような汽車だ」とか、ケチばかりつけていたのです。松山のことをバカにしていたのです。ケシカラン!
 (でも私、漱石さん、本当は松山が好きだったのではないかと思います。でも「屈折した江戸っ子」らしく、一ひねりした表現にしたのかもしれませんね)
 小説には「ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である」とありますが、私の乗った日は、切符は500円でした。これまた面白いのですが、この運賃、翌日の10月1日から、大幅値上げで、800円となったのです。値上げ前料金最後の日だったのですね。
 
 「はーい、28番さん、どうぞ」と言われて乗ったとき、座席は、愛媛県のどこかの老人会の団体さんで塞がっていました。しかし、リーダーの方が「せっかく遠いところからお見えじゃけ、座ってもらい」とおっしゃって席を譲ってくださいました。
 僅か、5分ですが、車掌さんは、名調子でガイドをしてくれました。また、JR松山駅へ行きたい私を乗り換え駅で、普通の電車へ案内してくださり、荷物も運んでくださいました。伊予の旅・最後の「おもてなし」でした。
 たった2日でしたが、とにかく、楽しい忘れられない旅でした。お読み頂きありがとうございました。
 追記・たしかに駅の売店で「お遍路さんの白衣など」を売っていました。


[No.5051] Re: いよいよ伊予へ行くことに 1 投稿者:くるくる  投稿日:2016/11/14(Mon) 09:20
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マーチャン

あの説は勉強会有難うございました。
有意義な勉強会に一同喜びました。


>  博多・天神の長距離バスターミナルは西鉄ビル4階にあります。エレベーターもエスカレータもなく、スーツケースを引きずって階段をあがるのはシンドイのですが、地下鉄駅からそのまま行かれるので、こういう豪雨


天神バスターミナルは エスカレーターもエレベーターもあります。

ご案内できなかった事をお詫び致します。

特にあの日は豪雨でタイヘンで申し訳なかったです。

でも マーチャンは きっと 「良いですよ〜!」
仰ってくださることでしょう


[No.5055] Re: いよいよ伊予へ行くことに 1 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/15(Tue) 12:02
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くるくるさん

 わあ、レスありがとうございます。

> 天神バスターミナルは エスカレーターもエレベーターもあります。
>
> ご案内できなかった事をお詫び致します。

 とんでもない。薫子さんが、天神まで行ってくださるとおっしゃったのをお断りしたのです。

 (年寄りを過保護にしてはならぬと自ら考えまして)
>
> 特にあの日は豪雨でタイヘンで申し訳なかったです。

 はーい。小倉には大雨警報が出ていました。

> でも マーチャンは きっと 「良いですよ〜!」
> 仰ってくださることでしょう

 はーい。ご想像のとおりです。