[No.150]
Re: 人が死ぬということ
投稿者:男爵
投稿日:2013/05/24(Fri) 09:05
[関連記事] |
画像サイズ: 800×540 (96kB)> > > > 産経新聞社:がれきの中で本当にあったこと わが子と語る東日本大震災 (平成23年6月)
学校も、子どもたちも消えた
石巻市立大川小学校の津波悲劇は他の部屋でも紹介したが
ここで改めてとりあげます。
教科書や鍵盤ハーモニカ、絵、写真などが散乱した校舎。
そこにはがれきをかき分け、児童たちの遺留品を見つけて涙する親の姿があった。
北上川の河口にある宮城県石巻市立大川小学校は、地震で校庭に大半の生徒と教職員が避難していたところを津波にのみこまれた。
全校児童108人のうち、生存が確認されたのはわずか34人。教員も12人のうち10人が死亡、または行方不明になっている。、
大川小学校は海抜ほぼ0メートルの北上川のほとりに立つ。
学校にいて生還した教員は教務主任の男性1人。石巻市教育委員会が聞き取りを行ったこの教諭や関係者の証言から当時の状況が明らかになりつつある。
大きな揺れが襲ったのは、5時間目を終えたときだった。子どもたちは机の下にもぐり、校庭への避難が指示された。
泣き出す子どももいたが、女性教諭らが付き添った。
学校側に自宅があり、2人の孫を亡くしたAさんは「校庭に子どもたちが整列しているのが見えた。ヘルメットをかぶっている子もいた」。
校庭には、離れた地域の児童を送るためのスクールバスが止まっていた。
「今、校庭に並んだ子どもの点呼を取っているところで、学校の指示待ちです」男性運転手は運営会社に無線で連絡した。
これが最後の通信となり、男性運転手も津波で死亡した。
会社側は「詰め込めば児童全員を乗せられただろう」としている。
市教育委員会は「津波の際、どこに避難するか特に決められていなかった」という。
男性教諭は校舎内の確認に向かった。ガラスが散らばり、児童が入れる状況ではなかった。
校庭に戻ると、子どもたちは他の教諭に誘導され、裏山脇の細い農道を列を組んで歩き出していた。
坂道を行くと校庭より7〜8メートル高い新北上大橋のたもとに出る。教諭は列の最後尾についた。
「ドンという地鳴りがあり、何がなんだか分からないうちに列の前から波がきた。逃げなきゃと思った」
気づくと、裏山を登ろうとする児童が見えた。生い茂る杉で周囲は暗いが、ゴーという音で足元まで水が迫っているのが分かった。
「上に行け。上へ。死にものぐるいで上に行け!」と叫んでいた。追いつくと3年の児童だった。
くぼ地で震えながら身を寄せ合ったが、お互いにずぶぬれだった。
「このままでは寒くて危ない」と男児の手を引き、山を越えた。
車のライトが見えた。助けられた。
被害を免れた大半は津波が来る前に車で親が連れ帰った子どもだった。
しかし、他の児童とともに農道を歩きながら助かった5年の男児も2人にいる。
津波で1年の長女と4年の次男を亡くした男性がいる。
「あの日、本当に何があったのか、知りたい」
震災当時、休暇をとって学校を不在にして助かった柏葉照幸校長(57)も捜索を続ける。
男性は裏山を指して柏葉校長に疑問をぶつけた。
「ここに登れば助かったんじゃないですか」
男性によると、柏葉校長は「そうですね。現場にいたらそうしたかもしれません」と答えたという。
市教育委員会は「想定外の津波だった。山が崩れる危険がある中、農道を行く以外に方法があったかは分からない」としている。
くわしい参考文献
池上正樹・加藤順子:あのとき、大川小学校で何が起きたのか (2012.11)
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AE%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%80%81%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%A7%E4%BD%95%E3%81%8C%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E6%B1%A0%E4%B8%8A-%E6%AD%A3%E6%A8%B9/dp/4905042577
なお
ここにある読書感想文をご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20130111
こちらも
http://matome.naver.jp/odai/2135297930605930701
津波が北上川を逆流して新北上大橋の堤防を超える動画像が載っています。
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20120626
なお
写真は、石巻市に合併する前の河北町当時の地図です。
北上川河口の新北上大橋の近くの釜谷観音寺の近くに大川小学校があります。
> 訂正
> No.140 と No.141
> これらの記事のタイトルは
> 「人が死ぬということ」でした。