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 昭和の部屋   2014.8.19更新

   平成も四半世紀を過ごしました、懐かしきは昭和の時代です
 輝かしい青春時代 バリバリの仕事人間だった時。
 国の内外を問わず企業出向の経験もおありですか?
 お話し下さい・・・貴方の昭和
 ※ ご投稿は「メロウ伝承館」へ転載させていただくことがあります


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  • [No.2483] 防虫剤/タンスにゴン 投稿者:男爵  投稿日:2015/08/14(Fri) 10:26
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    画像サイズ: 799×504 (46kB)
    夏休みの昆虫採集

    新学期に標本箱を持ってくる子供は少なくなったようです。

    トンボや蝶やカブトムシの標本が虫に食われると
    バラバラになって無残な姿となります。

    この悪い虫はカツオブシムシで、絹やウールの衣類が食われるから、服の天敵です。

    それで
    昔から 樟脳 ナフタリン パラジクロルベンゼンなどが使われます。
    これらは臭いがあります。 この臭いが虫除けとなっています。

    そして、注意すべきことは
     樟脳とナフタリンを一緒に使うと効果がなくなります。
     樟脳とパラジクロルベンゼンを一緒に使っても効果がなくなります。
     パラジクロルベンゼンとナフタリンの組み合わせもダメです。

    去年タンスに入れたのが樟脳で、
    それがすっかりなくなってからナフタリンを入れるならいいのですが
    樟脳が残っているのにナフタリンを入れるのは、よくないわけです。

    ところが
    無臭のピレスロイド類は、これらの臭いのある樟脳、ナフタリン、パラジクロルベンゼンなどと一緒でも使えます。

       生活用品の化学が一番わかる、技術評論社
    http://gihyo.jp/book/2015/978-4-7741-7216-3


    無臭のピレスロイド類は、臭いのある防虫剤(樟脳、ナフタリン、パラジクロルベンゼンなど)と一緒でも使えるということは
    ここにも書いてありました。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%99%A4%E8%99%AB%E8%8F%8A


    [No.2482] Re: 裁縫こて 投稿者:まや  投稿日:2015/08/13(Thu) 11:35
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    めぐみさん、今日は!

    > その火熨斗コテも何処かにあったよなぁ〜って事で探しましたが、家の改築時判らなくなったみたいです、 その代わり電気の裁縫コテなる物が出てきました。
    > 多分昭和40年代のかなぁ〜!(^^)!。これの原型が火熨斗コテでしたよね。

     裁縫コテなんて懐かしい、と思っていたら私のところにもありました\(~o~)/
     両親の家をたたむとき母が和裁をするので処分せずにいたのが、そのまま私の手元
    に残っていました。和裁用の小さなアイロンです。

    まや


    [No.2481] Re: スイカ/パック 投稿者:めぐみ  投稿日:2015/08/12(Wed) 15:43
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    画像サイズ: 449×640 (89kB)
    みなさん、こんにちは。

    時遅れでの書き込みです、私の地方では昔から縦に4分割してそれを小さく5-6切れにしてます、今でも多くがそんな感じですけどね、この頃はイロイロあるみたいっすね。
    現在では核家族化が進み大きなスイカの消費が落ちてる様です。

    先程大きいのを切ってみました、本来の切り方にしてみました。

    食べた皮及び屑はコンポストに直行で有機質の堆肥になります。田舎ですからねどんな方法でも可能です。

    8/12撮影


    [No.2480] 少年倶楽部/漫画少年/手塚治虫/タモリ 投稿者:男爵  投稿日:2015/08/12(Wed) 13:48
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    さんらく亭さん

    少年倶楽部→加藤謙一→漫画少年→手塚治虫→トキワ荘→赤塚不二夫→タモリ

    > >  高垣眸、「豹の眼」
    > >  佐藤紅緑、「あゝ玉杯に花うけて」
    > >  山中峯太郎、「敵中横断三百里」
    > >  南洋一郎、「吼える密林」

    > これらの名前を見ただけでゾクッとします(^^)

    > 高垣眸といえば「怪傑黒頭巾」もありました。
    > 山中峯太郎といえば樺島勝一の見事な挿絵に胸をときめかしました。
    > 我が家は貧乏で少年倶楽部を購読できなかいので友達の読み古しを借りて貪るように読んだものでした。

    柏原少年の少年倶楽部は、富山の子どもたちにとっても宝物で
    そのときだけいじめられなかったそうです。

    少年倶楽部の編集長だった加藤謙一は
    同郷の佐藤紅緑を説得して「ああ玉杯に花受けて」の連載にこぎ着けたり
    田河水泡の「のらくろ」や島田啓三の「冒険ダン吉」といった人気漫画を掲載したのですが
     その人気が仇となって
    戦後に公職追放されて講談社を退職し
    家族を養うため
    妻を社長にたて出版社「学童社」を設立し、『漫画少年』を創刊するわけです。

    この漫画少年で、手塚治虫のジャングル大帝が人気となり
    手塚治虫のいたトキワ荘に、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫たち(漫画少年投稿常連者)が集まり
    日本の漫画家たちの漫画の歴史が始まるわけです。

    赤塚不二夫が新宿の飲み屋でスカウトしたのがタモリで、そういうことからすれば
    少年倶楽部の編集長だった加藤謙一からタモリまで、人の繋がりを感じるのでした。


    [No.2479] Re: 裁縫こて 投稿者:めぐみ  投稿日:2015/08/12(Wed) 10:58
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    画像サイズ: 320×640 (96kB)
    夏子さん、 Pan さん、こんにちは(^o^)/

    その火熨斗コテも何処かにあったよなぁ〜って事で探しましたが、家の改築時判らなくなったみたいです、 その代わり電気の裁縫コテなる物が出てきました。
    多分昭和40年代のかなぁ〜!(^^)!。これの原型が火熨斗コテでしたよね。


    > その頃、実家のは、たしか、七輪か火鉢の炭火の中にコテを突っ込んでいました(^^ゞ
    > だから、紙(もしかして新聞紙を折って利用していたかな??)にのせて、温度を
    > 調節していたことを覚えているのです。
    >
    > 民具の博物館を見るのは大好きです。懐かしいものがいろいろあって・・・

    定かではないけど家のお袋が七輪や囲炉裏の淵で雑巾や濡れ手ぬぐいで使ってたような、記憶ありです。

    > 廃校か、廃校でなくても、空室を民具の展示に使っている学校もありますね。
    >
    > うーん、また行きたくなってきた・・・・
    > 夏子


    [No.2478] お宝? 投稿者:めぐみ  投稿日:2015/08/12(Wed) 10:45
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    画像サイズ: 445×640 (90kB)
    こんにちは。

    炭火裁縫鏝が在ったことを思い出し探してると多分昭和10年ごろのカメラが出てきました。検索すると下記サイトと同じカメラの様です。

    http://ranzosha.web.fc2.com/d005semilyra.html

    まぁ〜我が家のは痛んでますが古い事は確かです、私がこのカメラで昭和36年ごろ撮った東京タワーの写真も出てきました。年代に多少のズレはあるかな?

    8/12撮影 


    [No.2477] Re: 出てこい、ニミッツ、マッカーサー 投稿者:さんらく亭  投稿日:2015/08/12(Wed) 10:43
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    男爵さん

    > やっぱり。
    >
    > 柏原少年が東京から持ってきた少年倶楽部は
    > 富山の田舎でも人気があったそうです。
    >  高垣眸、「豹の眼」
    >  佐藤紅緑、「あゝ玉杯に花うけて」
    >  山中峯太郎、「敵中横断三百里」
    >  南洋一郎、「吼える密林」

    これらの名前を見ただけでゾクッとします(^^)

    高垣眸といえば「怪傑黒頭巾」もありました。
    山中峯太郎といえば樺島勝一の見事な挿絵に胸をときめかしました。
    我が家は貧乏で少年倶楽部を購読できなかいので友達の読み古しを借りて貪るように読んだものでした。
    他には講談社の少年講談で「真田十勇士」「後藤又兵衛」「猿飛佐助」など。。。

           さんらく亭@甲子園


    [No.2476] Re: 出てこい、ニミッツ、マッカーサー 投稿者:夏子  投稿日:2015/08/12(Wed) 10:20
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    男爵さん、さんらく亭さん、こんにちは(^o^)/

    > 出てこい、ニミッツ、マッカーサー 出てくりゃ地獄へ 逆落とし
    >
    > 「比島決戦の歌」(一九四四年三月、作詞・西條八十、作曲・古関裕而) です。
    > https://www.youtube.com/watch?v=oERBTPp0yj8
    >
    > 私は、この歌は知りません。

    私も知りません(^^ゞ
    最近、徹子さんのエッセイ集を読んだのですが、その中に、これに関係のある
    エッセイが載っていました。

    それは、占領後、マッカーサーが昼食のために、毎日、わずか6秒だけ日比谷の
    GHQから姿を現すのですが、それを見たいと、日本人が黒山の人だかりになる、
    というフィルムをご覧になって驚かれたとの話でした。

    何かをもらいたくて集まるのではなく、ただ実物を一目でも見たい、という好奇心
    を持つ日本人が多かったのでしょう。徹子さんは、この日本人の好奇心の強さと
    そこから生まれるものを考えたい、というのが趣旨なのですが、私は、この
    「比島決戦の歌」のお話を読んで、この歌を多くの人が知っているというのは
    それだけマッカーサーは有名人だったということだろうと思いました。

    徹子さんは、例えば、ヨン様のようなハンサムな有名人を見たい、という気持ちでは
    ない好奇心だろう、と書かれていますが、私はやっぱり有名人だから見たかったの
    だろうと思いますねヽ(^o^)丿

    ハンサムかどうかは知りませんが、体格が良くて、白人で、いつもコーンパイプと
    言いましたかあのパイプをくわえていて、何より、日本を最強の権力で動かしている、
    これは、たしかにナマで見られるものなら見てみたいですよね(^o^)/
    夏子


    [No.2475] Re: 炭火アイロン 投稿者:夏子  投稿日:2015/08/12(Wed) 09:51
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    Pan さん、こんにちは(^o^)/

    > > 火熨斗アイロンでも、フタはありましたよ。フタがなかったら、熱くて、アイロンは
    > > 掛けられなかったんじゃないかな(^^ゞ
    >
    >  火熨斗アイロンと言う物は知りませんが「ひのし(火熨斗)」の事
    > です。
    >  水を撒く杓に似た形で、木の柄が付いていますから火の上には手を
    > 近付けません

    イヤー、そうだったんですか。さっそくググってみましたが、Pan さんのおっしゃる
    通りでした(^^ゞ

    しかし、このひしゃく型の火熨斗というのは、全然見たことがありません。
    大正末期頃まで使われていた、という説明があるのもありましたので、我が家には
    残っていなかったのでしょう。で、言葉だけは継続していたと(^^ゞ

    真上の柄を握ってアイロンをかけるのより、力の使い方が、ちょっと難しそうですね。
    底面は、滑りよくするために、水平ではなく、丸みを帯びていたとのこと。

    > > 今は、パッチワーク用なんかに使う、電気コテが、たぶん、市販されていると思う。
    >
    >  電気式だったらサーモスタットが付いていますから、夏でも冬でも
    > 殆ど同じ温度に保てると思います。
    >
    >  電気式は、炭火式と比べてそれが一番大きな特徴ですね。

    今から50年以上前に、親戚のおばさんが電気式のコテを使っていた記憶が
    ありますので、古くからある電気製品のようではありますね。

    その頃、実家のは、たしか、七輪か火鉢の炭火の中にコテを突っ込んでいました(^^ゞ
    だから、紙(もしかして新聞紙を折って利用していたかな??)にのせて、温度を
    調節していたことを覚えているのです。

    民具の博物館を見るのは大好きです。懐かしいものがいろいろあって・・・
    廃校か、廃校でなくても、空室を民具の展示に使っている学校もありますね。

    うーん、また行きたくなってきた・・・・
    夏子


    [No.2474] Re: 出てこい、ニミッツ、マッカーサー 投稿者:男爵  投稿日:2015/08/12(Wed) 04:59
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    さんらく亭さん

    > わたしは柏原兵三よりちょうど1才上です。私も同じような体験をしました。
    > ニミッツやマッカーサーなど米軍の将軍の名前が出て来たのは戦況の雲行きが怪しくなった昭和18年ごろからで、開戦当初の17年ごろはルーズベルトやチャーチルという米英のトップ政治家の藁人形を作って木刀で殴りつけるのをやらされました。

    やっぱり。

    柏原少年が東京から持ってきた少年倶楽部は
    富山の田舎でも人気があったそうです。
     高垣眸、「豹の眼」
     佐藤紅緑、「あゝ玉杯に花うけて」
     山中峯太郎、「敵中横断三百里」
     南洋一郎、「吼える密林」


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