Re: 『国民学校1年生』 その3
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『国民学校1年生』 (三蔵志郎, 2004/3/28 1:09)
- Re: 『国民学校1年生』 (マーチャン, 2004/3/28 16:41)
- Re: 『国民学校1年生』 (あんみつ姫, 2004/3/28 19:06)
- Re: 『国民学校1年生』 (らごら, 2004/3/29 8:24)
- Re: 『国民学校1年生』 その2 (三蔵志郎, 2004/3/30 1:33)
- Re: 『国民学校1年生』 (変蝠林, 2004/3/30 11:49)
- Re: 『国民学校1年生』 (らごら, 2004/4/1 8:27)
- Re: 『国民学校1年生』 その3 (三蔵志郎, 2004/4/2 10:24)
- Re: 『国民学校1年生』 その3 (らごら, 2004/4/3 8:39)
- Re: 『国民学校1年生』 その4 (三蔵志郎, 2004/4/8 16:30)
- Re: 『国民学校1年生』 その4 (らごら, 2004/4/8 20:55)
- Re: 『国民学校1年生』 その4 (番外) (三蔵志郎, 2004/4/11 21:38)
- Re: 『国民学校1年生』 その4 (番外) (マーチャン, 2004/4/11 22:42)
- Re: 『国民学校1年生』 その4 (番外) (三蔵志郎, 2004/4/12 11:26)
- Re: 『国民学校1年生』 その5 (三蔵志郎, 2004/4/17 11:34)
- Re: 『国民学校1年生』 その6 (三蔵志郎, 2004/5/5 23:59)
- Re: 『国民学校1年生』 資料編01 (三蔵志郎, 2004/5/8 2:29)
- Re: 『国民学校1年生』 資料編02 (三蔵志郎, 2004/5/9 21:50)
- Re: 『国民学校1年生』 その7 (三蔵志郎, 2004/5/17 5:10)
- Re: 大変な力作、ご苦労様でした。 (オアシス, 2004/5/18 22:03)
三蔵志郎
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Re: 『国民学校1年生』 その3
○キチクベイエイ
あやかさん、キチクベイエイなどと云ってもわからないでしょうね。おじいさんも、当時そのような言葉を耳にしましたが、何のことか分からなかったと思います。わかったのはそれから数年経《た》ってからのことだったと思います。キチクベイエイは鬼畜米英と書きます、当時、敵国人であった米国(アメリカ)や英国(イギリス)の人達を鬼や畜生と同じく、人の情けを知らない無慈悲な者として軽蔑《けいべつ》し、このようなもの達に負けるな、打ち負かせというような思いが込められていたのでしょうね。
このように国民に対し、辛くても貧しくても頑張りぬきなさい! そして戦意を高めなさい!というような意味の言葉がもてはやされました。
例えば
・産めよ、殖やせよ(1939年結婚10訓、第2次世界大戦勃発《ぼっぱつ》)
・ぜいたくは敵だ(この看板が1940年に登場。日独伊が軍事同盟を結ぶ)
・欲しがりません勝つまでは(1942年の流行語に、この前年に真珠湾攻撃で日米開戦)
・月月火水木金金(1945年 海軍の標語になる)
などです。これらは戦時標語と云われていたそうですよ。鬼畜米英(1944年、国民の合言葉になる)もきっとそのうちの一つだったのでしょうね。
上のなかに、結婚10訓というような今では耳にすることがないような言葉も含まれていますね。政府が「結婚十訓」を発表し、国民の結婚も国の政策で左右しようとしたのですね。兵隊の確保のため、早く結婚させてたくさん産ませるという考えであったのでしょうね。おじいさんの兄弟姉妹は5人でした、伯母《おば》さんの子即ちおじいさんにとって従兄弟《いとこ》にあたる姉妹兄弟たちは9人もおりました。当時はどの家庭も子沢山だったのですね。
この「結婚10訓」には、健康な人を選べ、悪い遺伝のない人を選べ、晩婚は避けよう、式は質素に届出は早く、産めよ殖やせよ国のため などがあったそうですね。
当時は幼かったため何のことだか分かりませんでしたが、あとで思うとあれが鬼畜米英を表す行事だとだと思うことがありました。
村の青年団の行事か、それとも「どんと祭」の変形として行われたかよく分かりません、いつの時期かも定かではありません。
村落のはずれにある鎮守の森にお兄さんたちが沢山集まっていました。幼かったおじいさん達も遠巻きに眺めていました。鎮守の森の広場に太い青竹で櫓《やぐら=高く作った構築物》のようなものを作ります、その上に米わらを覆いかぶせます。わらの塔が出来上がります。
半紙と竹串で小さな旗をつくります。その白い紙には、墨で「ルーズベルト」、「チャーチル」と云う文字が書かれていました。そうです、ルーズベルトは当時の米国大統領、チャーチルは英国の首相でした。
わらに火を点けます、炎が次第に大きくなり夜空に大きく舞い上がる様です、火花も飛び散ってきます。すると青竹の節が破裂して「ばぁ~ん」と大きく鳴り渡ります。暫らくして、また「ばぁ~ん」「ばぁ~ん」と鳴ります。
その都度、周りを囲むお兄さん達は「バンザイ」「バンザイ」「ニッポン バンザイ」と叫んでいました。
幼かったおじいさん達も一緒に「バンザイ」「ニッポン バンザイ」叫びました。訳もわからず大声で叫んでいました。
(2004.4.2)
○キチクベイエイ
あやかさん、キチクベイエイなどと云ってもわからないでしょうね。おじいさんも、当時そのような言葉を耳にしましたが、何のことか分からなかったと思います。わかったのはそれから数年経《た》ってからのことだったと思います。キチクベイエイは鬼畜米英と書きます、当時、敵国人であった米国(アメリカ)や英国(イギリス)の人達を鬼や畜生と同じく、人の情けを知らない無慈悲な者として軽蔑《けいべつ》し、このようなもの達に負けるな、打ち負かせというような思いが込められていたのでしょうね。
このように国民に対し、辛くても貧しくても頑張りぬきなさい! そして戦意を高めなさい!というような意味の言葉がもてはやされました。
例えば
・産めよ、殖やせよ(1939年結婚10訓、第2次世界大戦勃発《ぼっぱつ》)
・ぜいたくは敵だ(この看板が1940年に登場。日独伊が軍事同盟を結ぶ)
・欲しがりません勝つまでは(1942年の流行語に、この前年に真珠湾攻撃で日米開戦)
・月月火水木金金(1945年 海軍の標語になる)
などです。これらは戦時標語と云われていたそうですよ。鬼畜米英(1944年、国民の合言葉になる)もきっとそのうちの一つだったのでしょうね。
上のなかに、結婚10訓というような今では耳にすることがないような言葉も含まれていますね。政府が「結婚十訓」を発表し、国民の結婚も国の政策で左右しようとしたのですね。兵隊の確保のため、早く結婚させてたくさん産ませるという考えであったのでしょうね。おじいさんの兄弟姉妹は5人でした、伯母《おば》さんの子即ちおじいさんにとって従兄弟《いとこ》にあたる姉妹兄弟たちは9人もおりました。当時はどの家庭も子沢山だったのですね。
この「結婚10訓」には、健康な人を選べ、悪い遺伝のない人を選べ、晩婚は避けよう、式は質素に届出は早く、産めよ殖やせよ国のため などがあったそうですね。
当時は幼かったため何のことだか分かりませんでしたが、あとで思うとあれが鬼畜米英を表す行事だとだと思うことがありました。
村の青年団の行事か、それとも「どんと祭」の変形として行われたかよく分かりません、いつの時期かも定かではありません。
村落のはずれにある鎮守の森にお兄さんたちが沢山集まっていました。幼かったおじいさん達も遠巻きに眺めていました。鎮守の森の広場に太い青竹で櫓《やぐら=高く作った構築物》のようなものを作ります、その上に米わらを覆いかぶせます。わらの塔が出来上がります。
半紙と竹串で小さな旗をつくります。その白い紙には、墨で「ルーズベルト」、「チャーチル」と云う文字が書かれていました。そうです、ルーズベルトは当時の米国大統領、チャーチルは英国の首相でした。
わらに火を点けます、炎が次第に大きくなり夜空に大きく舞い上がる様です、火花も飛び散ってきます。すると青竹の節が破裂して「ばぁ~ん」と大きく鳴り渡ります。暫らくして、また「ばぁ~ん」「ばぁ~ん」と鳴ります。
その都度、周りを囲むお兄さん達は「バンザイ」「バンザイ」「ニッポン バンザイ」と叫んでいました。
幼かったおじいさん達も一緒に「バンザイ」「ニッポン バンザイ」叫びました。訳もわからず大声で叫んでいました。
(2004.4.2)