地震などの天災を語る 
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[No.136] Re: プロの誇り 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/22(Wed) 08:18
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> > > > 産経新聞社:がれきの中で本当にあったこと わが子と語る東日本大震災 (平成23年6月)

仲間のために行く 原発作業員

ズドン、重い爆発音が響き渡った。
3月14日午前11時1分、東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発3号機が水素爆発を起こし、原子炉建屋の上部が吹き飛んだ。
東電の下請け業務を行う協力会社のベテラン社員Nさん(47)は、隣の2号機で電源復旧作業に当たっていた。

外へ出ると3号機は鉄の骨組みがむき出しになり、コンクリートのがれきが散乱していた。灰色の煙がもうもうと青空へ立ち上っていた。

「もうだめだ...」、
仲間の声が聞こえた。Nさんは「放射能をくらうぞ。避難するんだ」と声を上げ、防護服のまま、がれきの上を走った。
乗ってきた車3台は爆風で窓が割れていて使えず、作業基地となっている免震重要棟まで1キロ近くある。最後は息切れして歩いてたどりついた。

全員の無事を確認し、同僚4人ほどと喫煙室で「もし外にいたらかなりの線量をくらっていた」と話し合った。仲間を見ると、たばこを持つ手が震えていた。

Nさんは11日の震災発生時、第1原発の事務所3階にいた。東電の要請に応え、同僚十数人とそのまま原発に残った。
「被曝の危険性があることはわかっていたが、復旧作業には原発で18年間働いてきた俺たちのような者が役に立つ。そう覚悟を決めた」

4日間働き続け、水素爆発に遭遇した翌日にあたる15日朝、東電の緊急待避命令により避難した。

東電によると、第1原発では連日300人程度が働き、うち50人ほどが協力会社の社員だ。
1日の食事は非常食2食、毛布1枚にくるまり雑魚寝という過酷な環境で作業を続ける彼らの大半は地元の住民である。

Nさんは「会社は『すぐ来てくれ』など命令的なことは決して口にしない。ただ『覚悟が決まったら来てほしい』と言う。自己責任を求められる」と話す。

3号機の発電用タービン建屋地下で3月24日に放射性物質(放射能)に汚染された水で被曝した作業員3人もNさんの部下だった
東電社員の中には5日間で年間被曝線量の上限の50年分を浴びた人もいた。

そしてNさんは、ふたたび第1原発へ戻った。
「消防や自衛隊の方は公務だから、われわれ会社員とは使命感の持ちようも異なるかもしれない。同僚たちは今も原発で働いている。少ない人数で頑張っている。
むろん、行かなくても誰も責めないだろうが、自分がよしとはできない。仲間のために自分は行く」


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