地震などの天災を語る 
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[No.131] プロの誇り 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/21(Tue) 17:43
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津波に向かい、命捧げた駐在さん

東日本大震災による警察官の死者・行方不明者は宮城県で13人、岩手県で11人、福島県で5人、東北管区警察局で1人の計30人(5月11日現在)が確認されている。

その多くは、住民から親しまれ被災者らの命を守るため自らの危険を顧みずに飛び出し犠牲となった。

「大谷駐在所史上、最高の駐在さん」
宮城県警気仙沼署大谷駐在所の千田浩二巡査部長(30)の地域での評判だ。

平成22年11月、神社の行事で警備についていたとき、お清めして海に入る住民に交じって自らも海に入った。地域の人たちにとっても、予期せぬ行動だった。

大谷に来て始めた釣りに没頭し「老後は大谷に家を買って住みたい」と笑顔で話していたという。

地震発生直後、千田さんは海岸近くに人がいるのを発見した。
ためらうことなくパトカーを走らせた。
「海岸に行く」窓越しに同僚にジェスチャーで伝えたのが最後の姿になった。

千田さんの同僚はパトロールの途中、海から巨大な津波が押し寄せてくるのに気づき
高台の方向に逃げたが、千田さんのパトカーがのまれ、海に流されていくのが目に映った。

22年4月、一緒に駐在所へ居を移した妻(30)と長女(4)と長男(3)は無事だったが、大津波で駐在所の半分がえぐりとられるように損壊した。


宮城県警岩沼署生活安全課の早坂秀文警部補(55)も地震の日、同僚数人と一時
約1200人が孤立した仙台空港近くの沿岸部へ避難誘導に向かい、音信不通となった。

遺体が発見されたのは、3日後の14日午後4時ごろ。海岸から1キロほど離れた民家の敷地内に倒れていた。
ほかの同僚と、乗っていた車両はまだ見つかっていない。

2人の孫のおじいちゃんでもあった。仙台市内の自宅の隣に30平方メートルほどの土地を買って小さな公園を作った。
その芝生で、表情を崩して小学生の孫とキャッチボールに興じるのを、近所の人はよく見ていた。


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