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 昭和の部屋   2014.8.19更新

   平成も四半世紀を過ごしました、懐かしきは昭和の時代です
 輝かしい青春時代 バリバリの仕事人間だった時。
 国の内外を問わず企業出向の経験もおありですか?
 お話し下さい・・・貴方の昭和
 ※ ご投稿は「メロウ伝承館」へ転載させていただくことがあります


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  • [No.3389] Re:「奥様は魔女」 投稿者:夏子  投稿日:2018/04/21(Sat) 10:49
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    > なんと
    > 今朝のラジオ深夜便で
    >  「奥様は魔女」「スパイ大作戦」「ナポレオン・ソロ」
    > などのテーマ音楽が流れました。

    スパイ大作戦、ナポレオン・ソロも見ましたよ。

    「それゆけスマート」も結構面白かった(^o^)/
    「ナイトライダー」もよく見ましたが、あれはだいぶ後ですね。
    夏子


    [No.3388] Re: 奥様は魔女 投稿者:夏子  投稿日:2018/04/21(Sat) 10:44
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    男爵さん、皆さん

    > 『逃亡者』は、アメリカABC系列で、1963年から1967年まで放送され、高視聴率を記録したテレビドラマ。
    >
    > 妻殺しの濡れ衣を着せられ死刑を宣告された医師リチャード・キンブルが、警察の追跡を逃れながら、真犯人を探し求めて全米を旅する物語。

    見た見た、見ましたねぇ(^o^)/

    > 尾道の向島で逃亡を続ける脱獄囚はまだつかまらない。(まさか匿っている人はないだろうが)

    空き家が1000軒と言うのに驚きました。

    この家に移るまでは向島に住んでいました。
    住民の方々は、逮捕されるまで、どれだけ不自由を強いられることでしょう。
    窃盗犯と言っても、切羽詰れば何をするか、という不安もありますよね。

    私は島暮らしというのが嫌いでした(^^ゞ
    濃密な人間関係があるのが嫌でしたね。顔も名前も知らない人が、私や
    家族のことをよく知っていたりして・・・窮屈・・・(^^ゞ
    夏子


    [No.3387] Re:「奥様は魔女」 投稿者:男爵  投稿日:2018/04/21(Sat) 04:25
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    夏子さん、まるこさん、みなさん


    > その他、「うちのママは世界一」「奥様は魔女」「ボナンザ」「名犬ラッシー」
    > まだあると思いますが、そのうち思い出すでしょう(^^ゞ


    なんと
    今朝のラジオ深夜便で
     「奥様は魔女」「スパイ大作戦」「ナポレオン・ソロ」
    などのテーマ音楽が流れました。

    みんなおんなじことを考えているんですね。


    [No.3386] Re: 奥様は魔女 投稿者:男爵  投稿日:2018/04/19(Thu) 05:20
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    夏子さん、まるこさん、みなさん   おはようございます。

    > > 当時のもので記憶に残るのは
    > > 『ザ・ルーシー・ショー』も、1963年5月4日から1966年10月1日まで4シリーズにわたってTBS系列で放映されました。

    > > 『世にも不思議な物語』というのも印象に残っています。

    > みんな見てました(^o^)/ 昔から、テレビ大好き人間でした。

    > その他、「うちのママは世界一」「奥様は魔女」「ボナンザ」「名犬ラッシー」
    > まだあると思いますが、そのうち思い出すでしょう(^^ゞ

    『奥さまは魔女』
    1964年から1972年までアメリカのABCで全254話が放送された。
    日本でも1966年から日本語吹替版がTBSと毎日放送で放映された。

    広告代理店に勤めるダーリン・スティーブンスが結婚した相手、サマンサは魔女だった。彼女の結婚に反対する母親のエンドラ  

    ときどき夫に意地悪する母親
     ムコ殿!のアメリカ版(?)

    ダーリンは夫だからと思っていたら、名前がダーリンだったのですね。


    思い出すのは
    『逃亡者』は、アメリカABC系列で、1963年から1967年まで放送され、高視聴率を記録したテレビドラマ。

    妻殺しの濡れ衣を着せられ死刑を宣告された医師リチャード・キンブルが、警察の追跡を逃れながら、真犯人を探し求めて全米を旅する物語。

    日本でも、1964年5月16日から1967年9月2日までTBS系列(近畿地区は当時朝日放送)で放送されて人気を博した。

    毎回ピンチを切り抜け、今日も逃げ続ける。

    尾道の向島で逃亡を続ける脱獄囚はまだつかまらない。(まさか匿っている人はないだろうが)


    [No.3385] Re: パパは、何でも知っている 投稿者:夏子  投稿日:2018/04/18(Wed) 09:50
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    男爵さん、まるこさん、みなさん

    > 『パパは、何でも知っている』
    > アメリカの人気テレビドラマ
    >  日本では1958年8月3日から1964年3月29日まで日本テレビ系列で日本語吹替版で放映
    >
    >
    > 当時のもので記憶に残るのは
    > 『ザ・ルーシー・ショー』も、1963年5月4日から1966年10月1日まで4シリーズにわたってTBS系列で放映されました。
    >
    >
    > 『世にも不思議な物語』というのも印象に残っています。

    みんな見てました(^o^)/ 昔から、テレビ大好き人間でした。

    その他、「うちのママは世界一」「奥様は魔女」「ボナンザ」「名犬ラッシー」
    まだあると思いますが、そのうち思い出すでしょう(^^ゞ

    「世にも不思議な物語」も、面白かったですね。

    あ、そうだ「ハイラム君、乾杯!」とか言うようなタイトルのドラマも見た。
    スパイの話だったかも・・・

    考えたら、あの頃は、アメリカドラマをよく見ていました。
    アメリカ女性の来ている服が、シンプルで素敵だと思ってましたね。
    それから、サラリーマンが、上司の机の端に腰を掛けて、その上司と話を
    しているのに驚きましたが、あれはドラマだからだろうか?それとも、
    アメリカでは一般的にみられることだろうか??

    日本では、昔から今まであり得ない光景でしょう。
    夏子


    [No.3384] Re: パパは、何でも知っている 投稿者:男爵  投稿日:2018/04/18(Wed) 05:49
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    まるこさん  おはようございます。


    > ....昔、我が家のテレビを、隣の僕が、見に来ていました。父は、珍しいもの好きでした。
    > そのテレビで、パパは、何でも知っているを、みましたよ。


    『パパは、何でも知っている』
    アメリカの人気テレビドラマ
     日本では1958年8月3日から1964年3月29日まで日本テレビ系列で日本語吹替版で放映


    当時のもので記憶に残るのは
    『ザ・ルーシー・ショー』も、1963年5月4日から1966年10月1日まで4シリーズにわたってTBS系列で放映されました。


    『世にも不思議な物語』というのも印象に残っています。


    [No.3383] Re: 防空壕の体験 投稿者:Pan  投稿日:2018/04/18(Wed) 01:01
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    めぐみさん、 まやさん みなさん こんばんは。

    > 私の近くでは防空壕は竹藪に掘りました、根っこが張ってるので崩れないとかの理由でした。
    > 終戦後は農作物の貯蔵庫や子供のカクレンボのあそび場でした。

     どんな防空壕でも空爆の直撃以外で壊れたら自分で墓穴を掘ることに
    なりますね。

     地震の時は、竹藪へ逃げたら安全だとは聞きましたね。

     地震で地割れができて嵌り込まないからだと聞きましたが地割れにはまる
    程の強い地震の時に竹藪まで逃げる間があるでしょうか?

     近くに竹藪があったところでそこまで逃げる間が無いですね。

     不合理な話が多かったですが、「敵のスパイに騙されるな」とも
    よく聞きましたよ。


        ***** Pan *****


    [No.3382] Re: やりくりアパート 投稿者:まるこ  投稿日:2018/04/16(Mon) 14:52
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    男爵さんも、ご存知でしたね。笹十郎も、茶川一郎さんも、あの世の人。わたしらに、笑いを、残してくれました。人を笑かすって、簡単にみえて、難しい。チャップリンさんも、永遠に残るでしょうね。昔、我が家のテレビを、隣の僕が、見に来ていました。父は、珍しいもの好きでした。
    そのテレビで、パパは、何でも知っているを、みましたよ。


    [No.3381] Re: やりくりアパート 投稿者:男爵  投稿日:2018/04/16(Mon) 12:37
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    まるこさん   こんにちは

    > ....診察を終えて、車🚘を運転しての帰り、大村崑ちゃんと、笹十郎コンビのやりくりアパートが、浮んできました。
    >メガネを半分さげて、ミゼットとジェスチャーする場面が、今でも、焼き付いています。

    >あの頃は、子供でしたが、やりくりを考えるなんて、想像もしていなかったです。
    >厳しいけど、崑ちゃん、十郎さんのコンビに、幸せだった昔が、懐かしい。


    『ダイハツコメディ やりくりアパート』は、1958年4月6日から1960年2月28日まで大阪テレビ放送(1959年3月より朝日放送となる)にて、
    毎週日曜18時30分から30分枠で放送されていたコメディドラマ。
    関東地区ではラジオ東京(現・TBSテレビ)へネットされていた。
    全100回。

    大阪の下町にあるアパート「なにわ荘」を舞台に、住人である青年3人組や管理人一家が巻き起こすドタバタを描くコメディである。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88


    私の家には、この頃はテレビがなく
    弟たちは近所に1軒だけテレビのある家に集まって
    子どもたちがお世話になって見ていたようです。

    だから「ミゼット」の名前は知っていました。

    大村崑といえば
     頓馬天狗(1959年、YTV)
     番頭はんと丁稚どん(1959年3月9日から1961年4月まで毎日放送)

    私は
     山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ(1992年- 、CX) - 1級葬祭ディレクター、秋山隆男
    を楽しく見ています。


    おやおや
     西郷どん (NHK大河ドラマ)(2018年) - 西郷龍右衛門
    にも出ている。


    [No.3380] やりくりアパート 投稿者:まるこ  投稿日:2018/04/16(Mon) 11:18
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    やはり、年金生活になってからは、
    医療費が、一番こたえます。診察を終えて、車🚘を運転しての帰り、大村崑ちゃんと、笹十郎コンビのやりくりアパートが、浮んできました。メガネを半分さげて、ミゼットとジェスチャーする場面が、今でも、焼き付いています。あの頃は、子供でしたが、やりくりを考えるなんて、想像もしていなかったです。厳しいけど、崑ちゃん、十郎さんのコンビに、幸せだった昔が、懐かしい。


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