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 昭和の部屋   2014.8.19更新

   平成も四半世紀を過ごしました、懐かしきは昭和の時代です
 輝かしい青春時代 バリバリの仕事人間だった時。
 国の内外を問わず企業出向の経験もおありですか?
 お話し下さい・・・貴方の昭和
 ※ ご投稿は「メロウ伝承館」へ転載させていただくことがあります


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  • [No.2875] Re: ニワトリ(鶏)を飼う 投稿者:Pan  投稿日:2016/03/16(Wed) 22:48
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    マーチャン、まやさん、みなさん こんばんは。

    > >  メロウ伝承館で「鶏を飼う」を見て思い出しました。
    >
    >  今日は「 鶏の解体」でした。

     一歩前進ですね。

    >  若い友人は「わあ、残酷」といいますが、昔は、みんな自宅でやっていましたよね。

     見るのはしょっちゅうでしたが自分でやった事は一度もありません。

     昔は法事や祝い事で大勢が集まるとカシワのすき焼きに決まっていました。
     
     だからそれを食べるのが苦痛で、野菜ばかり食べていました。
     今でもフライドチキンを両手で掴んで食べるのには抵抗があります。

    >  21日間母鳥が暖めていた雛がかえる日、学校から帰って、ずっと鳥小屋の前にいました。
    >
    >  母鳥が、卵を「ちっ」とつつきますと「ピーピー」と鳴きながら雛が出てきたのには
    >
    >  感動しました。良い体験をさせてもらったと感謝しています。

     ヒヨコを貰ってくることもありましたが、自分で孵すのが普通でしたね。
     正確に21日なのにはいつも驚きました。

     母の里では昔数百羽を飼っていて、孵卵器と云う大きな棚もありましたが、
    何で暖房したのかな? 昔の温度管理作業は大変だったと思います。

     私の知った頃にはもう止めていましたから、大きな鶏舎だけが物置になっ
    ていました。

     親鳥が餌を啄んでも自分は食べず、わざと落として雛にこれは食べ物であ
    ると教えるのには感動しましたね。

     ナゴヤコウチンと言う赤褐色の鶏も飼ったことがありますが、卵は圧倒的
    に白色レグホンが多産だったようです。

     ナゴヤコウチンは幾つか続けて卵を産むと、「巣入り」と云うのですか?
    抱卵態勢に入って産卵しなくなるので、ガッカリでした。

     最近のスーパーの卵は褐色のが多いですが、鶏を飼っている鶏舎を見ると
    全てが白色ですね。

     消費者は褐色の卵の方が栄養価が高いと錯覚を受けるようです。
     私は同じだと思っています。


       ***** Pan *****


    [No.2874] Re: 鋳掛屋 投稿者:Pan  投稿日:2016/03/16(Wed) 22:09
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    善兵衛さん、まやさん、みなさん こんばんは。

    >鋳掛屋がいつもの空き地に道具をそろえるとたちまち口伝えに知らされて、鋳掛屋自身は何の声掛けをしなくとも次々に鍋釜鉄瓶薬缶が持ち込まれた。ときには香炉や鐘までも 。 割れ鐘を再び響かせる!
    >鉄でも銅でもきれいに直るので次に来るのが待たれる  住民にとっては必要な商売だった。

     ありましたね。(^-^)

     子供は作業が面白くて、紙芝居のように付いて移動していました。

    >アルミニューム製品が出回ったら来なくなってしまった。
    >鋳掛屋はアルミニュームの穴を塞げなくて敗退 失業した!

     アルミの鍋・釜ももありましたが、穴が開いたら自分でも修理しま
    したよ。

     いろいろなサイズのアルミ製の鋲があって、穴の開いた場所を錐で
    少し拡げて錆になった部分を落とし、その鋲を差し込んで金床の上で
    金槌で叩くと差し当たりは穴が塞げました。

     昔のアルミ製品はアルミの純度が低かったので、すぐに錆びて穴が
    あきましたね。

     素人が下手をすると、余計に穴が大きくなって捨てる羽目にも陥り
    ました。(*_*)

     アルミ鍋の品質が上がり、価格が下がってからは直さなくなりまし
    たね。


      ***** Pan *****


    [No.2873] Re: 鋳掛屋 投稿者:まや  投稿日:2016/03/16(Wed) 21:58
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    善兵衛さん

    > 鋳掛屋がいつもの空き地に道具をそろえるとたちまち口伝えに知らされて、鋳掛屋自身は何の声掛けをしなくとも次々に鍋釜鉄瓶薬缶が持ち込まれた。ときには香炉や鐘までも 。 割れ鐘を再び響かせる!

     鋳掛屋さんのことはよく覚えています。戦前のことですね。

    「いかけ〜、いかけ〜」という呼び声が聞こえてきたよまやうに思います。そして、
    最初に出てきた客の家の前かどこか腰を下ろせる場所を見つけて、そこに腰を
    おろして仕事を始める。すると、そこにあちこちの家から誰かしらが、修理し
    て貰いたいものを持って現れ、順に並べておいていくのでした。

    まや


    [No.2872] Re: ニワトリ(鶏)を飼う 投稿者:まや  投稿日:2016/03/16(Wed) 21:42
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    Panさん & みなさん、こんばんは!

    >  最近自宅で愛玩と食料を兼ねての養鶏をしている人は殆ど無いよう
    > ですね。
    >
    >  記憶にある範囲の昔から、我が家ではいつも鶏を飼っていました。

     そうですね。私が育った両親の家でも母の実家でもいつも鶏を飼って
    いました。
     ご同様に「白色レグホン」が主でしたが、正月用に闘鶏の血を引いて
    いる雄鶏も必ず1羽飼っていました。鶏舎は雌鶏も同居でしたが、とき
    どき庭に出してやると、雄鶏は庭に入ってきた子供を追っかけて大騒ぎ
    になるのでした。

    >  毎日卵を取りに行くのが楽しみでした。

     我が家でも同じでしたが、ときどきすばしっこい姉が黙って卵を取って
    食べていることがありました。一個しか生まないときは子供たちの順番に
    なるのですが、姉はすばしっこく、卵を独り占めして知らん顔しているこ
    とが度々でした。

    >  餌は主に「混合餌」と言うのを買っていましたが、野菜の足りない
    > ときは、道端のハコベを摘んで来たり、大根畑の縁に捨ててある間引
    > き大根を拾ってきました。

     我が家では混合餌も使いましたが、魚屋さんから「あら」を貰ってきた
    り、野菜くずを糠に混ぜたりしていました。卵の殻が硬くなるのだという
    ことでした。

     いつごろ我が家で鶏を飼わなくなったか知りませんが、いつかもっと田
    舎の叔父の家でも鶏を飼わなくなっていました。ご近所から鳴声が「うる
    さいというクレームがついたとか。

    >  兎を飼ったことも少しはありますが、卵は産まないし、愛想が無い
    > のでつまらなかったです。

     私が学生時代に部屋借りしていた画家のお宅で兎を飼っていました。
    何羽がいたうち一羽はとても可愛がっていて、居間に放し飼いをするほど
    でした。それで、ついにはその一羽は結局食べられずに、死んだときには
    お墓を作ったということでした。

     我が家でも病気になって、私が面倒を看てやった鶏は私も絞められませ
    んでしたから、同じような気持ちなのだと理解できたのでした。

     いずれにしても生き物は情が移って何かあると感情的にやりきれなくな
    り、つらいですね。

    まや


    [No.2871] Re: ニワトリ(鶏)を飼う 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/16(Wed) 20:06
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    Panさん

    >  メロウ伝承館で「鶏を飼う」を見て思い出しました。

     今日は「 鶏の解体」でした。

     若い友人は「わあ、残酷」といいますが、昔は、みんな自宅でやっていましたよね。

    >  毎日卵を取りに行くのが楽しみでした。
    >
    >  餌は主に「混合餌」と言うのを買っていましたが、野菜の足りない
    > ときは、道端のハコベを摘んで来たり、大根畑の縁に捨ててある間引
    > き大根を拾ってきました。
    >
    >  食べた後の卵の殻は細かく砕いて、鶏に還元?していました。

     そうですね。殻が丈夫になると思ってやっていました。

     21日間母鳥が暖めていた雛がかえる日、学校から帰って、ずっと鳥小屋の前にいました。

     母鳥が、卵を「ちっ」とつつきますと「ピーピー」と鳴きながら雛が出てきたのには

     感動しました。良い体験をさせてもらったと感謝しています。


    [No.2870] 鋳掛屋 投稿者:善兵衛  投稿日:2016/03/16(Wed) 15:11
    [関連記事URL:http://www1.odn.ne.jp/~yaswara/


    鋳掛屋がいつもの空き地に道具をそろえるとたちまち口伝えに知らされて、鋳掛屋自身は何の声掛けをしなくとも次々に鍋釜鉄瓶薬缶が持ち込まれた。ときには香炉や鐘までも 。 割れ鐘を再び響かせる!
    鉄でも銅でもきれいに直るので次に来るのが待たれる  住民にとっては必要な商売だった。

    アルミニューム製品が出回ったら来なくなってしまった。
    鋳掛屋はアルミニュームの穴を塞げなくて敗退 失業した!


    [No.2869] ニワトリ(鶏)を飼う 投稿者:Pan  投稿日:2016/03/15(Tue) 22:52
    [関連記事

    みなさん、こんばんは。

     メロウ伝承館で「鶏を飼う」を見て思い出しました。

     最近自宅で愛玩と食料を兼ねての養鶏をしている人は殆ど無いよう
    ですね。

     記憶にある範囲の昔から、我が家ではいつも鶏を飼っていました。

     殆どが「白色レグホン」で卵が主目的でしたが、結局は鶏も食べて
    しまいました。

     1m角程の小さな網の場合もあり、5m×3m程の網囲いの時もあ
    ります。

     毎日卵を取りに行くのが楽しみでした。

     餌は主に「混合餌」と言うのを買っていましたが、野菜の足りない
    ときは、道端のハコベを摘んで来たり、大根畑の縁に捨ててある間引
    き大根を拾ってきました。

     食べた後の卵の殻は細かく砕いて、鶏に還元?していました。

     兎を飼ったことも少しはありますが、卵は産まないし、愛想が無い
    のでつまらなかったです。

        ***** Pan *****


    [No.2868] Re: 朝ごはんを炊く 投稿者:Pan  投稿日:2016/03/15(Tue) 22:37
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    マーチャン、こんばんは

    > 新生なった「メロウ伝承館」に、
    >
    > また「書き残したい昭和」の家庭生活編を転載させていただいているのですが
    >
    > 今日の「テーマ」が「朝ごはんを炊く」でした。
    >
    > 戦争末期から戦後にかけては、普通のご飯は炊けなかったのですが、
    >
    > ともかく「ご飯が炊ける」「家族揃って、ご飯を食べられる」ことの幸せを感じられる
    >
    > 絵です。ぜひぜひご覧ください。
    >
    > http://kouseimir.s97.xrea.com/densho/index.php

     見せて頂きました。

     S28年のようですね。

     我が家も当時の田舎では竈で薪を焚いて御飯を炊くのが普通でした。

     竈は室内にありましたが、土間に築いた竈で、大中小の3つが並
    んでいました。

     「初めチョロチョロ中パッパ、赤子泣いても蓋取るな」でしたね。

     近くに付いていないと出来ない仕事でした。

     小さな鍋は、コンロに炭火を熾して使いましたが、火力が強くな
    るまでに時間が掛かりましたから、一寸した暖め物などは面倒でし
    たね。

     その代わり、冬の間は毎日火鉢に練炭を熾していましたから、ち
    ょっとした火力は、殆ど練炭だったかな?


       ***** Pan *****


    [No.2867] Re: バナナ 投稿者:まや  投稿日:2016/03/15(Tue) 11:30
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    夏子さん、お早うございます。

    > まやさんより少し年下の夫は、下宿の経験がありますが、その頃は食糧事情も
    > 少しよくなっていたのか、みな賄い付きだったみたいです。
    >
    > でも、アルバイト先で食事が出るのは楽しみだった、と言っていましたね。
    > 下宿の食事とは、ちょっと目先の違うものが出たのでしょう。それに、当時、
    > 学生アルバイトとは言え、家庭教師を付ける家は、金銭的には裕福な家庭
    > だったでしょうから、美味しいものが食べられたのかも。
    >
    > >  女性で親元を離れて進学するには例外を除いて女子大のような寄宿舎がある
    > > ところに限定されていたようです。
    >
    > 今でも、親は、女子大の寄宿舎というと、何となく安心しそうですね。

     私が入った大学は女子大ではなく、戦後まもない学制変革で新制大学になった
    ばかりの男子だけの大学だったところですから、女性のための施設は何一つない
    施設でした。控室どころかトイレすらない状態です。女子学生も全学部を集めて
    も何人かしかいませんでしたから、昨今の女子学生が溢れている大学の環境と比
    べると雲泥の差です。
     
     戦後の社会はスゴイ速度で変わっていきましたから、昭和20年代や30年代の変
    化は、それ以後の変化からでは想像もつかないと思います。

    まや


    [No.2866] 朝ごはんを炊く 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/03/14(Mon) 08:12
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     新生なった「メロウ伝承館」に、

     また「書き残したい昭和」の家庭生活編を転載させていただいているのですが

     今日の「テーマ」が「朝ごはんを炊く」でした。

     戦争末期から戦後にかけては、普通のご飯は炊けなかったのですが、

     ともかく「ご飯が炊ける」「家族揃って、ご飯を食べられる」ことの幸せを感じられる

     絵です。ぜひぜひご覧ください。

     http://kouseimir.s97.xrea.com/densho/index.php


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