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 昭和の部屋   2014.8.19更新

   平成も四半世紀を過ごしました、懐かしきは昭和の時代です
 輝かしい青春時代 バリバリの仕事人間だった時。
 国の内外を問わず企業出向の経験もおありですか?
 お話し下さい・・・貴方の昭和
 ※ ご投稿は「メロウ伝承館」へ転載させていただくことがあります


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  • [No.3104] スキャンディスク/デフラグ 投稿者:Pan  投稿日:2016/09/29(Thu) 20:39
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    みなさん、こんばんは。

     昔はパソコンというと「スキャンディスク」や「デフラグ」を屡々やっていた事を
    思い出します。
     
     私にとっては大変な精神的負担でいた。

     いつの間にかすっかり死語になったような気がしますが、その処理は程度の
    違いはあっても、今でも必要な気がします。

     ハードディスクの信頼性が大幅に上がったのか、自動的にそのような操作が
    行われるようになったのかどちらでしょう?

     多分その両方だとは思いますが、どうなんでしょう?


       ***** Pan *****

     


    [No.3103] Re: 国民病「結核」 投稿者:Pan  投稿日:2016/09/29(Thu) 20:26
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    ザックスさん、七君さん、まやさん、みなさん こんばんは。

    >>  堀辰雄の代表作『風立ちぬ』等の文学作品は、結核が無かった
    >> ら代に出なかったですね。(^^)
    >
    >本当に。ロマンティックな病気でもありましたね。

     「不如帰」の浪子さんと言い、文学上では死病の割にはロマンチックでしたね。(^-^)

     幕末の闘士やその後の文士も結核死亡者もヤケに多い気がします。
     今のガンに劣らない死病だったと思うのですが。

    >>  私も中学生2年生だった戦後すぐに微熱の続いた時、肺浸潤と
    >> 診断されて、休学しました。
    >
    >よく結核と言う言葉を嫌って初感染とも言いましたね。

     そんな呼び方もあましたか? 当時もレントゲン写真はありましたね。

    >>  そのお陰で、この歳になっても生きています。
    >
    >私もその口です。でも休学のお蔭で友達が増え、彫刻家や絵描きや音楽好きの
    >友達が増え、自分の中身が豊かになりました。

     休学直ぐから退屈で、最初の半月ほどは寝て過ごしましたが、週一回国鉄に乗
    って隣町の病院へ通う時も無蓋貨車に乗って、走っている間に隣の貨車に乗り移
    ったり、機関車の前の連結器に乗ったり。

     そう言えば、当時の国鉄は大変で、客車にはデッキの取っ手に片手で掴まるだ
    けでも大変でした。 田舎では短距離客には貨物列車に積極的に乗せていました。

     母方の里が養鶏、養蚕、山羊から通常の農家まで実地に体験したので、一通り
    の事は覚えました。

     それが後の健康に役だったようです。 その一年に身長も10センチ近く伸び
    たような感じです。

     結果的に逆療法だったのでしょうか?

     今思えば、病気になっていなければ、そのまま順調?に虚弱児のままで過ごし
    ていたような気がします。(^-^)

       ***** Pan *****


    [No.3101] Re: 国民病「結核」 投稿者:七君  投稿日:2016/09/29(Thu) 14:04
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    Panさん、みなさん こんにちは

    >  明治時代から昭和の中頃に掛けて、日本人の国民病でした。
    >
    >  学校や職場では、毎年ツベルクリン反応やレントゲン写真を撮
    > られ、就職してからは、会社で私の友人が結核と診断され、強制
    > 的に休暇が与えられて、郊外の静かな療養所で治療していました。
    >
    >  堀辰雄の代表作『風立ちぬ』等の文学作品は、結核が無かった
    > ら代に出なかったですね。(^^)
    >
    >  私も中学生2年生だった戦後すぐに微熱の続いた時、肺浸潤と
    > 診断されて、休学しました。

    そうだったのですか。大変だったですね。

    私も、戦後、何度か寝込みましたから、旧制高校を4年、旧制大学を5年やりました。
    妹は、小学校高学年で発病し、大分寝ていました。
    戦中でしたが、患者に卵の配給があり、切符?を貰って、何度か、西賀茂の養鶏所へ
    直接買いに行きましたっけ。
    結婚もし、子供も出来ましたが、晩年、腎臓が悪くなり透析までしましたが、
    86才近くまで生きました。

    >  当時の感覚では死を宣告されたに近かったので、母が心配して
    > 栄養を採らねばならないと、無理をして炒り子を大きな袋に一杯、
    > 闇で買ってくれ、私だけが1日2匹程度を火に炙って食べた時期
    > がありました。
    >
    >  そのお陰で、この歳になっても生きています。

    良かったですね。私も、戦中戦後のひもじかったのが体力をつけたのかな?と
    思う位です。


    [No.3100] Re: 兎狩り:飼育 投稿者:Pan  投稿日:2016/09/29(Thu) 11:22
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    まやさん、ザックスさん、みなさん こんにちは。

    >  その後、学生時代に離れを借りたお宅でもウサギを飼っていましたが、
    > これは白兎で完全に食用だということでした(何しろ食糧難時代のことで
    > したから。)そのお宅でも居室に放し飼いにしてペットのようにしていた
    > 一羽だけは食べられなかったということでした。

     そう言えばめぐみさんが可愛い兎を飼っていらっしゃった事があり
    ましたね。(^-^)

     今もいるのでしょうか?

     手で両目を暫く隠してから静かに離すと、そのまま眠っていたよう
    思います。

     可愛いのでとても食べる気にはなりませんね。

     しかし、意外と大きくなるし、餌も大量に食べるので、鶏のように
    購入してきた餌で飼えないので持て余すようになります。

     その上、大量の糞尿をするので、その始末にも手を焼きました。


       ***** Pan *****


    [No.3099] Re: 国民病「結核」: 滋養 投稿者:Pan  投稿日:2016/09/29(Thu) 11:12
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    まやさん、ザックスさん、みなさん こんにちは。

    > そうですか。私は問題にされませんでしたが、兄(昭和2年生)は中学
    >校時代に微熱が続いて寝汗をかいていたので、父は肋膜炎を疑ったようで
    >す。(病院に行ったのかな?)

     似たような病気ですね。 今でも無視できないそうです。

    > 我が家では煮干しの頭と腸を除去して炒り、焙った青のりや炒りゴマを混
    >ぜてふりかけを作っていましたから、そのときの「炒り子」も「ふりかけ」
    >になったのかも? もう戦前のはるか遠い記憶です。

     頭から全部食べましたよ。(^-^)

     全てが滋養でしたから。  最近「滋養」と言う言葉を聞きませんね。(-_^)
     良い単語なのですが。


       ***** Pan *****


    [No.3098] Re: チッキ 投稿者:ザックス  投稿日:2016/09/29(Thu) 09:20
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    皆さん、RES有難うございました。

    > 昔、この言葉使いましたが、今は死語?

    制度が亡くなったんですね。チェックがチッキとは。


    [No.3097] Re: 国民病「結核」 投稿者:ザックス  投稿日:2016/09/29(Thu) 09:14
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    みなさん、こんにちは。

    >  明治時代から昭和の中頃に掛けて、日本人の国民病でした。

    >  堀辰雄の代表作『風立ちぬ』等の文学作品は、結核が無かった
    > ら代に出なかったですね。(^^)

    本当に。ロマンティックな病気でもありましたね。

    >  私も中学生2年生だった戦後すぐに微熱の続いた時、肺浸潤と
    > 診断されて、休学しました。

    よく結核と言う言葉を嫌って初感染とも言いましたね。

    >  そのお陰で、この歳になっても生きています。

    私もその口です。でも休学のお蔭で友達が増え、彫刻家や絵描きや音楽好きの
    友達が増え、自分の中身が豊かになりました。


    [No.3096] Re: 国民病「結核」 投稿者:まや  投稿日:2016/09/29(Thu) 09:08
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    Panさん、お早うございます。

    >  明治時代から昭和の中頃に掛けて、日本人の国民病でした。
    >
    >  学校や職場では、毎年ツベルクリン反応やレントゲン写真を撮
    > られ、就職してからは、会社で私の友人が結核と診断され、強制
    > 的に休暇が与えられて、郊外の静かな療養所で治療していました。

     そのようですね。私が大学卒業してほどなく働いたことのある病院にも、
    若い人が大勢、結核患者として入院していらっしゃいました。

    >  私も中学生2年生だった戦後すぐに微熱の続いた時、肺浸潤と
    > 診断されて、休学しました。

     そうですか。私は問題にされませんでしたが、兄(昭和2年生)は中学
    校時代に微熱が続いて寝汗をかいていたので、父は肋膜炎を疑ったようで
    す。(病院に行ったのかな?)

    「炒り子」と言えば、食糧難の時代に父が唐津まで出かけていき、遠縁の親
    戚から、「炒り子」を一袋分けてもらって持って帰ったことがあります。そ
    の煮干しは特別の味だったような?
     我が家では煮干しの頭と腸を除去して炒り、焙った青のりや炒りゴマを混
    ぜてふりかけを作っていましたから、そのときの「炒り子」も「ふりかけ」
    になったのかも? もう戦前のはるか遠い記憶です。

    まや


    [No.3095] 国民病「結核」 投稿者:Pan  投稿日:2016/09/28(Wed) 21:26
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    みなさん、こんばんは。

     明治時代から昭和の中頃に掛けて、日本人の国民病でした。

     学校や職場では、毎年ツベルクリン反応やレントゲン写真を撮
    られ、就職してからは、会社で私の友人が結核と診断され、強制
    的に休暇が与えられて、郊外の静かな療養所で治療していました。

     堀辰雄の代表作『風立ちぬ』等の文学作品は、結核が無かった
    ら代に出なかったですね。(^^)

     私も中学生2年生だった戦後すぐに微熱の続いた時、肺浸潤と
    診断されて、休学しました。

     当時の感覚では死を宣告されたに近かったので、母が心配して
    栄養を採らねばならないと、無理をして炒り子を大きな袋に一杯、
    闇で買ってくれ、私だけが1日2匹程度を火に炙って食べた時期
    がありました。

     そのお陰で、この歳になっても生きています。

      ***** Pan *****


    [No.3094] Re: チッキ 投稿者:まや  投稿日:2016/09/28(Wed) 02:02
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    Panさん、ザックスさん、男爵さん、みなさん 今晩は!

    >  子供の頃は毎学期後の休暇期間は田舎へ帰っていましたから、菱形に紐
    > を掛けた、大きな行李詰めの荷物が往復毎にありました。
    >
    >  駅まで自転車かリヤカーで受け取りに行くのが私の役目でしたから良く
    > 覚えています。
    >
    >  自分たちの乗ってくるのと同じ列車の貨客車で着くこともありましたね。
    >  一切符当たり一個まで無料だったとは気前が良いです。(^-^)

     私も学生時代は大いにチッキのお世話になりました。「菱形に紐を掛けた
    大きな行李」なんて現代人には判らないと思います(^_-)-☆ チッキは乗車
    券一枚に一個を送れて、大体において、本人と同便で到着することになって
    いたように思います。そして頼んでおけば「日通」のトラックで家まで届け
    てくれたと思いますが、その分の運賃をとったかどうか記憶にありません。

    まや


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